王子とアイドル小悪魔系

王子と王子野家のとある日常

 紅葉先生との忘れられない別れ――。

 その傷も言えない翌日の事――。


 夕食の準備を終え手持無沙汰になった王子は、リビングのソファーに腰を掛け母の帰りを待っていた。


「遅いなぁ、母さん」


 いつもならもう帰っている時間なのに……と、愚痴をこぼす。

 母子家庭の王子野家では、王子が家事全般を担っているのだが、今日は母親を待っている間に一通りの家事は終えてしまっていた。


 人間、暇になると余計なことを考えてしまうものだ。


 思い出されるのは紅葉の事。

 昨日の別れを思い出し、ズキリッと胸が痛む。


「――って、ダメだダメだ!

 何かやってないと思い出しちゃう……。

 そうだ、風呂はまだ掃除してなかったっけ」

 

 そう言い風呂へ向かおうと、王子が腰を上げたそのとき――


 ――ガチャリ。


「ただいまぁ~、プリンス~」


 扉の開く音と、帰宅を告げる皐月の声。

 その声色は随分と機嫌がよさそうだ。

「やっと帰ってきたか」と、王子は行き先を変更し玄関へと向かう。


「おかえり――って酒臭いなぁ。

 飲んできたのか、母さん」


「あによ~!

 一生懸命働いてるんだから、それくらいいいでしょ?」


「分かった、分かった。

 はい、靴脱いで。肩担ぐよー」


 王子はそう言うと、かいがいしく酔っぱらった皐月の世話を焼く。


「はーい。……ん?」


 その王子のらしくない態度をいぶかしむ皐月。


「ねぇプーちゃん、今日は何だか優しくない?」


「……へ? そ、そう?」


「いつもだったら『飲んでくるなら先に連絡してよ!』って怒るでしょ?

 あと『プリンス』って言っても無反応だったし」


「あーそういうこと?

 まぁ……今日はそんな気分じゃないだけだよ」


 自嘲的に微笑む王子。


「むー、何だか余裕の態度ね」


 そんな王子の様子に、皐月はさらに眉を顰める。


「…………もしかしてプーちゃん、童貞捨てた?」


「……母さん、息子に何てこと聞いてんの?」


「うーん、でもそれは無理か。

 なんたって女性アレルギーだもんね。

 でも、やっぱりいつもと違う感じが……。

 なんか大人びて見えるというか……」


 そこで皐月が母親の勘を働かせる。


「……じゃあひょっとして、なにか辛い事でもあった?」


「そ、それは……」


 図星を刺されて動揺する王子。


「べ、別に何もないよ。

 ほら母さん、ここ座って」


 昨日の別れを絶賛引き摺り中なことを、母親に知られるのは嫌だったのだろう。

 王子はそう誤魔化しながら、皐月をソファーに座らせようと促す。


「晩御飯は食べる?」


「いらなーい、食べてきちゃった。

 あ、これお土産ね~!」


 勧められるままソファーに座った皐月は、手に持っていたケーキボックスをゆらゆらと揺らし、王子に見せつけながらテーブルに置いた。


「なにこれ、ケーキ?」


「駅前で安売りしてたの~。

 それじゃお休み~」


「あ、ちょっと母さん!

 そんなところで寝たら……」


 王子が止めるのも聞かず、皐月はソファーに横になる。

 そして、あれよあれよという間に眠り込んでしまった。


「まったくもう、仕方ないなぁ」


 手足を投げ出して寝ている皐月の姿勢を整えると、王子はブランケットを掛けてやる。

 気持ちよさそうに眠る皐月を確認してから、お土産のケーキボックスへと手を伸ばす。

 箱を開けてみると、中には小型のパイがたくさん入っていた。


「ケーキじゃないな 、これ何だろ?」


『おっ、これは!』


 すると、それまで静かにぬいぐるみぶっていたイアンが、箱の中身に興味を示しだした。


『クンクン、間違いない!

 これ、ミンスパイやんか!

 俺様の大好物やで!』


「ミンスパイ?」


 イアンの説明によると、ドライフルーツをみじん切りしたジャムをミンスミートと言い、それを使ったパイがミンスパイらしい。

 イアンの故郷、イギリスの伝統的なお菓子だそうだ。


「へぇ、そうなんだ」


『うぅう、めっちゃ食べたいわ~。

 生前の俺様は、ミンスパイを食べながら楽しむアフタヌーンティが、セックスの次に好きやったんや』


「セックスの次って……」


『――そうや、王子!

 ちょっと協力してくれ』


 何か思いついた様子のイアン。


「協力? 何を?」


『ミンスパイを食べる間だけ、王子の体を貸してくれ!』


「か、体を貸す? な、なんだそれ?」


「この勲章あるやろ、これを王子の服につけてくれ。

 ちゃんとピンを通してや。

 そうすればこのぬいぐるみみたいに、王子の体を乗っ取れ……じゃなくて借りられるはずなんや』


「今、乗っ取れるって言ったな?

 嫌だ! 絶対嫌だ!

 イアンに貸したりしたら、何されるか分からないじゃないか!」


『そ、そこを何とか!

 十分! 十分だけでええから!

 お願いや王子! お願いします!』


「うっ……。

 そ、そんな泣き落とししたって、無理なものは無理だから!」


『――さよか。

 じゃあ脅す方向でいくかな』


「なっ!」


『ちなみに俺様が協力せんかったらどうなると思う?

 王子一人じゃターゲットを見つけることも出来へんのやけど?』


「ぐぬぬ……」


 王子のイアンのにらみ合いがしばらく続き――


「……分かった、十分だけだぞ」


『さすが王子、物分かりがよくて助かるわ~』


 ――折れたのは王子の方だった。

 言われた通りぬいぐるみから勲章を外すと、自分の胸ポケットにつける王子。


「おいイアン、これでい――」


 言いかけた王子の言葉が途切れ――


「――ぃよっしゃあ! 王子の体、ゲットやで!」


 ――王子の体を借りたイアンが歓喜の声を上げる。


『お、おい! 分かってるよな?

 十分だけだぞ! 十分!』


「分かっとる分かっとる。

 それじゃさっそく……」


 どうやらイアンと入れ替わると、王子の方が声だけになるようだ

 王子の体を借りたイアンは、ケーキに向かう前に台所の棚を漁る。


「ちぇっ、安物のティバックしかあらへんやん。まぁ仕方ないか」


 そしてテキパキと紅茶の準備をし始めるイアン。

 湯を沸かし、先にポットを温めた後、ティーバックとお湯を注ぐ。

 ふたを閉めて蒸らしている間に、ミンスパイを皿に並べていく。


「よっしゃ、ちょっと寂しいけどティータイム準備完了や。

 それじゃ早速――」


 まずは紅茶を一口。

 次にミンスパイをサクッと齧り、ゆっくりと味わう。

 そしてもう一度紅茶を口に含み、残ったパイの風味とともに飲み込んだ。


「ふああ、幸せや~。

 生きててよかったって気がするなぁ、幽霊やけど」


 イアンは幸せそうに身を震わせる。

 そうしてパイとティーを心ゆくまで堪能するのであった。


 ――――――

 ――――

 ――


 ――十分後。


「ふうぅ、久々のティータイムは全身に染み渡るなぁ~」


『おいイアン、食べ終わったんなら体を返せ』


 すっかりケーキも食べきって、イアンが満足しただろうと、王子はタイミングを見計らって声を掛ける。

 だが――


「クックック、それはできんなぁ」


 ――ニヤリと笑うイアン。


「せっかくの生身なんや、もうちょっと楽しませてもらおか」


『は? 何言ってんだよイアン?』


「そういえば王子、前々から思ってたんやけど……」


 そういうとイアンは、ソファーで眠る皐月に目をやる。


「……お前の母ちゃん、美人やな」


『ぬぁっ! ちょ、ちょっと待て!

 何する気だイアン!?』


「グフフ。安心せえ王子、ちょっと色々触るだけや」


 そういうとイアンは皐月に近づいていく。


「久々の生身の感触や~、たっぷり堪能するで~」


『テメッ、何考えてんだ! 止めろこのっ!』


 そして寝ている皐月の横に仁王立ちすると、ワキワキと怪しく動かしながら、その手を皐月の胸に伸ばす。


「気にすんな王子。

 ただの親子のスキンシップやんけ。

 ウヘヘ、それじゃ……」


『こんのっ!

 ふざけんじゃ――――ねぇっ!』


 王子がガチギレした瞬間――わずかに右腕だけ自由が戻る。


 ――バキィッ!


「『痛ってぇえ――っ!』」


 そして動かせるようになった右手で、自分の顔を殴る王子。


『なにすんねん、このボケ!』


「それはこっちのセリフだよ、何考えてんだお前は!

 ――って、良かった、体が元に戻ってる!」


 殴ったショックのおかげか、体の支配権は完全に王子に戻ったようだ。


『ちぃいっ!

 もうちょいやったのに』


「何がもうちょいだ!

 油断も隙も無いなお前!」


 これ以上イアンの勝手を許さないよう、王子は慌てて勲章を外した。


『あーっ! ちょっと待て!

 もうちょっとだけ体を貸してくれ!』


「ふざけんな!

 もう二度と俺の体は貸さないからな!」


『そ、そんなぁっ!

 わ、悪かった! 調子乗り過ぎた!

 謝るからたまに体を貸してくれ!

 久々のティータイムはめっちゃ楽しかったんや!』


「絶対に嫌だ!

 イアンの事はもう信用しないからな!」


『そんな事言わんと! お願いや!』


「ダメ! 自業自得だろ」


『そこを何とか! 許して!』


「無理! 許さん!」


『この通りや!』


「知るか!」


『お願い!』


「やだ!」


 そんなやり取りが繰り返され――


「……ねぇプーちゃん。さっきから何やってんの?」


「――はっ! か、母さん!」


 ――気づくと母親が目を覚ましていた。

 さすがに騒がしくて寝ていられなかったようだ。


「さっきからずっと一人で騒いでるけど、何やってるの?」


「それは……その……」


「ねぇプーちゃん……」


「な、なに、母さん?」


 言い難そうに間を置いた後、皐月は息子の目を真摯に見つめながら言う。


「いくら女性アレルギーだからって、母さんに欲情しちゃダメよ?」


「ち、違うから! 全然そんなんじゃないから!」


「さっきプーちゃんが大人びて見えたけど……。

 実はあれは、母さんを女として見ている雄の目だったのね……」


「やめて母さん!

 真面目な顔で、頭のおかしい事を言わないで!」


「言っとくけど母さんは今でもリチャードのものよ。

 プーちゃんがいくらあの人に似てきたからって、息子はあくまで息子。

 母さんは相手が誰だって、生涯あの人を裏切るつもりは無いから」


「だから違うって言ってるだろぉっ!」


 王子の絶叫が響く。

 そんな、王子野家のとある日常の風景だった――。

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