王子と寝たふりスネーク②

 十五分ほど経った頃――


 コンコンと、再びノックの音がした。


「どうぞ、開いてますよ」


 紅葉が応えるとゆっくりドアが開き、一人の男子生徒が入ってきた。


「あの……すみません……」


「はい、どうしましたか?」


「保健室って……生徒の相談も聞いてくれるんですよね?」


「ええ、大丈夫。

 相談活動もやってますよ」


 やって来た男子生徒を迎え入れ丸椅子(スツール)に座らせる。

 そして彼と向かい合うように、紅葉はワークチェアに腰を下ろす。


「三年A組の山下くん……ですね。

 それで君は、どういった悩みがあるんですか?」


 学年と名前を聞いた紅葉は、要件を離すよう彼を促す。


「実は俺……好きな人がいるんです」


「えっと……相談ってまさか恋愛相談?」


「その人の事が本当に好きで、告白しようと思ってるんです」


 保健室での相談活動は主に健康面とメンタル面を受け持っているが、さすがに恋愛相談というのは管轄外だ。


「あの、ごめんなさい。そういう相談はちょっと……」


「だから紅葉先生――俺と付き合ってください!」


 断ろうとした紅葉に、男子生徒からのまさかの告白が。


「――って、ああ、そういう事ですか……」


 突然の展開だが、紅葉は意外と冷静のままだ。


「先生、俺、本気なんです!

 だから俺と……」


「ごめんなさい。

 君の気持ちに答えることは出来ません」


 即座に断られ、悲観した表情を見せる男子生徒。


「そ、そんな……どうして……」


「それは君が生徒で、私が先生だからです。

 生徒と先生が恋愛するだなんて、絶対に許されない事ですよ」


「そんなの関係ない!

 愛さえあれば立場なんて――」


「いいえ、関係あります。

 少なくとも私は、先生として生徒と恋愛する気はありませんから」


「そ、そんな……」


 取り付く島もない紅葉の態度に、絶望を見せる男子生徒。

 だがまだ諦めきれない様子で、一縷の望みを託して食い下がる。


「だ、だったら俺が卒業するまで待ってください!

 それなら生徒と教師なんて関係ないはずでしょう?」


「それは……ええ、そうですね。

 でしたら卒業まで気持ちが変わらなければ、その時にまた考えましょう」


「……分かりました。また来ます、紅葉先生」


「お元気で、山下くん」


 出てゆく男子生徒を見送ると、ふぅう~っと大きく息を吐く紅葉。


(卒業したら、なんて言っちゃったけど大丈夫でしょうか?

 もしかして彼、諦めずに卒業してからまた来ちゃうんじゃ……)


 どうやらハッキリ断らなかった事を後悔している様子。


(……いやいや、きっと大丈夫。

 三年生とはいっても、卒業まで十か月以上あるし。

 それまでには彼も心変わりしてる事でしょう)


 ウンウンと、自分を納得させるように頷く紅葉。

 だがやはり――


(でも……うぅ、やっぱり不安だなぁ。

 どうして簡単にあんな約束をしちゃうの?

 私のバカ……)


 ――自分の迂闊な性格を呪わざるを得ない紅葉であった。


 ――――――

 ――――

 ―― 


 一方、ベッドで息をひそめる王子はというと――


(紅葉先生、さっき『先生は生徒と付き合えない』ってきっぱり言い切ってたよね?

 さすがにこれでキスは無理なんじゃない?)


『うーん、どうやろ?

 むしろ俺様には割とチョロい女に見えるけどなぁ』


(へ? どこが?

 俺には鉄壁のガードだと思えたんだけど……)


『まぁまだ結論を出すのは早そうや。

 もうちょっと様子を見とくで』


(はぁ……まだ寝たフリを続けるのか……)


 ――どうやら王子たちのスネークはまだ続くようだ。


 ――――――

 ――――

 ―― 


 ――ガラッ!


 さらにニ十分ほど時間が経ち、再び保健室のドアが開かれる。

 現れたのはジャージ姿で強面の男性――体育教師の相田先生だ。


「九重先生、どうですか調子は?」

「あら、相田先生。どうしたんですか?」


 突然現れた相田先生に驚きつつ、保健室へと招き入れる紅葉。


「ちょっと様子を見に来ただけですよ。

 まだ九重先生は赴任間もないですから、慣れないことも多いでしょう?」


「ご心配ありがとうございます。

 大変ですがなんとかやれてます」


「それはよかった。

 困ったことがあったら何でも相談してくださいね」


「はい、ありがとうございます。

 今のところは大丈夫ですよ」


「本当ですか? 心配だなぁ。

 ――あ、そうだ!」


 わざとらしくポンと手を叩くと、さも今思いついたかのように提案する相田先生。


「よかったら今夜、一緒に飲みにいきませんか?

 学校の事、何でも教えてあげますよ」


「え、えっと……いえ、それは……」


「いいでしょう?

 今後の事もありますし、一度じっくりお話ししましょうよ」


「あの……すみません、今日はケンジの世話があって……」


「ケ、ケンジ!?」


 思わぬ紅葉の断りの言葉に、声の裏返る相田先生。


「も、もしかして九重先生、カレシが……?」


「あ、いえ、ウチで飼ってる犬の名前です。

 今日は家に誰もいないから、私が餌をあげないといけないんです」


「な、なるほど、ペットですか……」


 ペットと聞いてホッと胸を撫で下ろす相田先生は、さらにしつこく食い下がる。


「そ、それは仕方がないですね。

 じゃあ九重先生、明日ならどうです?」


「それはいいのですが……。

 でも私、門限が九時なので、あまり遅い時間は無理ですよ?」


「も、門限が九時って……」


 なんとか約束を取り付けようとしていた相田先生だったが、さすがに門限には絶句してしまう。


「いやいやそんな、九重先生。

 いくら何でも子供じゃないんだから……」


「ごめんなさい。

 でもまだ実家暮らしですし、親の言いつけは守らないと……」


「そ、そうですか……分かりました」


 肩を落とす相田先生。

 さすがにもう諦めたようだ。


「じゃあ何かあったら言ってください。それじゃ……」


「ありがとうございます相田先生。それでは――」


 ――ガララ~、ピシャリ!


 立ち去った相田先生を見送ると、紅葉先生は安心したように深く息を吐く。


「ふぅ、何とかなったかしら?

 ああして誘ってもらえるのは嬉しいけど……。

 でもやっぱり、私に職場恋愛なんて無理よねぇ。

 だって考えるだけで厄介そうですし」


 思わず独り言が漏れる紅葉。

 誰も聞いていないだろうと思っているだろうが……。


 ――――――

 ――――

 ――


 いまだベッドで寝たフリを続ける王子が、バッチリ聞き耳を立てていた。


(聞いたかイアン?

 どうやら紅葉先生って恋愛ごとには消極的みたいだな。

 やっぱりキスは難しいんじゃないか?)


 ハードルの高さを感じ、沈んだトーンになる王子。

 だが――


『いいや、むしろ俺様は確信したわ。

 この紅葉って奴はやっぱりチョロい女やで』


 ――王子に比べてイアンの声は明るい。

 どうやら勝利を確信しているようだ。



(はぁ? どうやったらそんな風に思えるんだよ?)


『それは紅葉が言い訳ばかりのイイワケ女やからやな』


(イイワケ女? なんだそれ?)


『聞いてたやろ、今の同僚の先生とのやり取り』


 首をかしげる王子に対し、イアンは自らの見解を述べる。


『職場恋愛する気がないなら、最初からそう言うたらええんや。

 それなのに『犬の世話』だとか『門限が九時』だとか、グダグダ言い訳してたやんけ。

 言い訳するんは自分を守るため。

 本音を話すと衝突したり問題が起こりやすいからな。

 それを避けて言い訳で済まそうとしたんやろ』


(だからイイワケ女?

 でも、そんなの誰でもやッてる事なんじゃ……?)


『そりゃまぁ王子はそう思うやろな。

 王子も優柔不断で言い訳の多い人間やし』


(なっ!)


「それにあの恋愛相談に来た生徒に対してだってそうや。

 スパッと振ったら諦めもつくのに『先生だから』って言い訳して断ってたやろ。

 自発的に断わると嫌われるからって、あくまで先生という立場を利用して断った。

 そのせいで相手に卒業したらまだチャンスがあると思わせてもうたよな』


(いや、でも、それだって……)


『気持ちは分かるって?

 やっぱり王子も同類やのぉ』


(むぅう……)


『まぁ待て王子、そう膨れんな。

 別にそれが悪い言うとるわけやないやろ?

 自分を守ろうとするのは当然やし、自分を押し殺してでも相手との衝突を避けようとするんは、むしろ立派な事やと思うで。

 ただ、そういう人間は押並べてチョロい奴やって言うとるだけやんか』


(うーん、それもよく分からないんだよな。

 言い訳するからって、だからチョロいとは思えないんだけど)


『分かっとらんな王子。

 まぁ俺様に任せとけ!

 俺様がイイワケ女の攻略法を教えたるわ!』

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