第2話 暗闇の中

 普段、日常生活を送る中で本当の暗闇と言うものは中々経験出来るものではない。

 夜中に外に出ても街灯があるし、コンビニもある。それに、自動販売機の明かりもあるし、月もある。


 現代社会において本当に真っ暗闇になる場所はとても少ないだろう。そのせいなのか慣れていない暗闇が凄く怖く感じるし、それに閉塞感もあった。


 改札の部屋から扉の外に出てみたが、そこがどれぐらい広い場所なのか、そしてどんな場所なのか、空間全体を明かりで照らし見る事が出来ないので、まったくもって分からない。


 必死になって右、左、下、上とあちこちをライトで照らして頑張っているが、スマホのライトが照らし出す範囲しか、この世が存在していないかの様に感じてしまう。



 

 どれぐらいだろうか、10分~15分か、はたまたそれ以上か分からないが、ゆっくりと、すり足程度の速度で、左手側の壁伝いに暗闇の中を進んでいくと、前方に壁があるのがスマホのライトに照らされて見えてきた。左手の壁に対して直角な壁だ。


 一瞬、行き止まりかと思ったが、前方に現れた壁が右方向に伸びているのが見えたので曲がり角だと言う事が理解出来た。右手側の壁が見えないので大きな部屋の隅という可能性もあるが、どちらにせよそれは、改札があった部屋から一直線に進んできて初めての変化だった。


 へっぴり腰で進んでいたので、ここまでたいした距離では無いと思うのだが、緊張と酔いのせいで既に心拍数が高くなっており、疲れも出始めていた。


 とっととこんな訳の分からない所は脱出して、家に帰って寝たいものだ。


 そんな事を考えていると、前方の壁の下の方に、薄っすらと白い物があるのに気が付いた。


(何だろう?)


 それは抱えられるぐらいの大きさで、毛布を丸めて置いてある感じに見える。


 少々気味が悪いので、ゆっくりと距離を詰めて行き、ライトを白い物に集中させ正体を探っていく。

 すると突然、その白い物体が動き出し、視界から消えてしまった。


 男は突然の恐怖に体が硬直してしまう。


 白い物が動いた際、ライトに反射する二つの輝きが見えたからだ。

 犬とか猫の目みたいに暗闇でキラリと反射し、瞳が光っていたのだ。

 すなわち、その物体が犬だか羊だか山羊だか分からないが、何かしらの生き物なのが分かってしまったのだ。


 「なんでこんな所に?」という疑問が頭に浮かんだが、それ以上に正体不明の生物が、手が届きそうな距離にいて、暗闇の中に潜んでいるのが恐ろしかった。


「うぐぅ・・・」


 男は、恐怖のあまり叫び声すら上げられず、言葉にならないうめき声の様な物を発してしまう。軽いパニックに陥ってしまい、声が出なかったのだ。


 恐ろしくなった男は、スマホのライトを出鱈目でたらめに振り回し、白い物の行方を探そうとした。すると、突然右の太もも辺りにドシンと重い衝撃が加わった。


「いっ!」


 男は太ももに鋭い痛みが走り声を上げてしまう。

 何かぶつかった打撃系の痛みではなく、刺さった感じの痛みだったので、瞬時に「噛まれた」のだと理解する事が出来た。


 反射的に体を捻り、太ももに引っ付いたまま離れない白い生き物に向かって、空いている左手を払うようにして腕を振るった。すると、ドシっと左手に重さのある衝撃が伝わり、白い生き物が太ももから離れていってくれた。多分ビンタをかましたような感じになったと思う。


 男から離れて行った白い生き物の、フーフーと言う息遣いだけが、暗闇の中から聞こえてくる。


(怖い・・・)


 未知の攻撃的な生物との対面に、背筋には寒気が走り、膝が震えだしてしまう。

 ジンジンと疼く太ももからは、肉が抉らたような強烈な痛みがしていた。

 すぐに噛まれた太ももがどうなっているのか、傷の状態を確認したいのはやまやまなのだが、スマホのライトで照らし、うっすらと暗闇から浮かび上がっている、白い生き物から目が離せない。目を離した瞬間にまた噛みつかれるかもしれないという恐怖が、体を動けなくしていたのだ。


 日常生活において、犬や猫などが甘噛みをして来て、じゃれてくる様な経験はあったが、強烈な痛みがする程、強く噛み付かれるなんて初めての事だった。自分に危害を加えようとする相手が目の前にいるってだけで、物凄い恐怖を感じてしまうのだ。


(どうしよう、どうしたらいいのだ)


 男は、本能的に白い生き物から距離を取ろうと、足を後ろに引き、ゆっくりと後ずさりを始めた。


 だが、2~3歩後ろに移動すると、それに気が付いたのか、またしても白い生き物が飛び掛かって来てしまった。


 男が飛びついてきている白い生き物を見て「これはやべぇ」と命の危険を感じると、その瞬間がスローモーションの様にゆっくりと流れだし、色々な物がはっきりと見る事が出来た。


 白い生き物のヒクヒクしている鼻。白いモフモフそうな毛並み。長い耳があり、大きな前歯が男の眼前に迫って来ている。こいつはウサギだ。中型犬ぐらいの大きさがある俊敏なウサギだ。


(こんな大きなウサギ見た事も聞いた事もないぞ)


 ウサギが狙ってきている首筋辺りを防御しようと、肘を前に付き出し、首を守る姿勢を取ると、飛びつかれる衝撃に備えた。


「んぐぅ!」


 その瞬間、左腕の前腕に抉られるような熱い痛みが走った。


 まただ、また噛み付かれてしまった。

 男は本能的に悟った。


 防寒の為にそこそこ厚みのある上着を着ているのに、それをも貫通されてしまった様だ。


 男が反射的に噛まれた左腕を振り払うと、ウサギは投げられた様な格好となり、腕から離れて、暗闇の中へ飛んで行ってしまった。


 男は油断せず、すぐにスマホのライトで暗闇を照らし出し、腕の痛みを堪えながら、ウサギの行方を追った。


 そう離れた場所に移動していなかったウサギは、簡単に見つける事が出来たのだが、暗闇の中で鼻をヒクヒク動かしながら、赤い目を向け、こちらの様子を伺いジッとしているさまは、男に狙いを付けた捕食者の姿だった。


(くそぅ・・・怖いし、痛いし、なんなんだよ)


 ウサギと目を合わせながら、左手を壁につけてゆっくりと後ずさる。

 噛まれた太ももと左腕がジンジンと痛みを訴えているが、それよりも逃げる方が優先だ。


 慎重に後ろへと下がって行くと、今度はある程度ウサギとの距離が取れたので、先程から治まる事無くズキズキと痛みを訴えている太ももの傷の具合を確認した。


 ウサギから目を離さない様にしながら、噛まれた太ももにそっと手をやるとヌルッと濡れていた。

 なんだか嫌な予感がしたので、スマホのライトを一瞬だけパッと傷を触った手に当てると、明かりに照らされた手は真っ赤に染まっていた。

 これは尋常じゃないと、そのままライトで太ももも見てみると、太ももから膝、脛の辺りまでズボンが濡れているが分かった。黒い作業ズボンなので分かりづらいが、間違いなく血で濡れてしまっているのだろう。


 なんだか急に噛まれた場所の痛みが増した気がした。

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