王子と楽しい二人の時間

「あ――……」


 ――スゥーッと王子の頬を涙が伝った。


「ちょっ! お、王子野くん――!?」


 突然の王子の涙に慌てふためく紅葉。

 その様子に、王子は自分が泣いていることにようやく気付く。


「――あ、あれ? どうしたんだろ?

 ご、ごめんなさい、先生……」


「だ、大丈夫ですか?

 あの、私何か変な事言ったんじゃ……」


「い、いえ、違います。

 先生が味方だって言ってくれた事が嬉しくて……」


 頬を拭った王子は、とびきりの笑顔でお礼を述べる。


「ありがとうございます、紅葉先生」


「――っ!」


 さすがは王子、得意のアイドルスマイルは破壊力抜群だ。


「そ、そうですか。

 それはよかったです、はい」


 紅葉は何事もないような態度で誤魔化すが、その心の内は千々に乱れまくっていた。


(な、何ですかその満面の笑顔!

 泣いた後のギャップでヤバすぎですぅ!

 心臓が、心臓がキューってなりましたよ!

 うぅう……な、何を考えてるの紅葉?

 彼は生徒で私は先生なんですよ、しっかりしなさい)


 どうやら紅葉にとって、王子の笑顔はクリティカルだったようだ。

 それを感じ取ったのか、王子は謝りながら話題を変える。


「あの……ごめんなさい、紅葉先生。

 相談活動とはいえベラベラと俺の事ばかり喋っちゃって……。

 そうだ、次は先生の事を教えてくださいよ」


「わ、私の事ですか?」


「はい。そうですねぇ、じゃあ……。

 ベタですけど、好きな食べ物は何ですか?」


「え、えっと……。

 辛いのが好きで、よくエスニック料理を作ったりしますけど……って、どうしてそんなこと聞くんです?」


「そりゃもっと先生の事が知りたいからですよ。

 ……ダメですか?」


「い、いえ、ダメって事はないですけど……」


「それじゃいろいろ教えてください。

 次は……最近見たドラマとか?」


「えっと……今見てるのは“科警研の娘”ですかねぇ」


「あー名前は知ってますよ。

 長いシリーズの奴ですよね。

 ああいう刑事ものとか好きなんですか?」


「ええ、刑事ものとかサスペンスとかはよく見ますよ」


「だったらアレは見ました?

 “謎解きはモーニング前に”」


「ええ、ええ、見てましたよ。

 徹夜で懸命に捜査するメイドさんが、健気で応援したくなるんですよねぇ」


「それで謎解きが毎回朝になって、ご主人様に怒られるってのがパターンで。

 そのせいで夜の番組なのに朝ドラって言われてましたよね」


「そうそう!

 それでメイド役の女優さんが――」


 話し出すと意外と会話の弾む二人。


(な、何だか思った以上に話が弾んでますねぇ。

 イケメンで緊張してたはずなのに、いつの間にか自然に話せてます)


 そこでふと、あることに気づく紅葉。


(そういや今日は、王子野くんの視線が一度も私の胸に視線がいかないですね。

 おかげで私も、余計なことを意識しないで、自然に話せてるのかも)


 感心した紅葉は、さらに原因を探ってみる。


(きっと王子野くんが、上手く話題をリードしてくれてるからです ね。

 それに、何というか……彼の会話のテンポが私と同じで話しやすいのかも。

 お互い波長が似てるというか、何だか安心して一緒にいられるみたい……。

 最初はイケメン過ぎて緊張するって思ってたんですけど、全くの杞憂でしたねぇ。

 いえ、それどころか……)


 ――そうして紅葉は、思わぬ結論にたどり着く。


(私……王子野くんとお話しするの、とっても楽しいかも……)


 ――――――

 ――――

 ――


 それから――

 紅葉の会話が随分と膨らみ、王子は長い時間保健室に居座っていた。

 気付くと辺りはもうすっかり暗くなっていて、スピーカーから閉門時間を知らせる校内放送が流れてくる。

 それを聞きつけた王子が、慌てて帰る準備を始めた。


「長居してしまってすみません、紅葉先生」


「いえいえ、大丈夫ですよ」


「さよなら先生、また明日」


「さようなら王子野くん。……また明日」


 退室する王子を見送る紅葉、その声は少し名残惜しそうだった。


 ――――――

 ――――

 ――


『ようやったで、王子!』


 帰宅途中の道すがら、イアンが楽しそうに話し出す。


『紅葉とのトーク、随分と盛り上がっとったやんか。

 それに……なんといってもあの涙!

 まさかあのタイミングで泣くとはなぁ~。

 涙で同情を誘い相手をコントロールする。

 まさにサイコパスのやり口やで!』


「誰がサイコパスだよ!」


 酷い言い草に、王子が抗議の声を上げた。


「あの涙は……えっと、アレだ。

 大げさな身の上話をしていたら、なんだか本当に悲しくなってきちゃって……。

 大げさには話したけど、苦労したのはホントだしさ……。

 そのタイミングで紅葉先生に優しい言葉をかけられたから、つい……」


『なるほど、演技にのめり込んでたっちゅうことか。

 まぁそのおかげで紅葉のヤツ、王子に同情して完璧に心を許しとったで。

 『おっぱいを見るな』っちゅうアドバイスもちゃんと守っとるようやし……。

 順調順調、こりゃキスまでそう時間はかからんのとちゃうか?

 ……って』


 上機嫌で話していたイアンは、急に黙り込んでしまった王子に気付く。


『どないした、王子? なんかあったんか?」


「ああ、いや、なんでも…………」


『……さよか? まあええわ』


 あっさりと納得すると自分の話を続けるイアン。


『ともかく王子、油断は禁物やで。

慌てずじっくり、まずは保健室に通い詰めて、紅葉との仲を深めていくんが肝心や。

 これから毎日通い詰めて――』


 その後もイアンの話が続くが、王子は上の空だ。


(なんだかあっという間だったな、紅葉先生との時間。

 イアンの言う通り似た者同士だからか、気負わず自然体でずっと話せたし。

 キスのために仲良くなろうとコミュニケーションを謀っていたはずなのに、いつの間にか会話しているのが楽しくなっちゃって……)


 紅葉との時間を思い出し、独り思案する王子。


(よく考えてみれば俺の周りの女性って、向こうからガンガン話しかけてくるタイプの子が多いよなぁ。

 あんな風に穏やかに話していられたのって、紅葉先生が初めてかもしれない……)


 どうやら王子の方も、紅葉の事を徐々に意識し始めたようだった。

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