10(ジョサイア視点)

 ディオンヌのことを忘れた日はなかった。


 10年まえ――

 母上を亡くしたあの日からもう10年が経つというのに、ぼくは一瞬で気づいた。


 廊下に飾られた仮面を見上げる横顔が、彼女のものであることに。

 昔のような笑顔はなくとも、他の誰より美しい。


「あれ? きみ、こんなこところでどうしたんだい?」


 努めてさりげなく声をかけると、はっとした彼女がこちらを振り向いた。

 顔ばかり見ていたぼくの目に、彼女の全身がようやく映る。


 ……粗末な、使用人の服を着ている。


「きみ、ディオンヌだよね? どうしてここで、そんな格好をして……」

「お久しぶりでございます。わたしは先日雇っていただいた、使用人です」


 ぼくの言葉を遮るように彼女が言った。

 その声は硬かったが、10年まえに愛を誓い合ったあの少女が、立派なレディに成長した声だった。


 ディオンヌ。


 ぼくは彼女が何を見ていたのか、わかっている。

 骨董品の仮面だ。


 最愛の妻を失った父上が、戒めのために掲げたものだ。


 心臓に穿たれた杭のように、ぼくらを抑えつけてくれる。

 ぼくですら感じるものがあるのだから、父上自身はこの廊下を通るたび、どれほどの苦痛を感じることだろう。


 ディオンヌも、仮面を見ていた。

 苦痛というほどでもなく、ただ恐怖するような顔で。


 つまりはそういうことだ。


 ――でも待て、彼女は今、使用人と言った。

 父上があらたに雇った若い使用人というのは、ディオンヌのことだったのか。


「父が亡くなり露頭に迷ったわたしを、ジョーデン様が雇ってくださったのです」


 そう言って深々と頭を下げる彼女に、ぼくは返す言葉がなかった。

 父上は何を考えている?


 かつての盟友で、10年かけてようやく蹴落とした王国の危険人物。

 その娘を使用人としてそばに置く意味。


 病床の父上には酷かもしれないが、ぼくには問いただす権利があると思った。


「わたしのことは、ただの使用人として扱ってください。幼なじみのディオンヌは、死にました」


 思案するぼくに、ディオンヌが続けて言った。


 ディオンヌは……死んだ?


 そんなことを言わせている父上が、ぼくは許せないと思った。


 彼女が所在なげに顔の横に指を伸ばした。

 かつてそこにあった髪のふさを、指先でいじろうとしたのだろう。


 そうだ、ここにいるのはあの8歳の少女と何も変わらない。

 ぼくが彼女の髪を撫でてやりたい。

 いくらでも望むように、手が空を切らぬように、すべてを満たしてやりたい。


 でも、それには、手順が必要だ。

 まずは父上に考えを聞かなくては。


「特別なご用件がなければ掃除の続きを――」

「そうか……邪魔をして悪かったな」


 ディオンヌの輝かしい人生の邪魔をしたのは、ジョーデン家だ。

 でも、彼女をまた輝かせるのも、ジョーデン家でなくてはならない。


 決意により気持ちを断ち切り、ぼくは彼女のそばを離れた。

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