3.孤独な魔女の食卓人形劇
君はとっても鋭く、綺麗な目をしているんだね。毛深く、耳も大きい。血で汚れた牙を備え、その大きな口で私を食べようとしている。
待って
いいものがあるよ。異国の美味しい食べ物さ。カレーっていうんだ。種類は豊富。ビーフにチキン、グリーンにイエロー。野菜大盛りだったりフルーティーだったり。まぁ、全部レトルトなんだけど。
でも、どうやら君は気にいってくれたみたい。行く場所がないなら、少しここにいるといいよ。レトルトに飽きたなら私がもっと美味しいものを作ってあげる。こう見えても『天才人形師』なんだ。自称だけどね。人形達をパパッと操って古今東西ありとあらゆる美味珍味を食卓に並べてみせるよ。
君の恐ろしい瞳はいつのまにか輝き、潤っていた。わかる、わかるさ。孤独は辛く、カレーは辛いものさ。
たまらず、君を後ろから抱きしめた。まだ食事中の君は泣きながらも不機嫌そうな顔を見せる。でも、なんの抵抗もしなかった。そして、とっても温かかった。
朝になると、君は少女の姿になっていた。なんの変哲も無い少女。綺麗な紅い瞳の少女。警戒しているようだったけど逃げなかった。人形達に君の服を仕立てさせる。綺麗な瞳と長いブラウンの髪によく似合う、それでいてシンプルな動きやすい服。
君は気に入ってくれたみたいだけど、その日の食事で酷く汚してしまって、残念そうな顔をした。
愛らしかった。私の心に何かが満たされていくのを感じていた。
大丈夫だよと頭を撫でても伝わっているのかいないのか。
まぁ、いいよ。悲しい気持ちも吹き飛ぶ甘いデザートの時間さ。
これも気に入ってくれたみたいだね。嬉しいよ。さて、明日は何を食べようか。
僕は言葉をあまり知らなかった。言葉を教えてくれる人を食べてしまったから。それを後悔した日が何日もあった。パトリナが作ってくれた料理を美味しいと伝えたくて、もどかしくなったことが何度あったか。感謝の思いを抱え込んだまま明かした夜は何日あっただろうか。でも、もう大丈夫。
「ロウ、こっちこっち」
パトリナに呼ばれて、僕は彼女の元に行く。ご飯の時間にはまだ早い。お勉強だろうか、本を読んでくれるのだろうか、人形劇を見せてくれるのだろうか。
彼女は少し考えごとをしているようだった。顔を歪めてうーうーと唸っている。
「あ、きたきた。ロウ、貴方にお使いを頼みたいの」
「お使い?」
「簡単なものだから。人里に降りるのは怖いかもしれないけど、お願いできる?」
「任せて!」
僕は嬉しかった。パトリナが僕を頼ってくれたこと、少しでも彼女の力になれることに。地図とメモをもらって家から飛び出す。
人里には何回か行ったことがある。今まではパトリナと一緒だったけど、もう大丈夫だ。言葉も理解できるし、会話もできる。お金の計算もできる。できるできるを確認する中で彼女との日々も思い出していく。なんだか、胸が熱くなってきた。早く帰ってパトリナと一緒にいたいな。
人里に入って、パトリナから貰った地図を頼りに歩いて行く。でも、なかなか目的地にはつかない。少し怖いけど誰かに聞いてみようかな。
丁度、横に同じくらいの身長の人が通りかかった。大きい人より少しは安心して話しかけられそう。赤い頭巾をかぶっているせいで顔はよくわからないけど。
「ね、ねぇ!」
「ん、なんだ?」
「え、あっ。み、道を聴きたくて」
「なんだ、迷子か?」
「いや、ここに」
頭巾さんは男の人だった。パトリナが操っている人形みたいな綺麗な顔をしている。彼に地図を見せた途端、大笑いされて少しびっくりしてしまった。
「なんだこのデタラメな地図は。描いたやつは線もまともに書けないのか! てか、目的地すらよくわからないじゃないか」
「ここ」
「ん? あぁ。ここねここ。あぁ、なるほどわかったわかった。そう読むのか。これ、隣里だな。暇だし俺が案内してやるよ」
頭巾さんはニッと笑って歩き出す。
「隣里に行くには森を抜けなきゃならねぇ。森には狡くて賢い悪いオオカミがいるからな。一人じゃ危ない」
「そうなの?」
僕はその森の中に住んでいる。でも、そんなオオカミには一度も出会ったことがない。まぁ、パトリナの家からあまり離れたことがないから知らないだけなのかも。
「俺がいたら大丈夫さ。この頭巾は猟師の頭巾なんだ。親父のお古なんだけど、かっこいいだろ」
頭巾さんは自慢するように、その綺麗な赤で染め上げられた頭巾を引っ張った。
「うん、赤ってかっこいいよね」
「わかってるじゃねーか! そうそう、赤は正義の色なんだ。だから、俺は悪いオオカミを倒す正義の猟師になるんだ」
頭巾さんと僕はおしゃべりをしながら森に入った。最初は勇ましかった頭巾さんも、森の深くに進むにつれて口数が少なくなっていく。頭巾さんから何か言われると反応できるけど、自分から話しかけるってのが僕にはできない。パトリナ以外と接する機会がないんだ。仕方ないよね。
でも、そのことを頭巾さんが知るわけもない。会話が途切れて、沈黙の中で歩き続ける時間が少し苦痛で、帰りたくなってきた。
そんなことをうだうだと考えていたからだろう。僕らはあっさりと森を抜けてしまった。緊張が解けた頭巾さんは大はしゃぎで、もう沈黙に苦しむことはないんだなと僕も安心した。
「やったぜ! オオカミのやつ、俺の頭巾に怯えて襲ってこなかったんだ」
両手を空に伸ばして頭巾さんは喜ぶ。僕も真似して両手を伸ばす。いえーいと頭巾さんが合図して僕らは両手を合わせた。パチンと軽快な音があたりに響く。
その後、頭巾さんの案内で何とか目的のお店にたどり着いた。
店主の人はパトリナの知り合いみたいで、彼女の手紙を渡すとお金なしに商品を持ってきてくれる。よく分からない石に、きらきらと輝く粉が詰められた瓶。パトリナはこれらを料理に使うわけじゃないと言っていたけど、結局何に使っているのかは教えてくれない。
「俺、ここの店不気味で近づけなかったんだけど、色々あってスゲーな。今度、何か買いに来よっかな」
頭巾さんは、店を出た後も僕についてきてくれている。でも、少し困った。僕は今から森に帰るわけだから、一緒に来てもらうってのも申し訳ない。あと、パトリナは家の場所を里の人に知られたくないみたいだし。
こんな時ってどうやって別れればいいの?
わからないよ。せっかく付いて来てもらったのに、用事が終わればそこでおしまい。なんか、申し訳ないんだよね。
だからと言って、僕に何か礼ができるわけでもないし。
そんなことを考えながら一緒に歩いていって。
気が付けば森の前。
「んじゃ、ちゃっちゃと抜けようぜ。俺がいるからオオカミなんて楽勝さ。それよりも、親父に黙って森に入ったからな。遅くなってそれがバレたときの方がよっぽど怖ぇ」
頭巾さんはお構いなしに森へと入っていく。僕は何も言えずにその後を追ってしまう。何とかなるだろう。でも、早くパトリナに会いたいんだ。おつかいできたよって報告して、褒めてもらって、おいしいご飯を食べたいんだ。だから、どうにかしないと。
僕らは来た道を通って進んでいく。反対方向に進んでいるせいか、また別の場所に見えて少し不安になる。でも、頭巾さんは一度通れたせいか、怖気ついた様子もなく、元気な笑顔と大きな声で僕に話しかけてきてくれる。
『うおおぉぉん』と低く恐ろしい声が僕たちを襲ってきたのはその時だった。僕たちの足は止まり、お互い腕と腕がくっつくくらいの距離まで近づいた。
「お、オオカミだ」
情けなく、弱弱しく、息を吐くように頭巾さんは呟いた。呼吸が少し荒れている。体も少し震えている。
怖いのだろうか。いや、怖いに違いない。僕も、その声を聴いたときは体が固まって頭が真っ白になった。でも、何もなくなった脳と心を満たしてきたのは、不思議なふわふわとした感情だった。まるでパトリナとご飯を食べている時のような。
嬉しい? 僕は喜んでいる?
しっぽが揺れてしまう。また聞きたいと大きな耳を澄ます。鼻で匂いを探る。
どこ。どこにいるの?
「うわぁぁぁああ!」
隣で大きな叫び声が聞こえた瞬間。僕は突き飛ばされた。やめて欲しいな。今は耳を大きくしているから、そんな声を出されると頭が痛くなるんだ。
「ば、化け物! 俺を騙したんだな」
あれ? と思った瞬間。全てを理解した。
「しまった!」
パトリナから言われていたんだ。人里に降りるときは人の姿を保たなくちゃいけないって。そのために、パトリナと特訓してきたのに。見せたら恐ろしいことになるって。言われていたのに。
「助けてぇぇぇ! 誰かぁぁぁ!」
頭巾さんが、ふらつきながらも必死で逃げていく。どうしよう。逃がしていいの?
僕は何もしないよ。大丈夫。なのに何でそんなに怯えるの。必死で追いかけて語りかけても、頭巾さんは石や枝を投げてきながらどんどん人里の方に逃げていく。
「お父さぁぁぁん! たすけてぇぇぇ」
泣きながら逃げる頭巾さん。何だか、悲しくなってきちゃうじゃないか。なんで、そんなに逃げるの。また一緒にお話ししようよ。ほら、耳もしまったし、尻尾ももう生えていないよ。
でも、どうしよう。もうすぐ向こうの人里についてしまう。頭巾さんも調子を取り戻したみたいで、僕よりも速いペースで駆けていく。追いつけない。
その時だった。
僕は、それが一瞬過ぎて理解できなかった。茂みから飛び出した何かが、頭巾さんに飛びついた。黒く大きい何かが。そして、頭巾さんの甲高く、一生耳に張り付いて離れてくれそうにない叫び声の後にすべてが停止した。何か以外のすべてが。
何かがこっちを睨みつけてウォンと吠えた瞬間。僕は動き出した。脳内は恐怖に支配されて、一秒先の自分がイメージできなくて。もう、すべてが終わってしまうんじゃないかって思った。それでも、僕は走っていた。
パトリナの人形の姿を見た時。たまっていたすべてが涙になって頬を流れていく。パトリナの人形は僕の前を先導する。でも、そのスピードがやけに遅い。
人形に追いついて、僕はそれを抱きしめてしまう。とにかく安心したかった。そこで気づいた。何かは僕を追っかけてきていなかったことに。
男は勇敢な狩人だ。それでいて里で一番静かな男。森を愛し、森の何たるかを熟知していた。オオカミの習性を知り、力量を知って、賢さを理解していた。
男は危惧した。自分が老いた後に、あのずる賢く人の真似が得意な悪いオオカミたちから森と里を守る者がいなくなることを。
男は子供を作った。女性になれていない男だったが、良い婚約者を見つけることができた。最初はそこに愛を感じたことがなかった男だったが、子供ができた時からその考えは変わり始める。
――子供をあの恐ろしいオオカミたちと戦わせることなんてできない。
しかし、子供は育っていくにつれて、狩人に憧れを持つようになる。無断で森に入るようになり、狩りに勝手についてこようとしてくることもあった。男は、お守りに自分の頭巾を子供に渡した。ずる賢いオオカミたちは既に自分のことを知っている。だから、この頭巾を見れば近づかないはず。そう考えた。
男は今、これらのすべてが間違っていたことを悟っている。頭巾のお守り、子供を野放しにしてしまっていたこと、結婚してしまったこと、狩人の後継者に悩んでいたこと。その全てを。
男の目の前には、見るも無残に食い殺された我が子の姿があった。まるで男の無念をあざ笑うかのように頭部だけは無傷で、頭巾も血が少しシミになっている程度。元々赤い頭巾。いくら汚れようが、ボロボロになろうが替えは作れる。そんな頭巾がこの状態で、この世に一人しかいない我が子は……。
「すべて間違っていたんだ」
男は、頭巾を拾い上げてそれを握りしめた。
「私が、この森のすべてのオオカミを殺せばよかったんだ。一匹残らず」
いくら彼女に抱き着いても、彼女の声を聴いても、頭を撫でられても、僕は安心することができない。
「ごめんなさいね、ロウ。怖い思いをさせてしまったわ。大丈夫、もう大丈夫。ほら、助けてロウ。貴方が強く抱き着いたせいで人形が思うように動かないの。これじゃ、夕食の準備ができない。おいしい料理を食べれば怖いことも和らぐわ」
わかってる。わかっているよパトリナ。ここは安全で怖がることなんてない。おいしいご飯を食べて、寝たらよくなっている。パトリナが傍にいてくれたら大丈夫。そんなの全部わかっている。
わかっているのに、震えが止まらないんだ。涙が止まらないんだ。
僕を拒絶した頭巾さん。何かに襲われた時の彼の叫び。何かの蒼く鋭い瞳。それらが何度も、何度も記憶に蘇っては消えていくんだ。
パトリナはもう何も言わなかった。力強く僕を抱きしめて、頭を撫でてくれた。「ごめんね」と今度は力強く、それでいて静かに呟いたのを聞いた。それ以降のことはよく覚えていない。
僕はここに来て初めて、夕食を食べずに夜を明かした。
オオカミの幼体は人のそれと同じ姿をしている。そして、人の中に紛れる。人と生活する中でオオカミの子供は自身がオオカミであることをある日理解する。それは本能であり、自然の摂理だ。そこでオオカミは拾ってくれた人間を食べ、初めて自由自在に変化できる騙しの能力を得る。
ある程度成長したオオカミは人以外を食べることができなくなる。その代わり、人を一度食べると長い間活動できる。人の姿に化けて。
森でうろついているオオカミは活動限界が近づいている者たち。人間を食べられなければ死に、食べればまた活動できる。これがオオカミたちの一生。余命は人より少し多め。
さて、君は少し特殊だ。通常よりだいぶ早い時期に、オオカミの姿になり人を食べたようだ。更に、それだけじゃ飽き足らず、森を徘徊して私のもとにたどり着いた、人と狼の半々の姿で。そして私を食べようとした。
私は天才人形師だから、君を操ってどうにか落ち着かせて食べ物を与えた。君は本来のオオカミとしての在り方に戻ることができた。君は他のオオカミより少し食いしん坊なだけだったんだ。
私のせいか君は限りなく人間に近い存在になってしまった。でも、もうすぐ私の料理も喉を通らなくなるだろう。
また、私は一人になる。君が望むならずっと一緒に暮らしていたい。なんだって、私たちは食卓を囲んだ家族なんだから。でも、やっぱり君は特別だ。とても愛らしく、とても大切だ。君をモノとして扱うことは私にはできない。
それにしても今日の君はお寝坊だ。もう昼時だというのに起きてこない。無理もないのかもしれないけど、もう料理の準備はできているんだ。そろそろ起こさなきゃならない。
「ロウ。そろそろ起きて。昨日食べなかった分、今日のお昼は豪華にしといたわ」
彼女の部屋に入った瞬間に何かが崩れる音がした。でも、私の目の前では何も起きていない。実際そんな音も聞こえていない。崩れているのは私の心の中の何かだった。
私は、ひっかき傷で荒れに荒れた、空の部屋を背に走り出した。
静かな森なのに、今日に限ってなんだか慌ただしい。何か良くないことが起こりそうで、それが私を急かす。君は進む道に引っかき傷を残していっている。木だったり、土だったり。私はそれをたどってただ走る。このルートだと、少しだけ見当はつく。
私は昨日、君のすべてを見ていた。何かあったときに助けてあげるためにね。あと、図を描くのが苦手だったから、君が私の地図を理解できるか不安だったこともある。
そう、すべて見ていたんだ。君が見ていないであろうことも。赤い頭巾の狩人。この森からオオカミを絶滅させようと燃える復讐の赤。銃を抱え、今もこの森を徘徊しているに違いない。
そして、私は君を見つけた。
「ロウ、やっぱりここにいたんだね」
小さなお花畑。その真ん中で君は寝ていた。真上から日の光が降り注ぎ、一枚の絵画のような美しさを感じさせる光景。オオカミと人の中間くらいの姿で君は寝ている。
「もう、心配かけないで。ほら、食事の準備はできているから起きなさい」
花畑に入って、彼女の頬をなでる。
でも、君は目を覚まさない。
そもそも、おかしいもんね。だって、ここに咲いているのは真っ白のお花だもの。なんで、こんなに真っ赤なの。なんで、あんなに温かかった君が、こんなに冷たくなっているの。
ひどい空腹で目を覚ました。まだ外は真っ暗。こんな時間に起きたのはいつぶりだろうか。この場所にいると、いつも満たされて、何か頭の中でモヤモヤする思いも消えていく。
でもなんだか今日は、モヤモヤが止まらない。そしてお腹がすいた。気が付くと耳と尻尾が出ている。なんだか牙も爪も尖っている。
――嫌だ。
僕がいくら頭を振っても、モヤモヤは収まらない。頭巾さんに突き飛ばされたあの瞬間を思い出す。だめだ。この姿はだめなんだ。もしかしたら、いつかパトリナにもあの顔をされるのかもしれない。彼女も僕から逃げていくのかもしれない。
嫌だ。それだけは嫌だ。
なぜか直らない耳を押さえつけて。尻尾を限界まで丸めて、尖った爪を壁や地面で研いだ。パトリナにこの姿をもう見せたくはない。彼女を起こさないようにゆっくりと、僕は僕に抵抗し続けた。
でもだめだった。結局逃げたのは僕だった。外に出て、夜空を見上げると、月が大きくて綺麗で丸くて。それが、なんだかモヤモヤを加速させた。
「お腹がへったよ。パトリナ。レトルトでもいいから、何かを食べさせて欲しいんだ」
そう口で言っても、僕はパトリナのもとに行けなかった。逆にどんどん家から離れていく。どうにかして、元に戻らないと。ご飯は戻ってからじゃないと。
僕は逃げながらもなお、僕に抵抗し続けた。いくら研いでも、爪は鋭さを増すだけ。
たまらなくなって叫びたくなったけど、それは耐えた。なんだか戻れなくなるような気がしたから。でも、それは意味のない行動だったのかもしれない。
目の前には真っ白のお花畑がある。月に照らされて綺麗に輝いている。ここはよく遊びに来ている場所。でも、夜に来るのは初めてだ。まるで全く違う場所みたい。
そんなお花畑の隅に男の人が一人座って顔を伏せていた。
赤い頭巾……。
でも、あの頭巾さんとは違う。大人だ、もしかして、彼のお父さんだろうか。男の人の紅い頭巾も白い花たちと同じように月に照らされている。その様子を見て、頭巾さんが言っていたあも言葉を思い出してしまう。
『赤は正義の色なんだ』
そう、赤はかっこよくて正義の色。なのに、僕は怯えている。
ギロリと、頭巾の中から男の瞳が僕を映す。睨まれた途端、体が動かなくなってしまう。怖いとかそういうものじゃない。でも、とても許しを請いたくて仕方がなくなった。「ごめんなさい、ごめんなさい」って。僕は何も悪いことをしていないのに。
「満月の夜は、オオカミの化けの皮が剥がれる」
その低く冷たい声は、何の抵抗もなく耳に侵入して脳をかき乱していく。
「若いな。皮をはがしたオオカミの中で、ここまで若いのは初めて見た。しかも、中途半端だ」
男はのっそりと立ち上がり僕と向かい合う。懐から銃を覗かせた瞬間。何を思ったのか、僕は男に飛びかかっていた。
そして、いつの間にかお花畑の上で仰向けに倒れている。
「あいつと同い年くらいと思って油断してしまったな。やはり、化け物は化け物か」
痛い。ものすごく痛い。熱い。
「そのまま、苦しんで死ね」
男の足音が聞こえる。それはどんどん遠くなっていく。それに合わせるように、僕も遠くに行こうとしている。お腹が痛い。前にもこれくらいお腹が痛かったことがあった気がする。
あの時はとてもお腹がすいていたんだっけ。何かに胃を握りつぶされているような痛みだった。でも、良くなった。助けてくれた。
「パトリナ……。助けて……」
助けて。また、助けてよ。なんて、図々しいにもほどがあるよね。逃げ出したのは僕なのに。馬鹿だよね。パトリナが僕を置いて逃げ出すわけがないのに。
また、パトリナの料理が食べたいよ。まだ、ちゃんと伝えきれていなかったんだ。「ありがとう」って。「おいしい」って。せっかく教えてもらったのに。一緒にいてくれたのに。
家族だったのに。
君の瞳は光を失っている。君の綺麗な髪を撫で、垂れ下がった大きな耳に触れる。血で汚れた小さな口をふき取って綺麗にしてあげる。
安心して
大丈夫だよ
とってもおいしい料理が今日もテーブルを埋め尽くしているよ。君が元気に食べる姿がまた見たいんだ。私は欲張りだからさ。一度、君の愛らしさに満たされた時から、もっと、もっとって限りがなかったんだ。まだまだ足りないんだ。
そんな傷じゃ、食べられないよね。動きたくても動けないんだよね。でも、大丈夫。私は『天才人形師』だから。自称だけどさ。
君が買ってきてくれた触媒を用意する。迷っていたんだと思う。だから、君に買いに行かせた。今思えば残酷なこと。でも、もう関係ない。これが最善なんだ。
とっておきの魔法がある。肉体が腐らず、ずっと綺麗なままになる魔法が。まるでレトルト食品みたいでしょ。君は僕のレトルトが大好きだったからね。気にいってくれるはずさ。でも、この魔法をかけると君はモノになってしまう。
でも気づいたんだ。君がモノになっても私たちは家族なんだって。だからさ……だからさ。
――私を一人にしないでよ。
私が指を動かすと君はスプーンを持ち上げる。カレーとご飯をかき混ぜて口に運ぶ。でも、笑わない。あの笑顔はもう見られない。でもいいさ。満たされない程度が丁度良かったんだ。
私は立ち上がって、君に近づいて抱きしめる。やっぱり冷たい。満たされない。
零れ落ちていく涙を無視して私は笑顔を作る。
「さて、明日は何を食べようか」
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