たのしいがっこうせいかつ
ひとことで言うなら、彼女――真の学力は壊滅的だった。
「ハイ、歴史の問題です。いいハコ作ろう?」
「いいですね、作りましょう!」
「そうじゃねぇよ! なんで歴史の問題で工作の話になるんだよ! ていうか返事いいな!? ってちげぇよ馬鹿! 年代の語呂合わせだよ! 1185年! ハイ、何があった?」
「うーん……ヒントは?」
「ねぇよ! クイズ番組じゃねえんだよ! ああもう、ヒント! 源氏のだれだれがなになにを作った?」
「あっわかった! ジャニーズが光ゲンジを作った!」
「言うと思ったよ! 若干かすってるけどちげえよ! ジャニーさん何歳だよ!」
わざとかと思うほどの珍回答に、俺は安請け合いしたことを後悔していた。「あーどうしよう。俺自信なくなってきた」
「わたくしだって、悩んでるんです! でも、どうしても頭に浮かぶのは親父ギャグばかりで……」
「それが問題なんだよこら」
俺の一言で、彼女は頭を抱えて机に突っ伏してしまった。少し言い過ぎたと思う。こいつも、自分なりにすごく気にしているのだ。俺が、自分の口の悪さを気にしているみたいに。
「……そうだよな。悩んでるんだよな、馬鹿なりに」
「また馬鹿って言った!」
「うるせぇよ! 急に元気になるな! ほら! さっさと問題おぼえる!」
ひとまずは中間テストを目途としよう。そこまでに、今の授業の内容に追いつけるようにする。授業中の受け答えについては……いくつか考えがあった。
最初の関門は、数日後の授業中に訪れた。
「それじゃあこの問題を、真さん。答えて頂戴」
指名を受けて、真はその場に立ち上がった。「――はい」
問題は、英文の穴埋め。あいつはボーイズをぼよすと読むほど英語が苦手。問題は比較的簡単だが、あいつにはまだ荷が重いだろう。席が近ければ手助けはたやすかっただろうが、残念ながらそうではない。仕方ない、引き受けた手前、助け舟を出すことにする。
「――may not be です」一瞬目線を机に落としてから、真が答えた。
「はい、正解です。どうもありがとう」
しっかり正解をもぎ取り、笑顔で着席する。他の生徒からも、感心している様子が伝わってきた。
「やっぱりまずいんじゃありません?」授業の後、真が怪訝な様子で聞いてきた。
「なにが?」
「授業中にスマホで答えを送るなんて、フェアじゃないかと」
「フェアという単語をおぼえたのは褒めてやる」
「真面目に聞いてるんです!」
からくりは単純で、真の筆箱の中にスマホを仕込んでおいたのだ。チャット画面を常時開いておいて、必要な時は解答を送る。間違ったときは仕方ない。オレにもわからなかったら、大抵の奴もわからないだろうし、問題ない。
「ばれなきゃいいんだよ」俺は何でもない風に言ったが、彼女は納得したようには見えなかった。
「あくまで緊急手段だ。おまえが自力で答えられるようになれば必要なくなる」
そう、ばれなければいいだけ。誰だって、知られたくないことの一つや二つあるものだろう――それが裏目に出るとは思わなかったが。
「真ちゃん! 私たちと勉強しない?」教室に帰ると、数人の女生徒が待ち構えていた。先ほどの授業の態度が、思った以上に好意的に映ってしまったらしい。勉強会に誘われるようになってしまったのだ。
「――どうしましょう?」不安げにこちらを伺う真。
「――予習復習を追加するか」俺は小さくつぶやくしかなかった。
真に関してこんな感じだが、こっちもそれなりに苦しんでいた。
何にって、自分が作り上げたイメージ像にだ。あの、ファッ〇ン症候群が発症する前は、思ってもいないことだってさらっと言ってのけた。地頭は良かったから、性格さえ隠せば、何も問題ないと思っていた。そのせいで、調子に乗ってあまりにスキのないキャラクターを演じ続けたことがあだとなっていた。なにせ、オレに話しかけてくる人数は、毎日ひっきりなしなのだ。
「あれ? 会長風邪ですか? マスクしてるなんて珍しい」目ざとい生徒が、律儀に声を掛けてくる。「ん? あー、ちょっとね。君も気を付けてね」あまり突っ込まれたくなかったので、その場はお茶を濁して切り抜けた。
苦肉の策として、マスクをつけるようにしていた。気休めだが、最悪咳やくしゃみで誤魔化せばいけるかと踏んだのだ。
「会長、お風邪ですか?」
「大丈夫、頼くん?」
「具合悪いんですか、会長?」
自分の浅知恵を後悔し始めていた。話しかけるな、こちとら失言しないように必死で神経削ってんだ! 気を抜くとすぐに、過激な発言が発射されそうでひやひやする。恐らく政治家には一生なれないだろうと思う。
疲れている時や、具合の悪い時は最悪だ。ほんとうに、ぽろっと罵倒が飛び出すのだ。例えば――「ああ! 会長ごめんなさい! バケツの水が!」こういう時だ。
盛大に飛び跳ねた水しぶきが、頭上から降り注ぎ、制服は見る影もなくびしょびしょに。「ごめんなさい! なんてことを」女生徒はうろたえ狼狽してる。
いつもなら、ああ大丈夫、気にしないで、君は?けがはしてないかい?など、気の利いたことがとっさに言えるのだが――
「ぶっ――」危険を察知し、あわてて手で口を覆った。水で濡れたマスクが気持ち悪い。
「ぶ?」女生徒が訊き返す。
飛ばすぞまで出かかった言葉を飲み込む。バケツをぶちまけた生徒は、恐る恐るこちらをうかがっている。まずいまずいまずい。今は何をしゃべってもアウトな言葉しか出る気がしないぞ。神に祈った瞬間「ご無事ですかー!」おバカな神の遣いが、叫びながら滑り込んできた。
「ああ! こんなにお濡れになって!」こちらを見て察したのだろう。耳をオレのマスクに近づけ、声を聞き取るふりをする。
「え? 会長なんです? ふむふむ“僕は大丈夫、君はぶつからなかったか?”まぁ! なんてお優しい!」大袈裟な身振りで生徒に説明し、指示を出す。
「でも風邪が悪化したら大事ですわ! 会長のことは私に任せて、あなたはモップを持ってきてくださる?」言い終えると、半ば強引にこちらの肘を掴んで駆けだした。「それではごきげんようっ!」
「……よくわかったな」
無人の昇降口で呼吸を整えながら、ナイスなタイミングで割って入ってきた理由を尋ねた。真は胸を目いっぱい反らして「怒鳴られ慣れてますもの」と自信満々に言った。自慢できることでもないだろうに。だが、助けられたことは事実。
「恩に着る」
「いえいえ、お互い様ですわ」
案外、このコンビは悪くないのかもしれない。
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