王子と保健室での再会

 場所は変わって保健室――。

 独りきりデスクチェアに腰を掛け、物思いに耽る女性の姿があった。


「はぁ……」


 大きなため息をついた彼女は、保険のおっぱい先生こと、九重紅葉だ。


(今ごろ王子くん何してるのかな?)


 そんなことを考えては、首を横に振る彼女。


(……いけない、もう王子くんの事は忘れないと。

 もともと生徒と先生の間柄で、付き合おうなんて考えちゃいけなかったんだから。

 ……でも……あぁ、どうしよう)


 窓の外に目をやり、紅葉は自分の不甲斐なさを嘆く。


(どうしてなんだろう、私ったら。

 気づいたら彼の事を考えてる……。

 今だってほら、窓の外に彼の幻覚が……)


 ……ふと、そこで紅葉は気づく。

 窓の外の王子は、幻覚にしてはやけにリアルで……。


「――って、本物の王子くん!?」


 ――ガラッ!


 慌てて窓を開ける紅葉。


「な……何やってるの、王子くん?」


「――って、も、紅葉先生!?」


 突然声を掛けられ、王子の方も驚いた様子。

 しかも相手はあの……気まずい別れ方をした紅葉先生だ。


(し、しまった、ここは保健室の裏だった!)


 逃げまどっているうちに、避け続けていた保健室の裏までやってきてしまったらしい。

 あまりに突然の再開に、王子がフリーズしてしまっていると……。


「おい! あの王子って野郎は見つかったか!」


「こっちにはいないぞ! あっちじゃないのか?」


「早く見つけ出してぶっ殺せ!」


 ――などという怒鳴り声が遠くから聞こえてきた。


「な、何? 今の物騒な声は?」


 聞こえてきた声の不穏な内容に、紅葉は慌てて王子に問いただす。


「ひょっとして追われてるんですか、王子くん?」


「は、はい!

 実は今、ヤバくて……」


「わ、分かりました。入ってください」


 紅葉は窓を全開にし、中に入るよう促す。

 王子は一瞬ためらうも、徐々に迫ってくる萌黄信者たちの声を恐れ、窓から保健室へと逃げ込んだ。

 そして――


「いないぞ、おかしいな?」


「こっちだと思ったのに……」


「おい、あっちに行くぞ!」


 ――タッタッタッタ……。


 窓の外まで迫った信者たちの声が、今度は徐々に遠ざかってゆく。


「た、助かった……」


 ホッと胸をなでおろす王子。

 だが……。


「あ、あの……王子くん、大丈夫?」


「は、はい……た、助かりました……」


「……ひ、久しぶりですね、王子くん」


「そ、そうですね、アハハ……」


「…………」


「…………」


((き、気まずい……))


 一難去ってまた一難……王子にとってはそんなところだろう。

 居心地の悪い空気を変えるよう、紅葉が話題を元に戻す。


「と、ところで……どうして追われてるんですか?

 いったい何があったんですか?」


「そ、それは……」


 尋ねられても、王子としては――


(い、言えない……。

 あんな別れ方をしてすぐ、ストーカー騒ぎを起こしているだなんて……)


 ――当然口ごもるしかない。

 と、そのとき――


 ――ドンドンッ!


「先生! 紅葉先生いますか!?」


 そんな声とともに、保健室のドアがノックされた


「は、はい! ちょっと待ってください!」


 ――ガラガラッ!


「ど、どうかしましたか?」


 紅葉がドアを開けると、そこにいたのは数名の男子生徒。

 王子を負ってきた、萌黄の信者たちだ。


「紅葉先生!

 ここに二年の王子野王子が逃げてきませんでしたか?」


「さ、さぁ?

 私は知りませんけど……?」


 紅葉が笑って誤魔化してるうちに、王子はベッドの蔭へ逃げ込んでいた。

 信者たちが保健室をのぞき込んでも見えない位置だ。


「そうですか……。

 失礼しました」


「あ、あの……」


 諦めて帰ろうとする信者たちを呼び止めて紅葉が尋ねる。


「君たち王子くんを追いかけているみたいですけど……。

 いったい何があったんですか?」


「すみません、説明してる暇が……。

 あ、これどうぞ」


 紅葉の問いに答える代わりに、信者の一人がプリントを紅葉に渡すと――


「それじゃしつれいします」

「――逃がすな、探し出せ!」

「あのストーカーを見つけ次第殺せっ!」


 ――物騒な声を掛け合いながら、信者たちは王子を追って去っていった。


「な、何なんですか、これ……」


 状況が分からず狼狽する紅葉。


「い、いったい何があったんです?

 これはいったい……」


 そして紅葉は、渡されたプリントに目を落とす。

 その瞬間――


 ――ピシリッ!


 ――その内容に思わず固まる紅葉。

 そのプリントとは――もちろん王子のストーカーを報じた校内新聞だ。


「フ……ウフフフフ……」


「も、紅葉先生……?」


 虚ろに笑い始めた紅葉を、訝し気に呼びかける王子。

 だが紅葉は、王子の方を見ようともしない。


「うふふ……。

 私をふって何をしてるのかと思ったら……。

 王子くんも大変みたいですねぇ、ストーカーなんて……」


「あ、いやそれは……」


「『傷つける事しかできないから』なんて言ってましたよねぇ……。

 あれってお互いの事を想って別れたんだと思ってたんですけど……。

 ストーカーですかそおですか……」


「ま、待ってください!

 それは違くて、その……」


「私が思い出して泣いている間に、王子くんは他の女をストーカーしてたんですかそおですか……」


「だ、だから違うんですって!

 ストーカーするつもりなんて全く無くて、ただの偶然を勘違いされちゃっただけで……」


「ウフフ……そうなんですか?

 大変ですねぇ……」


「え、ええ、大変なんです……」


「ウフフフフ……」


「……ひ、ひょっとして……。

 す、すごく怒ってます……か?」


「……怒ってないですよ?

 ええ、全く怒ってないですよ?」


「…………」


「…………」


 張り詰めた沈黙が保健室を満たす。

 そのとき――


 ――ドンドンッ!


「紅葉先生! 中にいますか?」


 ――激しくドアがノックされ、紅葉先生を呼ぶ声がする。


「も、紅葉先生、呼ばれてますよ?」


「――ええ、そうですねぇ~」


 だが紅葉は全く反応しない。

 さらにドンドンとノックされるドア。


「先生、いま中で男の声がしたんですけど?」


「王子野王子を匿ってませんか?

 先生、聞いてます?」


 どうやら王子が保健室に隠れているのがばれた様子。


「あ、あんな事言ってますよ先生」


「ええ、そうですねぇ~」


「さ、さっきみたいに追っ払ってほしいなぁ~って思ってるんですけど……」


「ええ、そうですねぇ~」


「いや、その……き、聞いてます?」


「ええ、そうですねぇ~」


「も、紅葉先生?

 も、もしもーし……?」


「ええ、そうですねぇ~」


「ちょっ、先生!?」


 壊れたように同じ反応しかしなくなった紅葉に、イアンが『あー、こりゃアカンな』と呟く。


『紅葉のやつ、どうやら現実逃避モードみたいや』


(イ、イアン?

 な、何だよそれ?)


『優柔不断なやつがよく陥る症状やな。

 決断力のない人間がテンパったとき、それ以上悩まんよう思考を止めて現実逃避する。

 王子もよくやっとるやろ?』


(お、俺が?)


『問題が起こって頭が真っ白になった時に、すぐ考えるのを放棄して、朱音や俺様のアドバイスに頼ろうとするやんけ。

 もし頼るもんが無かったら、王子もきっとこんな感じになっとるわ』


(うぐっ、い、言われてみれば……)


 やはり王子と紅葉は似た者同士らしい。

 そうこうしているうちに――


「紅葉先生、開けますよ?」


 ――ガララッ!


 ――ドアが開かれ、信者たちが保健室へ入ってきた。


「あっ! いたぞぉっ!」


「捕まえろ!」


 当然見つかる王子。


「ひぃいっ、紅葉先生! お願い助けて!」


 王子は紅葉に助けを求めるも――


「ええ、そうですねぇ~」


「――ダメだ! 頼りにならねぇ!」


 ――紅葉は依然フリーズ中だ。

 そして――


「ストーカー死なすべし!」


「ガチ恋ハブるべし!」


「繋がり潰すべし!」


「「「異端者は殺せ! 殺せ! 殺せ!」」」


 ――ワァアアアアアアアッ!


「うわぁあああああああっ!」


 抵抗むなしく捕まった王子は、信者たちに連行されるのであった。

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