第5話 泣きっ面に蜂
「ブーーーン」
一万円札を懐にしまい、改札があった最初の部屋へ戻ろうとしていると、不意に暗闇の奥の方からハエだかハチだかアブだかの昆虫系の大きな羽音が聞こえてきた。
姿は見えず、暗闇の中から音だけが聞こえるので、耳を澄ませて探っていると、どうやらこちらへと近づいてくる感じがする。
男は既に傷だらけで、体力的にもキツく、もう動きたくはないのだが、急いで逃げる事にする。これ以上何かあったら、本当に死んでしまうだろう。
すぐに壁に手をつけ、改札があった部屋の方に向かって歩き出すが、ウサギにあちこち噛まれたり齧られたりしたところが痛く、早くは歩けない。
痛みを堪え、足を引きずる様にしながら移動していると、どんどんと羽音が大きくなってきて、何かがこちらへ近づいてきているのが分かった。
男は壁に手をつきながら、スマホのライトで音がする方を探るが何も見えてこない。気持ち悪いが、とりあえず改札部屋に急ぐしかない。
「ブーーーンブーーーン」
男が懸命に足を動かしていると、纏わりつく様な羽音が耳の側を掠めて行った。
もうすでに何かに追いつかれ、狙われている感じがする。
男は腕をグルグルと振り回し、来ないでアピールするが、すぐ側で何か大きな物が飛んでる気配が薄れる事は無かった。
姿は見えないがブーンという羽音が鬱陶しいので、闇雲に腕を振り回し続けているとバシッっと何かが手に当たり、そのまま地面に落ちたのが分かった。
急いで正体を確かめるべく、何かが落ちた辺りの地面をライトで照らすと、そこには黄色と黒のストライプのお尻、黒光りする羽、黄色い頭に、頑丈そうなアゴ。体の大きさが鳩ぐらいある巨大蜂っぽい物が、地面にひっくり返っていた。
こんな大物に刺されたら堪らんだろうと急いで足で踏みつぶし止めを刺す。
グシャリと言う音と、物を潰した感触が足裏から伝わる。
何とかまぐれで1匹仕留めたが、聞こえる羽音は止む事が無く、他にもまだ近くを飛び回っている奴がいるのが分かる。
「いでっ!」
急に、右腕の肘の少し上辺りに刺された様な鋭い痛みがした。反射的に手で払うとバシっと手応えがあり、何かが地面に落ちたのが分かった。急いでライトで照らすと地面の上でひっくり返っている大きな蜂がいたので、逃げられる前に止めを刺す。
この野郎、この野郎。とストンピング攻撃を繰り出した。
知っている一般的な蜂よりだいぶ大きいからなのか、何となく鈍臭く、案外簡単に仕留める事が出来た。
まだ他にいるかと周囲の音を探るが、もうあの大きな羽音は聞こえてこなかった。
「ふ~っ」と息を吐く。しかし、大きな蜂だった・・・。
刺さてしまったけれど毒とか大丈夫な種類なのだろうかと、踏み潰した蜂を観察していると、急に蜂の体から煙が噴き出し、蜂達もまた紫黒の煙に巻かれ出した。
煙が薄れ、蜂の姿が掻き消え、後に残ったのはまたもや一万円札。各1枚づつなのか大きな蜂を2匹仕留めたので、合計2万円が地面に落ちていた。
なんだか不思議な光景だ。地面にお金が落ちていたのではなく、煙が消えるとお金が現れるのだ。気持ち悪いけど、嬉しいような、複雑な気分だ。まぁ、お金に善悪は無い、拾っておこう。落ちている一万円札2枚も先程のポケットにねじ込んだ。
大きな蜂に刺された腕を摩りながら、改札があった部屋に向かって行く。
変な毒とか無ければいいのだけど・・・。
歩くのにチカラを入れると、あちこちの傷が痛むので、ちょこちょことした歩幅でしか進めないが、どうにかこうにか改札がある部屋の扉まで辿り着く事が出来た。
扉を開けると、まぶしい光が目に飛び込んでくる。
(明るいってだけで、こんなにも心強くなるとは・・・)
部屋に入り扉を閉めると気が抜け、チカラも抜けて座り込んでしまう。
扉に背を預け、明るい場所で自分の手の平を見た。血と泥に汚れ、赤黒く染まっている。
ズボンの方はビリビリに破れ、中の素肌が見えており、その素肌は血に染まり、所々血が渇いていて赤黒くガビガビしていた。上着もボロボロで色々なところが切り裂かれており、通気性は抜群だ。
(満身創痍だな・・・)
一時は「死」をも覚悟したが、どうにか安全と言えるところに戻ってこれた。
暫くの間、何もない空中を見つめて「ボー」っとしていたが、不意に寒くなってきたので現実に戻った。
(年末の寒い時期にこんな格好じゃなぁ・・・)
自分のボロボロになっている服の様子を見てため息をつく。
ぐるりと部屋の中を見渡すが、着る物も、羽織るような物も、寒さをしのぐのに役に立ちそうな物も何も無い。
とりあえず、床に直に座っているのも冷たいなと思い、立ち上がろうとしたが、左ふくらはぎに激痛が走り立ち上がる事が出来なかった。
この痛みはヤバそうだと思い、ズボンの裾を捲り上げ、傷の状態を見てみる。すると、ふくらはぎが一直線に切れていた。幅は人差し指の長さぐらいあり、深さも結構ありそうで、普段お目にかかれない赤いお肉や、黄色い脂肪が見えている。
一直線に開いた傷からは、心臓の鼓動に合わせ血が溢れ出して来ていた。
紺色の靴下は大量の血を吸ったらしく、全体的に黒っぽく変色し、スニーカーにまで血が流れてしまっていた。
傷口を見て、改めてマズいと思い、そこで初めてスマホから外部に連絡するという考えに辿り着いた。どうやら随分と焦ってしまっていたようだ。
血と泥で汚れている指でスマホの画面をタップする。
画面が割れてしまうと反応しなくなってしまう事が良くあるが、今回は大丈夫だったようで「119」と押す事が出来た。
「ツーツーツー」
繋がらない・・・もう一度かけてみるが、それでも繋がらなかった。
(料金は払っているから大丈夫だよな・・・)
どうして繋がらないのか理由が浮かんでこず、しばらく考えてやっと圏外なのではと思いつき画面を見ると、電波の所に「圏外」との表示があった。
「このご時世に圏外かよ・・・」
悪態をつきながら、足に負担をかけないように片足で立ち上がり、ケンケンをしながら部屋中の電波を探し回ったが、どの場所にも反応はなかった。
諦めきれずに、ケンケンで部屋の中を動き回っていたのだが、そうやって動きまわったのが良くなかったのか、次第に寒気が増していき、なんだか体も重くなってきてしまう。
そして、ついには立っているのも辛くなってきてしまい、とうとう床に腰を下ろしてしまった。
スマホを覗き込むと午前3時2分とだけ読めたが、目が回ってきているのか視界がボヤけていた。
何も出来ない・・・。
どうしたらいいんだろうか・・・。
考えがまとまらない・・・。
座っているのも辛くなってきてしまったので横になり、瞼を閉じると、そのまま意識は闇の中に落ちていってしまった。
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