第2話 異世界転生
草と土の匂いで目を覚ました。
「……夢じゃないのか」
声が若い。見えている手も、苦労の知らない手だ。
体を起こせば、目の前に広がる雄大な景色に目を疑った。ここは山の上か。のんびり暮らしたいとは言ったが、サバイバルをしたいわけでは無いんだが。
「ん?」
立ち上がればガチャリと音が鳴り、視線を落とせば腰に巻かれたベルトにはトマホークとネイルハンマーが掛かっていた。使い慣れた道具があるのは有り難い。
身長は元の体と同じくらいで、体重はこちらのほうが軽いな。カーゴパンツに黒いティーシャツ、靴はブーツか。頑丈そうだな。
「顔は――」
周囲を見回せば、草原に佇む木の脇に小さな池を見付けた。
水面を覗き込めば、映る顔が見えた。心労でほぼ白髪だった頭は黒髪に。顔は可もなく不可もなく。いやに三白眼ではあるが、容姿についてはどうでもいい。年齢は十六か十七くらいだろう。
なんの手掛かりもなく放り出されるとは……太陽の高さから今は正午前後だとわかるが、まずは人を探すか、住む場所を探すかだな。
「こんな場所で目が覚めたってことは……」
山の頂上に向かって坂を上がっていけば、古びたコテージがあった。大いなる存在とやらも、それなりに人情があったわけだな。
ドアを開けて中に入れば、使われている様子は無い。
電気は無いが、ロウソクと火打石は置かれている。火は自分で起こせってことね。テーブルに椅子に、ベッドにと何から何まである。キッチンに調理器具や食器はあるのに水道は無いが、外に井戸があった。
「飲めそうだが……念のため煮沸するか」
住む場所と水は確保した。あとは食料と、薪が必要になる。
幸いここは山の中だ。元の世界と同じだとすれば、いくらでも食べられる物はある。
コテージを出て森の中――ガサッと揺れた草むらに向かってトマホークを投げれば、何かに刺さったようだ。
「野兎か。前の世界では動物もゾンビ化していたから生きているのを見るのも久しいな」
兎一羽と木苺を二、三十粒程度。あとは落ちていた枯れ木を持ち帰って今日のところはこんなものでいいだろう。
そもそも警戒心なく眠ることも、缶詰以外の食事も久し振り過ぎて変に浮足立っている。
竈に枯れ木を入れて、火打石で火を点けた。意外と出来るものだな。
包丁は無いからトマホークで兎の腹を裂いて、皮を剥ぎ内臓を取り出して水洗いし、食べやすいように切り分けた。塩も無いから、足の部分はそのまま焼いて、他の部位は煮込んでみるか。
日が沈んできたのを見てロウソクに火を点けた。
焼いた野兎の脚と、野兎の煮込みスープ。デザートに木苺。豪勢な食事だ。
脚の肉を齧り、スープを飲めば体の中に染み込んでくる。
「はぁ……美味い」
温かい食事もいつぶりだったか。とりあえず今日はゆっくりと眠れそう……ん? ちょっと待てよ。
コテージ内のまだ開けていない扉を開ければ、トイレがあった。汲み取り式か。のんびり暮らすのなら自給自足で畑でも作らないといけないし、肥料にでもするとしよう。
その日は二年振りにゆっくりと眠ることが出来た。
次の日からやることは山積みだった。
まずは傍にある倉庫の中の確認。ロウソクの予備と木材、錆びた釘が大量に。あとは、クワとシャベルもある。御誂え向きだな。
次に周囲の散策を。動物は野兎だけでなく鳥もいれば、イノシシもいた。川には魚も泳いでいたし、生態系や存在している動物は前の世界と変わらないようだ。
異世界転生か……娘の本を借りて読んでおくべきだったな。
とはいえ、それも今は昔の話だ。地道にわかることからやっていこう。
倉庫にあった木材で箱を作り、そこに自生していた実の無い稲を刈って乾燥させた藁と糞尿を混ぜ入れて堆肥に。
コテージの傍の地面を鍬で耕し、木材を杭にして柵を作り、畑を完成させた。
草原で見つけた白い花の地面を掘ればジャガイモが出てきたからそれを種イモにして畑に埋めた。
「とりあえずはジャガイモだけでいいか。先のことを考えれば他の作物も欲しいが……四季があるかもわからないからな」
昼は作業をしていれば多少なり汗を掻く気候で、夜は涼しい。山というのもあるだろうが、季節としては春だろう。
夏になれば動物も活発になる。わざわざ狩りに出るよりは罠でも仕掛けたほうが早そうだ。
「さぁ、やることは多い」
一週間が経ち、山の中に落ちていた水瓶を拾ってきていちいち井戸から水を掬い上げる必要が無くなった。
二週間が経ち、穴を掘って石を敷き詰めたところに川の水を流し込み、そこに焼き石を入れて簡易的な風呂を作った。
三週間が経ち、堆肥を撒いた畑にジャガイモが育ってきたが、そこにイノシシがやってきて荒らして帰っていき、早急に罠を作ることに決めた。
四週間が経ち、獲れたイノシシは燻製肉にして、ようやく生活が安定してきた。
「あとは塩でもあればいいんだが……」
山の中にハーブ類はいくつか見つけたが、さすがに岩塩は見つからなかった。手っ取り早いのは温泉を掘り当てて、そこから塩を取り出す方法だな。
とはいえ、温泉を掘り当てる方法は知らないから、とりあえず掘ってみるしかない。井戸の場合は七メートルくらいで水が出るらしいが……シャベルはあるし、地道に掘っていくか。
一先ず今日のうちは掘る場所の辺りをつけて――ついでに竹を見付けたから水筒を作るとしよう。
水筒と燻製肉があれば少しは遠出が出来る。自分で塩を作るよりは人里でも見つけて、買うか貰ったほうが早いだろう。
これだけの環境が揃った小屋があるってことは、この世界に人が住んでいなければおかしい。ようやくこの生活にも慣れてきたし、良い頃合いだろう。
一メートルくらいの竹を肩に担いで戻る道中、何やらいつもと違う空気感に足を停めた。野生動物を相手にしているせいか、そういう感覚が鋭くなっているのは確かだな。
「キャーッ!」
女性の叫び声。こんな山の中で何に対して声を荒げるというのか。
声のしたほうへ駆けていけば、森の中で木を背に地面に座り込んだ子供が何やら見たこともない生物に襲われていた。
「モンスターというやつか」
疎い俺でもわかるが、モンスターに向けられた子供の掌から半透明な壁のようなものが出ているように見える。ああ、確か世間で言われている異世界転生とやらは剣と魔法の世界が定番なんだったか? そういうのを望んでいるわけじゃないんだが。
「はぁ……とりあえず助けるか」
近付いていけば、モンスターの体躯が俺の腰ほどまでしかないことに気が付いた。小さくて緑色、額から角も生えているし――まぁ、前の世界のゾンビに比べれば恐怖も無い。
「誰かっ、助けて――」
そんな声を聞きながら、横からモンスターを蹴り飛ばせば木に激突し血が飛び散った。
「あ~あ~、まったく。山が汚れちまった」
動物の死骸なら未だしも、さすがにモンスターの死体は放置しておけない。
などと考えていれば、こちらに向けられている視線に気が付いた。
「あ、あの……貴方は……」
「俺は――ああ、名前か……鬼碧小金だ。あんたは? お嬢ちゃん」
「お、お嬢って、たぶん私のほうが年上だと思うのだけれど」
そういや忘れていた。中身は四十二のおっさんだが、この体は十代だったな。
「まぁ、いいです。私はクレスフォン・ヴァンダーグ。クレアで構いません。とりあえず、助けていただきありがとうございます」
口調は気掛かりだが、礼儀は弁えているようだ。
「いや、こっちも通り掛かりなんでね。で、あんたは――クレアはここで何をしていたんだ? この先には何も無いぞ?」
モンスターのことやら半透明の壁やら訊きたいことは色々とあるが、一か月ここで生活をしていたのに、突然客が来るのは怪しいだろう。しかも、金髪で耳の尖ったお嬢ちゃんときたもんだ。
「私は数日前に見えた煙を追ってきました。ついこの間までは誰もいなかったはずなので、居るのなら助けが必要かと思いまして」
数日前の煙? イノシシ肉を燻製にした時のやつか? 普段、火を焚くのは夜だが、あの日だけは昼間にやっていたからな。
「その煙を出したのはたぶん俺だと思うが、別に助けは必要ないな。特に困ったことも無いし……ああ、強いて言えば塩が欲しいな」
「え、それはどういう――いえ、そもそも貴方の髪の色は絶滅したコクハ人のものですよね!?」
面倒な設定を載せられているようだが、どう返すのが正解だ?
「……俺が生きているってことは絶滅していなかったってことなんだろうが……ここで話すよりも小屋で腰を据えて話そう」
「小屋? そんなものが……え、でもその前に――」
焦ったように視線を向けたのは先程蹴り飛ばしたモンスターのほうだった。
釣られて目をやれば、死んだと思っていたモンスターが血塗れのまま立ち上がっていた。
「へぇ、頑丈なんだな」
取り出したトマホークを手に、モンスターの頭に振り下ろした。
「待って! それはアンデッドだから物理攻撃ではどうにも――」
頭が割れて地面に倒れ込んだモンスターを見下ろしながら、今のクレアの言葉を頭の中で反芻する。
「アンデッド? つまり、こいつは死なない? いや、死んでも生き返るのか?」
「燃やすしかないんです。矢で射っても、剣で切ってもアンデッドは死なない、はずなのだけれど……」
見下ろす先のモンスターは動かずに死んだままだ。
「死んでるな」
「そのようですね」
話が噛み合わないのに加えて、訊きたいことが多過ぎる。
「とりあえず小屋に行くとしよう。どうやら俺は世間知らずなようで……色々と教えてもらいたい」
「わかりました。私も助けてもらった恩がありますので。お伺いします」
慣れてきたところで新しい問題が出てくるのは前の世界と変わらないようだ。まぁ、前の世界では問題が起きる度に誰かが死んでいたわけだが。
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