王子と保健室の相談活動

「すみません、紅葉先生。

 長い間ベッドを占拠しちゃって」


 ベッドから起き上がった王子は、さもいま目が覚めたような雰囲気を出しつつ紅葉に声を掛けた。


「あら、王子野くん。

 目が覚めたんですね」


 机に向かって事務作業中だった紅葉は、椅子ごとくるりと王子の方へ振り返る。


「もう頭は平気ですか?」


「はい、もうすっかり元気になりました」


「本当に大丈夫ですか?

 やっぱり頭ですし、念のため調べてもらった方が……」


 紅葉は椅子から立ち上がると、患部を確認するため王子の頭に手を伸ばす。


「いえ、本当に大丈夫ですから。

 それより……」


 触れられて呪いが発動しないよう、慌てて身をかわしつつ話題を変える王子。


「保健室では、生徒の相談にも乗ってもらえるんでしょうか?」


「ええ、相談を受けるのも看護教諭の仕事ですよ。

 まぁ、あくまで健康面かメンタル面の相談で、恋愛相談なんてされても困っちゃいますけど」


 先ほどの男子生徒からの告白を思い出し、紅葉はわずかに眉をひそませる。

 告白の様子を見ていた王子は、だが何も知らないように話を続ける。


「そうですか……では学校で流れてる、俺の噂についての相談はどうでしょう?」


「噂ですか?

 たしか凄くモテて、嘉数高校のプリンスって呼ばれてるとか……」


 紅葉の語るかつての王子の栄光に、沈痛な面持ちで首を横に振る王子。


「それは昔の話です。今はこんな感じで……」


 そう言って取り出したのは――


【独占インタビュー!

 “嘉数高校のプリンス”の本性を知る女性たち!】


 ――というタイトルの入った校内新聞。

 黒子と紺奈、朱音のインタビューが載っていて、内容は王子が起こしたイザコザを、険を含ませて大げさに語ったものだ。


「校内新聞?

 ……まぁ! これって本当の事なんですか?」


 一読した紅葉は、その内容の酷さに思わず顔をしかめる。

 その様子に王子は「違います!」と慌ててフォローに入った。


「新聞に書いてあるのは、まるっきりの嘘なんです。

 でもみんな、コレを読んで信じてしまって……」


「えっ、大変!

 違うのならちゃんと訂正しなきゃ!」


「新聞部のインタビューを受けて反論はしました。

 ですが……その結果がこれです……」


 そう言い、次に取り出したのが――


【王子野王子くんに10の質問】


 ――そう書かれた学級新聞だ。

 前のインタビュー記事に対する反論として、王子のアンケート記事が掲載されたものなのだが……。

 王子の名を騙り、イアンが中二病風にアンケートに回答した、かなりイタい内容の記事となっている。


「……えぇ? な、何ですかコレ?

 どうしてこんな返答を……?」


 当然ながら紅葉もイタいと感じたのだろう、王子から一歩身を引き、怯えたような表情を見せる。

 王子は「これも違うんです!」と再度フォローに入る。


「俺も最初はちゃんと返答したんです。

 でもその後、笑いを取るつもりで変な回答をしてみたら、何故かそちらの方が使われてしまって……。

 冗談だってちゃんと分かっていたはずなのに……」


「ええっ、そんな!

 それって捏造も同然じゃないですか!」


 王子の弁明を聞き、引いた態度から一転、義憤をあらわにする紅葉。


「抗議しましょう、王子野くん!

 ちゃんと新聞部に抗議して、大々的に訂正してもらわないと!」


「いえ、もういいんです。

 きっとそんな事をしても火に油を注ぐだけ。

 群衆は真実よりも、面白おかしく書かれた記事の方を信じるんだって、この数日で気づかされましたから。

 だからもう泣き寝入りするしかないんです」


「そんな……酷い…………」


 同情の念を見せた紅葉に、そこへ付け入ろうと画策する王子(&イアン)。


「同情してくれるんですか?

 ありがとう、紅葉先生。

 何が辛いかって、誰もが俺の言うことを信じてくれなくなった事が本当に辛くて……。

 ……先生は、俺の言う事を信じてくれますか?」


「ええ、もちろんですよ」


「良かった……先生、またこうやって相談に乗ってもらえますか?」


「はい、任せてください。

 困っている生徒を放ってなんておけないですから」


「嬉しいです、先生!

 じゃあこれから毎日保健室に相談しに来ますね」


「……え、毎日……?」


 毎日と聞いて思わず言葉に詰まる紅葉。

 それを察知した王子は、畳み掛けるよう紅葉の良心に訴えかける。


「俺、いま学校中が針の筵で、他に居場所がないんです……」


「そ……そうなんですか?」


「俺の事、放っておけないって、言ってくれましたよね?」


「え、ええ、そうですけど……でも毎日は……」


「ダメ……なんですか?

 相談を受けるのも看護教諭の仕事だって言ってたのに……」


「えっと、あの……」


「……分かりました、ごめんなさい。

 俺の相談なんて受けたくないって事ですよね……」


「ま、待ってください!

 分かりましたから!」


 王子に詰められ、紅葉も断り切れなくなったようだ。


「そ、そうですよね、生徒の相談に応じるのも私の仕事ですから。

 いつでも来てくれて構いませんよ、王子野くん」


「本当ですか!」


 ついに折れた紅葉に、内心で(勝った!)とほくそ笑む王子。

 だがそんな感情はおくびにも出さず――


「ありがとうございます、紅葉先生」


 ――そういってニッコリと微笑みかける王子。

 王子が得意とする、女性を虜にするアイドルスマイルだ。


「――っ!」


 思わず息をのむ紅葉。

 王子の笑顔に見惚れるも、慌てて目を煽らし取り繕う。


「い、いやその、どういたしまして……」


「先生がいてくれて本当に良かったです」


「そ、そうですか? あの……はい……」


「それじゃ今日はもう帰ります。

 先生、また明日、放課後に」


「わ、分かりました、また明日……」


 ――ガララッ! ガチャッ!


 約束を取り付けるだけ取り付け、保健室から退出する王子。

 その姿を見送った後、紅葉は「はぁあ~」っと大きく息を吐いた。


(ふぅう、緊張ちゃった。

 王子くん……噂に違わないイケメンね。

 あんなイケメンを間近で見るなんて、慣れないから気が張って疲れちゃったわ)


 王子がいる間は緊張していたようで、いなくなってようやく安堵した様子の紅葉。


(特に悲しげな表情からの最後の笑顔……アレは反則よねぇ。

 あんな顔されたら誰だってやられちゃうって)


 王子の事を思い出し、ニヤニヤしてしまう紅葉。

 だがそのうちに――


(でも……どうしよう?

 毎日来るって言ってたよね、彼。

 一日二日なら目の保養だけど、こんな緊張する事が毎日続いたら、私の心臓が持たないかも……)


 ――と、紅葉は表情を曇らせる。


( 私は“平穏な保健室生活”が送れればそれでいいの。

 なのにあんなイケメンが毎日来られたら、平穏どころじゃなくなっちゃう。

 やっぱり『毎日は無理』だって断った方が良かったんじゃ……。

 でも……仕事だって言われちゃったら断る理由がないよね……。

 ああもう、私ったらどうしてもっと強気に出れないのかなぁ?)


 まだ先の事まで心配し、優柔不断にあれこれ悩んでしまう。

 それがこの養護教諭―ー九重紅葉という女性の性格であった。

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