王子と偽りのキス

 二つの校舎の間の、通路というには広く、グラウンドというには狭い場所。

 渡り廊下が横断し、その周りに大きい植木やベンチが配置され、生徒たちの憩いの場所になっている。

 萌黄が信者を集めたのはその一角だ。

 萌黄に連れられ王子がやって来ると、すでに信者たちは集まっていた。


「七瀬ちゃん、集合って何かあったの?」


 萌黄の姿を見つけた信者たちは、だがその後ろの王子に気付くと途端に殺気立つ。


「あっ! ストーカーまで一緒にいるでござる!」


「てめぇっ! 何で七瀬ちゃんと並んでやがんだ、こらぁ!」


「ぶっ殺すぞ、貴様!」


「「「殺せ! 殺せ! 殺せ!」」」


「ひぃいいいいいいいっ!」


 信者たちから向けられる嫌悪の情に当てられ青ざめる王子。


「待って、みんな!

 ボクの話を聞いて!」


 そんな信者たちを萌黄がなだめようと声を張る。


「な、七瀬ちゃん……」


「どうしてストーカーの肩なんか……」


 納得のいかない様子の信者たちに向かって萌黄は訴えかける。


「みんな、ありがとう。

 学級新聞を読んで、王子先輩がストーカーだと知って、それでボクを守ろうとしてくれたんだよね?

 みんな、ボクの事を心配してくれたんでしょ?

 ホントに嬉しいよ。

 だけどね、あの新聞の内容は全部嘘なんだ。

 王子先輩はストーカーなんかじゃないんだよ」


 真摯に語り掛ける萌黄の様子に、信者たちもようやく落ち着きを取り戻し始めた。


「そ、そうだったのか……」


「よかった……悪質なストーカーはいなかったでござるね」


「なんだ、心配して損したよ」


 そんな信者たちを見て、王子もようやく胸をなでおろす。


(よ、よかった……。

 これで誤解は解けそうだな)


 だがそんな安堵する王子を見て、ニヤリと萌黄がほくそ笑む。


「そうだよみんな!

 先輩はストーカーなんかじゃない。

 だって……」


 そして萌黄は王子の頬に手を添える。


「……へ?」


 王子の顔を自分に向けると、萌黄はそっと顔を近づけていく。


「ちょっ、なっ……」


 そして――


「「「ぎゃああああああああああああっ!!!」」」


 ――信者たちの絶叫が轟いた。


「き、キスしたぞ!

 七瀬ちゃんがあの男に!」


「う、嘘だ! そんなはずない!

 これは幻覚だ!」


「ど、どういう事でござる!?

 ストーカーに何で……!?」


 阿鼻叫喚の信者たちだが、王子も訳が分からない。

 全員が戸惑う中――


「ごめんねみんな。

 王子先輩はストーカーなんかじゃない。

 先輩は――」


 ――萌黄がとんでもない爆弾を投下する。


「先輩は、ボクのカレシなんだよ」


「――――っ!??」(←声にならない王子の悲鳴)


「「「なぁあああああああああああっ!!!」」」


 信者たちの驚愕の声。

 その直後――


 ――ゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……


 ――一気に信者たちの殺気が膨らんでいく。


「ちょっ! お前何を言って――」


「ねぇ先輩、これでもっと楽しくなったでしょ?」


 慌てて詰め寄る王子に、萌黄はまたしてもニッコリ笑いかける。


(なっ! こ、こいつ……!)


 その笑顔が悪魔のように見えて、思わず絶句する王子。

 そして――


 ――ギュルルルルッ!


(ぐぉおおおおおっ! 呪いキタァー!!!)


 ――腹痛に襲われ、取るものもとりあえず逃げ出す王子。

 その背後では笑いをこらえる萌黄と、獲物を狙う蛇のような目つきで王子を見送る信者たちがいた。



     *



 萌黄やその信者から逃れ、トイレへと駆け込んだ王子。

 そのまま個室の方へと飛び込み――

 ――十五分後。


「な、何でこうなった……?」


 腹痛は収まったものの、信者たちが怖くてトイレから出られない王子は、個室の便器に腰を掛けたまま頭を抱えていた。


「萌黄ちゃん……。

 あの子、何を考えてるかさっぱり分かんないよ」


『まぁ、王子が困ってるのを笑う為やろな』


 トイレのタンクの上に置かれたバッグから、頭だけ出してイアンが言う。


『言ってみりゃ悪戯や。

 萌黄のヤツ、それだけのために王子を恋人やなんて言うたんや』


「なっ、悪戯!? それだけで!?

 アイドルなんだから『恋人がいる』なんて言ったら自分だって困るのに?」


『どうやら萌黄は底抜けの楽観主義者みたいやな。

 アイツ言うとったやろ、『ボクを楽しませて』って。

 スリルでも逆境でも、アイツにとって楽しければ何でもええんや』


「ぐぬぬ、なんて迷惑なヤツ!」


 王子は萌黄の楽しそうな笑顔を思い出す。 


「あの悪魔のような笑顔……。

 人を虐めて楽しむなんて、どこまでドSな女なんだ!」


『まーでも良かったやないか。

 これで目的は達成したんや』


 憤る王子にイアンが励ましの言葉をかける。


『これで萌黄のファンには恨まれるやろうけどな。

 それでも萌黄とのキスは達成できたんやし、結果オーライやろ』


「…………いよ」


『なんや? どうしたんや王子』


「……できてないよ」


『ん?』


 小首をかしげるイアンに、暗い目をして答える王子。


「……キスなんかできてない。

 アイツ、キスしたフリしたんだよ。

 手でうまく隠してさ」


『……え、マジで?』


「マジだよ! なんだよもぉ!」


 驚くイアンをしり目に、たまらず王子は天を仰ぐ。


「キスもできてないのに、ファンから狙われるようになっただけって最悪だよ!

 萌黄ちゃんと関わってから、何一ついい事がないじゃないか!」


『……やっぱ王子の手に負える相手やなかったなぁ。

 俺様でも、ここからキスに持っていける方法が見当たらんわ』


「うぅう……。

 俺、アイツ嫌いだ……」


『こうなったらキスどころやないかもなぁ。

 この後どうする気や、王子?』


「どうするって……。

 イアンでもここから挽回する方法が見当つかないんだろ?

 だったらもう諦めるしか……」


 王子がギブアップの意思を見せたその時――


 ――バシャアッ!


「ひぁああああああっ!?」


 ――個室の天井の隙間から、一斉にバケツで水がかけられた。

 ずぶ濡れで思わず悲鳴を上げてしまった王子。

 するとドアの向こうから――


「けっ! この害虫リアコ(※リアルに恋)が!」


「この程度で済むと思うなよ」


 ――そんな擦れ台詞とともに――


 ――ダダダダダッ!


 ――と、走り去る数名の足音が聞こえた。


「な、何だよコレ……?」


 濡れたまま呆然とする王子に――


『どうやら諦めたら済む問題やなさそうやな』


 ――そんな不吉な予言をするイアンであった。

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