第8話 現実

 家に帰って来た敬太は、迷う事なく風呂場に直行する。

 服は破れ、血と泥でグチャグチャ。こんな状態では家の中で腰を下ろす事も出来ない。


 脱衣所で服を脱ぎ、服の状態を確認していく。上着はボロボロで再起不能、捨てるしかないだろう。作業ズボンも同じく捨て。トレーナー、Tシャツ捨て。インナーウェア、パンツ、靴下にまで穴が開いている始末だった。どれだけウサギに齧られていたのかが良く分かる有様だ。


 結局身に着けていたもの全てがボロボロになっていて、着ていた服一式を捨てる事になった。


 次いでシャワーを浴びるが、傷が染みて痛いなんて所は何処も無く、排水溝に流れる赤いお湯を眺めながら、凄いなと他人事の様な感想を抱いてしまったぐらいだ。

 温かいお湯で固まっている血を洗い流していき、特に酷い頭は、髪の毛が血で固まり束状になっていて、ほぐし落とすのに苦労した。


 シャワーを終えて洗面所でポージング。ポッコリと出ているお腹はいつも通りだ。たるんだ二の腕、細い足。何処にでもいる中年のおじさんが写っている。

 ぐるっと全身を見渡すが、赤い線のようなものが何本か見えるだけで、傷自体はすっかり消え去っていた。


 病院に行かずに済んだと喜ぶべきなのか、何とも言えない気持ちになる。


 ついでに拾った一万円札も洗っておく。血が付いて汚れてしまっているので、1枚1枚丁寧にぬるま湯で洗い流し、洗い終わったら洗面所の鏡に張り付ける。こうしておけば、お札が乾いた時に皴にならず綺麗になるのだ。

 拾ったお金は全部で8枚で、8万円になる。大金だ。



 敬太が帰ってきた家には父親も住んでいる。所謂、実家暮らしなのだが、複雑な事情で生活はいつもギリギリで送っている。


 3年前に父親が脳梗塞で倒れ大手術の末、なんとか一命を取り留めたのだが、半身不随に言語障害。重い後遺症が残り要介護となってしまった。

 母親は敬太が高校生の頃に離婚していて、兄は家庭を持ち別の場所で暮らしている。本来ならば、長男である兄の家庭で倒れた父親の世話するところなのだが、兄がそれを拒否しているので残った敬太が世話をするようになった。


 父親は60歳の時、早期退職制度で仕事を辞めていて、老後の為にと結婚相談所を使いパートナーを探し出し、ほどなくして見つけたパートナーと2人で暮らし始めていた。この頃の事は、敬太は離れて1人で暮らしていて、兄も家庭があり、実家から離れていたので詳しい事情は分からない。


 そして父親は63歳で倒れる。知らせを聞いた兄と敬太は共に病院に駆けつける。そこから手術などを終えて入院生活が始まるのだが、話で聞いていた父親と暮らしていたであろうパートナーがいつまで経ってもお見舞いに来なかった。不審に思った兄と2人で父親が生活していた所、要するに今いる実家に行ってみたのだが、そこはもぬけの殻となってしまっていた。


 父親の意識が戻り落ち着いた頃に、パートナーの不在という状況を話してみると寝耳に水だったらしく、そこから大捜索が始まるが、父親の退職金や、貯金などと共に行方知らずのまま。これは未だに進展はない。多分倒れた父親の後々の面倒が嫌になり、お金を持って逃げ出したのだろうと思っている。


 このような経緯があり父親は自暴自棄になってしまっていて、兄とは喧嘩状態となる。それで兄が、まだ手のかかる小さい子供の話を持ち出し、世話をするのを拒否し、敬太にお鉢が回って来たって話だ。


 父親の入院代と手術代を兄と敬太で払い退院。それと同時に、敬太は実家に戻る形になる。介護を全て他人に頼めるような金銭的余裕が無かったので、敬太は時間に余裕がある仕事を探し、今の夜勤の仕事に就く。


 父親が65歳になり年金の支払いが始まると、なんとか生活出来るようになったのだが、それまでの無収入時代の負担が大きく、サラ金にも手を出してしまっているのが現状だった。


 ババを引く形になってしまった敬太に不満は無かったのかと言うと、大ありで、何度、父親に手をかけようと思った事か。親なんだから当たり前などと言う人もいるかもしれないが、言うとやるのは大違いなのだ。一時は兄や、助けてくれた医者すら恨んだりしたもんだ。だが結局は、家族なのだと。諦め、我慢してやっと落ち着いてきたのが最近の事だった。


 だから拾った8万円は大金だった。


 今の敬太の稼ぎは、見栄を張って四捨五入して月収20万円だ。8万円は約半月分もの稼ぎにもなる。


 あの暗闇の中で見つけた時には偽札だろうと思っていたが、鏡に張り付けてある通し番号がバラバラな一万円札を見るとニヤけてしまう。これだけあれば人並みの正月が送れるだろう。


 戻って来たこの日は、父親の世話をして昼過ぎには眠りについた。




 敬太は夜勤生活なので夜には起き出し、洗面所の鏡に張り付けて乾かしていた一万円札を剥がし手にしていた。

 触り心地、見た目、大きさ。どれを見ても本物と区別がつかなく、念のためもう一度やってみた【鑑定】でも「本物」と出ているので、思い切って使ってみる事にした。


 万が一の事を考え、なるべく監視カメラが無い様な所で使ってみようと思い、小さな券売機がある個人でやってるラーメン屋に行ってみた。

 

「はい、らっしゃ~い」


 元気が良い店員の挨拶に迎えられ、ドキドキしながら入口にある小さな券売機に拾った一万円札を投入する。すると、ウィーンとつっかえる事無くお札は吸い込まれて行き、券売機のボタンのランプが光る。

 安定の左上にある「ねぎ味噌チャーシュー」を押すとジャラジャラとお釣りが出てきた。


 使ってしまえばあっけない結果だった。

 これで拾ってきた一万円札は本物で、使えるのが分かった。

 券売機と言う機械でさえ本物だと判断するのだから、本当に本物の一万円札なのだろう。


 敬太は、ほくそ笑みながらラーメンを啜った。

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