王子とドS黒子

「はっ……あははっ……」


 ――王子の手を振り払い、不意に立ち上がると壊れたような笑い声をあげた。


「……そうよね。あんなキス、王子先輩にしてみればただの遊びだったのよね。

 あの女もそう言ってたのに、私だけバカみたいに本気にして……」


 その様子に王子が黒子を見上げると、焦点の合わない目で立ち尽くす姿があった。

 感情を失った表情で、だけど口元だけが僅かに笑っている。

 それはまるで魂が抜け落ちた死人のようだ。


「私みたいなブスで何の取り得も無い女……。

 元から王子先輩に釣り合うわけないのに……。

 私なんて誰も必要としてない、居なくたって何も変わらない、そんな人間だもの。

 こんな私が生きてたって、これからもずっと寂しい人生なんだわ……」


「く、黒子ちゃん……」


 打って変わった黒子の態度に、不安を募らせる王子。


「だったらもういっそ、彼女じゃなく私が死んだ方が……」


「なっ! ま、待って! バカな事言うな!」


 そう言った黒子は本当に死んでしまいそうで、王子は立ち上がり慌てて声を掛けた。


「黒子ちゃん、もっと自信持って生きなきゃ!

 君は充分魅力的な女性だよ!

 でなきゃ俺もキスなんてしないって!

 いや、振ったオレが言うのもおかしいけど……」


 一瞬言いよどむが、決意を込めて話を続ける王子。


「――でも大丈夫!

 きっと君の事を好きになってくれる人はいるから!

 だから、死ぬなんて言っちゃダメだよ!

 生きてれば絶対にいいことあるから!」


「王子先輩……」


 勢いで説得しようとする王子に、死にそうだった黒子の焦点が戻る。


「……ありがとうございます、王子先輩。

 私みたいな人間にも慰めの言葉をかけてくれるなんて、やっぱり王子先輩は優しくて素敵な人なんですね……」


「な、何言ってるんだよ、黒子ちゃん……?」


「……ねぇ王子先輩。

 優しい先輩にひとつだけ、お願いしてもいいですか?」


「う、うん、何かな?

 俺にできる事なら何だってやるよ?」


「本当ですか?

 嬉しい、だったら王子先輩……」


 ――そして再び、黒子の瞳に狂気が宿る。


「私と一緒に死んでください」


「――へ?」


 おそらくスカートのポケットに忍ばせていたのだろう。

 気づけば黒子の手には、H型と呼ばれる大型のカッターナイフが握られていた。


「お願いします、王子先輩。一緒に死んで?」


「いやいやいやっ! 何でそうなるんだよ?」


 カチカチカチ――とナイフの刃が出される。


「大丈夫、痛くしないから。

 私も後から逝くから先に死んで?」


「待って! 落ち着いて頼むからお願い!」


 王子は慌てて距離を取ろうとするが、屋上と言う限られたスペースでは逃げ場がない。

 そんな王子に、目の逝った黒子がナイフを振り上げ――


「もう私を一人にしないで!

 一緒に死んでよぉ!」


 ――王子めがけて振り下ろす。


「うわぁああああああああっ!」


 ――体を捻り、凶刃を紙一重のところで躱した王子。

 地面に這いつくばりながら、慌てて黒子から離れる。


「な、何だよ! 何だよコレ!」


『あ~あ、だから言うたのに……』


 殺されかけてすっかり怯える王子の頭に、イアンの憐れむような声が聞こえる。

 

『ここまで病んでもうたら、もうどうしようもないわ。

 諦めて死ぬしかないで王子』


(お、おい! 何言ってんだよイアン!

 助かる方法を教えてよ!)


『今さらそんな事言われてもなぁ。

 俺様の言う事聞かんからこうなったんやろ?

 もう無理、いくら俺様でもお手上げやで』


(そ、そんなぁっ!)


 イアンにも見放され涙目の王子に、黒子がジワジワとにじり寄る。


「どうして抵抗するの? 一緒に楽になろうよ?」


 そして再び黒子のナイフが振り上げられる。

 今度こそ逃げられない、次に振り下ろされるときは、間違いなく王子を捉えるはずだ。


(やだやだやだやだ!

 死にたくない死にたくない死にたくないよぉっ!)


 絶体絶命――。


 ――人は命の危機に瀕したとき、その人の本質が出るという。


 では――王子野王子という人間の本質は何だろう?


 王子様キャラ? あんなものは他人の目を取り繕うペルソナだ。


 彼の本質――それは外見のイケメンっぷりとは程遠い、矮小で優柔不断なダメ人間。


 だから――。


「ごめんなさいぃいいいっ!」


 殺されると分かった途端、恥も外聞もなく土下座する王子。


「お願いします! 許してください!

 オレが悪いんです反省してます!

 だから許して殺さないでぇえええええっ!」


 その豹変っぷりに、殺そうとしていた黒子の方が戸惑いを見せる。


「ちょ、ちょっと……。

 な、何してるんですか王子先輩……?

 先輩は土下座なんてするような人じゃ……」


 だが、一度王子様キャラが剥がれた王子は、その醜態が止まらない。


「お願いします助けてください!

 黒子様の言う事は何でも聞きますから!

 だから命だけはっ!

 やだ、お願いじまずぅう!

 殺ざないでぇええ!

 やだぁあああ俺まだ死にだぐないよぉおおおおおおっ!」


 そうして懇願する王子の顔は、涙と汗と鼻水でぐちゃぐちゃだ。

 『嘉数高校のプリンス』などと言われた秀麗さは微塵も無い。

 ……いや、むしろ元がイケメンだからこそだろうか?

 恥も外聞もなく泣きわめく姿は、いつもの王子からギャップがあり過ぎた。

 だからこそみっともなさが際立ち、滑稽で見る者の憐れみを誘ってしまう。


「……プッ、クク……な、何、その顔……?」


 それは先ほどまで殺そうとしていた黒子ですら、思わず笑ってしまうほど。


「アハハッ!

 『嘉数高校のプリンス』なんて言われてる人が……。

 プッ、何て顔を……」


「違います!

 俺は王子様なんかじゃないんですっ!」


 だが笑われている王子の方は生き残るために必死だ。


「俺なんてちょっと外見がいいだけで、中身はクズのダメ人間です!

 黒子ちゃんより底辺のクソ野郎です!

 殺す価値もない最低男なんです!

 だからお願い殺さないでぇえええええっ!」


「…………」


 醜態を晒した王子の様子に毒気を抜かれたのか、黒子の表情から狂気が薄れていく。

 代わりに侮蔑を含んだ目つきに変化し、黒子は蔑むように土下座する王子を見下ろす。


「へぇえ……そうなんだ……みっともない最低男ね。

 王子先輩がこんな人だなんて知らなかったわ」


「はい! みっともない最低男です!

 黒子様に軽蔑されて当然の男なんです!」


 黒子に蔑視されている事に気づくも、殺されるよりはマシだと全乗っかりする王子。

 そんな泣き顔の王子の様子に――ゾクゾクッと黒子の背筋に快感が走る。


 ――学園カーストで最も上にいる男が自分に媚びへつらっている。


 その状況が、ドMだった黒子に、今までに無かったはずの感情を芽生えさせる。


 ――もっとこの男の泣き顔が見たい!


 相手の嗜虐心を掻き立てる、今の王子も立派なドSホイホイだった。


「アハハ、王子先輩ってホントにダメな人間だったんですねぇ。

 こんな人だと知ってたら、私だって好きにならなかったのに」


「はいっ! 俺はダメな人間です!

 ダメ人間でごめんなさい!」


「ところで……王子先輩?

 先輩はどうして私にキスなんかしたんでしたっけ?」


「それは……偶然というか、成り行きというか……」


 カチカチッ――とナイフの刃を伸ばす黒子。


「――違います! 黒子様がとても魅力的だったからです!」


「ウフフ、そうなんだ。

 ねぇ先輩、もしかして先輩は私の事が好きなんですか?」


「はい! ボクは黒子様が大好きです!」


「へぇ、そう。そんなに好きなんだぁ」


 その返事に満足した黒子は、カッターの刃を戻し、ポケットにしまう。


(た、助かった……)


 命の危機が去った事に安堵する王子。

 だが、黒子のターンはまだ終わらない――


「ねぇ王子先輩、だったら証明してよ。

 私をどれほど好きなのか」


 ――そう言った黒子の瞳は、嗜虐の喜びに満ち満ちていた。

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