王子とモデルのお仕事

 翌日――。

 昨日の紺奈が使っていた撮影スタジオと比べ、倍ほどの広さがある立派なスタジオ。

 天井から巨大な照明がぶら下がり、たくさんの撮影機材が並んでいる

 スタッフの人数も倍以上いて、全員いかにも業界人といった印象だ。

 中には外国人もいるようで、英語の会話が聞こえてくる。


「な……なにこのマジな感じ……?」


 見た目だけ外国人、中身は日本の小市民な王子は、このいかにも業界といった環境に及び腰だ。


「ほ、本格的すぎない?

 今日は職場体験的なノリだって聞いてきたのに……」


『何をビビってんねん?

 ここでバシッと決めて、紺奈のヤツに見せつけたらんかい!』


 煮え切らない態度の王子を叱咤激励するイアン。

 ちなみに今日のイアンは、勲章スタイルで王子のポケットの中に納まっている。


「だ、だって俺、ホントはモデルなんてこれっぽっちも興味ないのに……。

 なぁ、帰っちゃダメかな?」


『アホか! 優柔不断もいい加減にせぇ!

 ここまで来たんやから覚悟決めんかい!』


「えぇ~……。でもさ、そもそも俺の目的はキスだろ?

 モデルをやることがホントに紺奈ちゃんとのキスに繋がるのか?」


『そこは俺様を信じんかい!』


「うわぁ、なんかダメそう……」


『なんやと!』


 そんな言い合いをしているところへ、昨日のマネージャーがやってくる。


「よく来てくれたわね、王子くん!

 早速撮影を始めましょ!

 編集長とカメラマンに紹介するから早く来て!

 ほらこっちこっち!」


「あの、ちょっ、待っ……」


 そして有無を言わせない勢いで、王子を連れて行くマネージャー。

 強引にカメラマンとの顔合わせ。

 そのまま打ち合わせが始まり、あれよあれよという間に撮影が始まったのだが――。


「君! 表情が硬いよ! もっと自然に!」

「同じポーズばかりだぞ! 適当にやるな! でも考えすぎるなよ!」

「ちゃんとコンセプトに合わせろ! 主役はお前じゃなく服だ!」


 罵声が飛び交い、その度に王子は縮み上がる。


(な、何だよコレ? メチャメチャ大変だぞ!

 モデルなんてポーズとッて写真に写ってるだけでいい、お気楽な職業だと思ってたのに!)


 モデルにやる気も興味も持っていない王子にとって、撮影は地獄でしかないようだった。

 そして――。


 ――――――

 ――――

 ――


「お疲れ様でーす!

 本日の撮影はこれで終了でーす!」


 その言葉を聞き、王子はハァーっと安堵のため息を吐く。

 そしてヨロヨロとスタジオの隅へ逃げ込むと、ヘナヘナと崩れるように腰を下ろした。


「や、やっと終わった……」


『お疲れさん、王子。

 どうやった、モデルの仕事は?』


 衣装の内ポケットに忍ばせたイアンが声を掛ける。


「思ってたよりはるかに大変だったよ……。

 紺奈ちゃん、毎回こんな事やってるのか……。

 すごいなぁ……」


 満身創痍の状態で、改めて紺奈を見直す王子。

 そこへ――


「やーん、最高だったわよ、王子くん!」


 ――そんな台詞と共にマネージャーが駆け寄ってきた。


「それで、やってみてどうだった?

 続けていけそうかしら、モデルの仕事?」


「あー、いや、残念ですけど俺には……」


 断ろうとする王子に、イアンから『ちょっと待たんかい!』とストップがかかる。


(な、何だよイアン?)


『今断ろうとしたやろ?

 アホか、何のためにここまでやったと思ってんねん?

 紺奈とキスするまではモデルの仕事を続けるんや!』


(い、いやでも、俺には無理だって、こんな大変な仕事)


『せやったら時間稼ぎや!

 しばらく考えさせてくださいとかなんとか言ってはぐらかすんや!』


(えぇ~……どうしてもダメ?)


『当たり前や! 自分の命がかかってる事を忘れたんかい!

 とにかく紺奈とキスするまでは、モデルをやめる事は許さんで!」


(うぅ……わ、分かったよ)


 テレパシーでイアンと作戦会議をした王子は、諦めてマネージャーの問いに答え直す。


「すみません、少し時間をください。

 続けていけるかどうか、もう少し考えてみたいんです」


「そ、そう、分かったわ!

 大丈夫、君は絶対モデルに向いてるから!」


 そうして王子のモデル体験は幕を閉じたのだった。



     *



 その日の夜――。


(まさか王子くんが、あんな事を考えていたなんて……。

 考えてみればあの容姿、モデルになったら最高の武器になるよね)


 紺奈は自室で悶々と、昨日の王子の事を考えていた。


(私だって自分の事はそれなりに美人だと思ってる。

 でも……美人ばかりのモデル業界じゃ、私程度の美人は大勢いて、凡庸の範囲内だって事もわかってる。

 だからこそギャル系読者モデルとして、読者に憧れではなく共感をしてもらえるようなポジションを維持し、努力して努力して、それでようやく専属モデルにまでなれたんだ)


 それが紺奈の自己評価だ。だけど……。


(だけど……王子くんにそんな努力は必要ない。

 私みたいに努力なんてしなくたって、あの容姿さえあれば簡単に他人を惹きつけられる。

 私のやってきた努力なんて、王子くんにとっては取るに足らないモノなんだ……)


 そこまで考えた紺奈は、苛立ちにまかせ――バンッ! と枕をベッドに叩きつけた。


「ふざけんな! あのクソ男、絶対許さねーからな!」


 キィイイイッ! となった紺奈は、その怒りにまかせて何度も枕を叩きつける。

 そのとき――紺奈のスマホの着信音が鳴った。

 誰だろう? と覗き込むと、モデル事務所のマネージャーからの電話だ。

 慌てて電話に出る紺奈。


「もしもし、お疲れ様で――」


 紺奈の挨拶が終わる前に、食い気味でマネージャーが話始める。


『もしもし紺奈? 聞いて、大変なの!

 王子くんが、王子くんが!』


「ちょっ、何ですか? お、落ち着いてください!」


『これが落ち着いていられるもんですか!

 なんと王子くんの今日撮影された写真が、来月のハイスタイルジャパンの特集に掲載されることになったのよ!』


「なっ――!」


 その知らせに絶句する紺奈。


(ハイスタイルといえばファッション業界を牽引するモード系雑誌の雄!

 私が専属になったハニーティーンとは格が違う!

 そんな雑誌に王子くんが……!)


 紺奈が専属しているハニーティーンは、所詮一般向けのファッション系雑誌だ。

 それに比べてハイスタイルは、業界に向けて作られているハイエンドなモード系雑誌。

 ファッションショーで活躍するような本物のモデルが何人も生まれていて、まさに一流モデルの登竜門ともいうべき雑誌なのだ。


(たった一度撮影を経験しただけでそこまで……?)


 その事実に激しく動揺する紺奈。

 そんな紺奈の様子に気付かず、マネージャーは王子の話を続ける。


『雑誌の編集長もカメラマンも、王子くんの事が気に入っちゃってさぁ。

 これから色々と仕事を頼みたいらしいのよ。

 でもねぇ、肝心の王子くんが、まだ完全に乗り気になっていないみたいなのよねぇ。

 ねぇ紺奈、アナタ彼の友達でしょ?

 なんとか上手いこと言って、彼をやる気にさせてくれない?

 ねぇ紺奈……って、聞いてる?』


 スマホの向こうで続くマネージャーの話。

 だが、それどころではない、今の紺奈の耳には届かない。


(たった一日……。

 私が努力してきた三年間を、たった一日で追い抜こうっての?

 そんなの……そんなの絶対に許せない!)


 ――そして紺奈が決意する。


(こうなったら……。

 こうなったら私だって――手段を選ばずにやってやる!)


 その目は暗い感情で鈍く光っていた――。

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