第20話 抜けた歯車

『カラーン』

ドアが小さな呼び鈴を鳴らして開き、男が入ってきた。

男はコートを脱ぎながら、客のいない椅子をチラっと見る。

「ここ、空いてるかね」


銀座の小さなバー。

クラシックな装飾で、カウンターだけがある。

店主用の小さなテレビが奥にあった。

五人も座ったら、誰も入れない店だ。


カウンターの店主はパイプを咥え、笑顔で迎える。

「桜庭さん、いらっしゃいませ。何にしましょう」

「今日は祝い酒なんだ。ワインをくれ」

「それは、おめでとうございます。じゃあ、この一杯は私からのプレゼントで」


二人は軽くグラスを掲げ、グイと飲み干した。

「誕生日か何かですか?」

「そうだな、戦友との約束が守れた記念日と誕生日がやっと来た感じだ」

バーテンダーは不思議そうな顔をする。

「そうですか良かったですね」


「まぁ、本人にとっちゃ迷惑な話かもしれんが。

 使い捨てカイロみたいと思ってた連中に、一発喰らわせる事が出来る」


桜庭はグラスを眺めながら思った。

警察は創立からの縦割社会の悪習は、全く変わっていない。

ネットが普及し便利になった反面、法の穴をすり抜ける凶悪犯罪が右肩上がり。

ダークウェブには、覚醒剤から機関銃の作り方まで、落っこちてる。

更に、誹謗中傷、ネットに書いてあることが真実と思い込む人は後を絶たない。

自殺、殺人、虐待、デジタルタトゥ、今の法律では裁けない事が多すぎる。

俺は七年前に誓ったんだ。


すまん山本。美鈴はお前の横に置いておきたかったんだが、俺が暫く預かる。

あの娘はお前と美沙さんがあの事件で死んでから、俺が親代わりで育てたが、

本当はコッチ側に来てほしくなかったんだよ。

どっかのいい男と幸せに暮らしてもらいたかった。

それがまぁ、正義感丸出しの男勝りで、ただ本当に真っすぐで、俺が一番信用できる警部だった。

美鈴はきっとわかってくれると思う。


ん?

視線をテレビに移すと、ニュースで神崎大臣のインタビューが映った。

桜庭は、少し眉間にしわを寄せ、

乾いた呼び鈴を鳴らしてバーを出て行った。




     ◇


新堂は、四畳半の自室で転がって、宙を見上げて考えていた。

まさか、美鈴が生きていたなんて。


新堂は、普通の人よりデカい拳で自分の頬を思いっきり殴ってみた。

三発。


痛い。うん夢じゃない。鼻血も出た。


嬉しくて泣けてくる。

ガバっと起き上がり考えた。

いや、まだ実際にこの目で見るまでは信用できない。


昔の事が、頭を駆け巡る。

新堂は新人の頃から美鈴に世話になり、

警視庁の名コンビ『美女と野獣』と言われていた。


体形は平均を上回っている。身長190㎝体重110㎏。

小学生になる頃には、既に170㎝を超えていてよく『巨人』とか『ポセイドン』とかあだ名をつけられた。

親は二人とも160㎝ぐらいで小柄だから不思議だ。

小さな頃から少し動くだけで周りの物を壊したりするから、背中を丸めるのが癖になっていた。

高校に入りラグビーを始め、組織と礼儀を教えてもらった。


大学でもラグビーを続け、卒業の時は実業団からオファーが殺到した実力の持ち主である。

警察に入る切っ掛けになったのは、小学生の頃、道で老人のカバンを盗んだ窃盗犯を取り押さえた警察官に憧れたからだ。

刃物をもった犯人に恐れもなく飛び掛かり、あっという間に捕まえたシーンは今でも鮮明に蘇る。

そして大学卒業後に警察官となった。


新堂は新人の頃に美鈴と出会った。

研修所に視察で来ていた美鈴にいきなり、

「おい! デカブツ野郎! 今すぐ姿勢を正せ、堂々とせんか!

 そんな恵まれた体をくれた親に感謝しろ!」

と蹴りを入れられた。

勿論、美鈴の方が痛がっていたが。


一方、美鈴は身長162㎝。スラっと脚が長く、ちょっと痩せ気味。切れ長の超美人だった。

そんなコンビだからよく目立った。

捜査で街を歩いていると『尾行にならん』と一緒に歩く事はNGだったが

『シン、行け!』その一言で新堂は仕事した。

『よくやったな』と美鈴に褒められる事が、新堂にとっての生きがいだったのだ。


新堂の中で、それはいつの間にか恋に置き換わっていた。

この人を絶対に守ると誓った。

だが、新堂は守りきれなかった。生きがいが零れ落ちてしまった。


新堂は思う。

あの七年前、俺も死んだ。

自暴自棄を繰り返す日々。

ウサ晴らしでヤクザの事務所をぶっ壊したり、暴走車をひっくり返したり。始末書だらけの毎日。

問題児だらけで有名な、東班に入れてもらったのもその頃だ。


ある日、立てこもり事件が起きた時、窓から美鈴に似た女性が悲鳴を上げていた。

俺はSWAT隊が到着する前に単独で現場に突入し、容疑者に撃たれながらもぶん殴って事件を収めた。

現場に来た桜庭は、倒れた容疑者の砕けた顎を触りながら、俺にこう言った。


『新堂。一体何をやってるんだ。お前にはまだやる事があるだろう』

俺はやっと、息が出来た気がしたんだ――


そうだ、あの事件は俺が引き継がなくてはいけない。

でないと、美鈴が浮かばれない。

空いてる時間を使って、一から捜査をやり直した。

東課長は前より大人しくなった俺が、単独捜査している事を知っていたが何も言わなかった。

皆も知っていた。でも止めなかった。

『それは新堂。お前がやるべき仕事だ』と。


新堂はモニターの中のデータを確認する。

神崎が何かをやっているのは間違いないのだ。

あとは尻尾を掴むだけだ。


美鈴は生きていた。

腕が無くても、足が無くても、そんなのどうでもいい。

絶対に俺が守る。


新堂はすぐにでも美鈴に会いたい気持ちを、グッとこらえ資料をアップした。

送られてきたアドレスを眺め、狭い玄関から大きな体を出そうとした時

何も無い部屋をグルっと見渡した。

あの時全て家具類はすべて捨ててしまった。

ちょっとした衣類と布団とネットだけしかない。


そうだ、帰りにちゃぶ台とコーヒーカップのセットを買ってこよう。

班長、俺のコーヒーだけは褒めてくれたからな。


何も無かった薄暗い部屋は、いつもより明るく感じ、新堂は部屋を後にした。

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