二章「悪意」

第1話

 シミひとつない真っ白な天井は、引っ越し前にリノベーションが行われ綺麗に張替えられたものだ。真新しいグリーンのカーテンを開き、朝の陽射しを部屋に入れる。1DKの部屋は、小さな窓からの光で十分、春の温もりに満たされた。

 

 キッチンへ向かい、冷蔵庫から350mlの牛乳パックを取り出し、グラスに注ぐ。一気に飲み干せば、透明なグラスに白い膜が薄っすらと残った。見通しの悪くなったグラスの向こうに透かした景色が霞むのは、寝起きのせいだろうか。蛇口をひねり、キンと冷えた水でグラスに張り付いた膜を弾け飛ばしながら、大きく出そうになったあくびを噛み殺し、沙耶香は部屋を眺める。目覚めるたび、真っ先に視界に入るこの景色も、ようやく自分の家なんだと慣れて来た。

 

 柔らかい色合いの木目調の家具で統一された部屋は、シンプルで味気ないと言われるかもしれない。だが、ブライトカラーのソファーやクッションが部屋にいい彩りを与えている。可愛いと大人なイメージを両立させたこういう雰囲気の部屋に沙耶香は憧れたのだ。

 

 沙耶香の毎朝の日課は、窓際のプランターに水を上げることだ。プラスチック製の霧吹きで、根本に水をかけてやれば、枝葉が元気にお礼を言ってくれる気がする。母に枯らしてしまうでしょ? と注意され実家では育てることが出来なかった。意外とこまめにやるのだぞ、と沙耶香は心の中で胸を張る。

 

 机の上の充電器に繋いだスマホを手に取った。時間は十時過ぎ。平日であれば問題だが、土曜日なら上出来だろう。昨日、授業が夜まであった為に、バイトもラストまで入っていた。家に帰って来たのは深夜一時。そこから軽く夜食を食べ、お風呂へ入り、寝たのが三時過ぎ。睡眠不足はお肌の天敵だ。

 

 あまり褒められた生活習慣ではないのは確かなことだ。だけど、お金を稼ぐというのは大変なこと、と自分に言い訳をしてみる。机の上の鏡には、ヘアバンドで輪郭が顕になった自分の顔が映し出されていた。じっと見つめれば、額に小さなニキビが一つ。眠い目を擦りながら、「あの時間は出来るだけ入りたくない」と一人ごちた。

 

 充電のケーブルからスマホを抜き、再びキッチンへと向かう。朝ごはんは何を食べようかぁ、と考えながら冷蔵庫と通知の来ていたメールを開く。

 

「今から面接。緊張するぅ」

 

 碧からのメールだ。泣きっ面の可愛らしいリスのスタンプが添えられていた。今朝が沙耶香の勧めたバイト先の面接だったらしい。碧は、いい子だから余程のヘマをしない限り受かるはずだ。だけど、不安がる碧を見るとついからかってしまう。本当は、素直に頑張ってと言ってあげるべきなのに、悪戯心が抑えられない。碧自身は嫌な顔をこそするが笑ってくれている。その笑顔が心からの反応であると信じるしかない。

 

「私が探してあげたんだから落ちないでよー」

 

 そこまで打って、送信ボタンを押すのを躊躇う。「今回のことも悪戯心なのだろうか?」自問自答への回答はすぐに返って来ない。書いた文字を消して、頑張ってと励ますうさぎのスタンプを送る。何もかもがからかいで済むわけじゃないことは分かってる。だから、今回がそうなのかもしれない。確かな悪意が沙耶香にはあって、それを碧に向けている。それを碧が知った時、彼女は怒るに違いない。

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