第7話 肉食女子? 張飛、現る

「「ごめんなさい!!!!」」


 巨大な桑の木が隣接する家屋の中で、ふたつの声が重なった。

 居間の床の上で土下座するふたり。向かい合って、お互いに謝っている奇妙な光景だ。

 ひとりは小柄な美少女、劉備。恥ずかしさと申し訳なさが合わさって涙目になりつつも、額が床についている堂々とした土下座っぷりだ。そしてもうひとりの男は、もちろん関羽こと俺である。劉備に叩かれて見事に頬を腫らしながら、額を床に擦り付けている。


「何回、謝り合っているのですか。それぞれ悪かったということでいいでしょう」


 そう言って、椅子に座りながら俺らの様子を呆れた表情で見ているのは、劉備の母親。


 早朝に発生した「劉備の胸と耳モミモミ」事件の実情は、こういうものだった。

 母親曰く、劉備は寝ている時に服を脱いでしまうという癖があるらしい。今回は母親の部屋で寝るので、その悪癖が出ても大丈夫だろうとふたりとも思っていたらしいが、目論見が甘かったらしい。深夜に厠に行くために起きた劉備(まだ脱いでいなかったらしい)は、どうやら寝ぼけていて自分の寝室、つまり俺が寝ている部屋に用を足した後に戻ってしまった。寝ぼけ癖もあるらしく、俺には気づかなかったとのこと。


 そして脱ぎ癖が発動。それであの騒ぎである。

 いくら寝ぼけていたとはいえ、劉備は「危機意識が甘かったこと」と「ビンタしたこと」、俺は「うら若き乙女の胸と耳を揉んだこと」をお互いにしでかしてしまった。ただ俺も劉備も自分が悪いと思い、パニックから冷静になった俺たちは土下座合戦をしているという顛末だ。


 母親の忠言もあり、土下座を解いて椅子に座る俺と劉備。

 しかし、劉備はいまだその顔は恥ずかしさから真っ赤に染まっている。昨日は見た目に比べてしっかりとしていた印象だったが、目の前の彼女は年相応に見える(ちなみに21歳だったらしい。俺のひとつ年上だった)。


 まあ、すぐに忘れろというのも難しいだろう。パニックの最中、劉備が発した「男の人に触られたことはおろか、見られたこともないのに!!」という発言は聞こえなかったことにした。気取るワケではないが、それが紳士というものだろう。


「「…………」」


 お互い沈黙する。なんとも気まずい。と、それでも少し気が抜けたのか、俺は大きなあくびをしてしまった。事件は夜明けごろに起きたので、まだ睡眠が十分でなかったのだろう。なんだかんだで疲労が溜まっていたらしい。


 そんな俺を見て、劉備は「クスッ」と笑った。ちょっと空気が和らいだ気がする。


「まだ寝ていてもいいですよ。だいぶ早い時間に起こして……しまいましたから」


 朝の様子をまた思い出したのか、さらに赤面しつつ少しどもりながら劉備が提案してくれた。

 さすがにこれ以上甘えるのはとも思ったが、睡眠不足で頭が回らない。どちらにしろ今後のことはしっかりと考えたいし、思うと急がないといけないというワケでもないので受け入れることにした。


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 再び眠りにつき、目覚めたのはまだ昼前だった。といっても時計などないので、太陽の傾きから大体それくらいだろうと推測しただけだが。

 ただ睡眠は取れたようで、だいぶ頭がスッキリした。寝室から出て居間に入ると、劉備の母親が藁を編んでいた。劉備の姿は見えない。


「おはようございます。よく寝られましたか」


「ええ、おかげさまで。ありがとうございます。劉……娘さんはどちらに?」


「娘は草鞋を街に売りに出かけました。おそらくもう少しで帰ってくると思いますよ」


 昨日黄巾賊に襲われたのに、昨日の今日で外出して大丈夫なのかと思ったが、母親曰く、


「私もそう思って、今日は私が行こうと言ったのですが、あの子は『大丈夫よ』と。女ふたり所帯ですし、草鞋を売らないと暮らしていけませんからね……」


 草鞋を売る街までは人通りの多い道を通るので、人が少ない港への道を使っていた昨日と違って大丈夫だろうとのこと。劉備に別れを告げずに立ち去るのもと思ったので、邪魔にならない程度に藁編みの手伝いをして劉備の帰りを待つことにした。


 手伝いの最中、手持ち無沙汰もあったので、母親とも会話をすることで現状の把握ならびに自分の三国志の知識の再確認をした。

 黄巾賊が最近勢力を拡大していてここらへんでも略奪をしていること、しかし国は、幼き帝が帝位についており、宮中は己の私腹を膨らますことしか考えていない貴族ばかりでなかなか大規模の鎮圧ができていないことなど、一応自分が知っている三国志の流れと同様のことが起きているようだった。たしか史実などでは張飛の方が劉備とは先に会うことも多く、関羽が先に会うことはあまりなかったので、多少誤差もあるようだが。


「しかし、いい娘さんですね。昨日お母様のためにお茶を買われたと聞きました」


 黄巾賊の話で少し空気が重くなったので、話題を変えた。昨日劉備が母のために買ってきた茶の瓶は、居間の棚に置かれている。


「ええ、我が娘ながらよくやってくれています。父を早くに亡くして苦労しているというのに」


 そう言って、棚にある茶の瓶を愛おしく見る劉備の母。その顔は慈愛に満ちている。見た目だけの、あの女神とは大違いだ。

 お互いに支え合っているいい親子なのだな、と感慨深くなったそのときだった。


「奥さん大変だ!! 娘さんが黄巾賊にさらわれた!!!」


 突然扉を開けて駆け込んできた男が、入るや否やそう叫んだ。

 その内容に驚いた俺と母親は作業する手を止めて立ち上がり、男の元へ駆け寄った。


 劉備家の近くに住む農民である男が言うには、この家と街の間の道で劉備が歩いているのを先ほど男が見かけた。顔見知りなので声をかけようと思った瞬間に突如馬に乗った黄巾賊が数人現れて、劉備を無理やりさらっていったらしい。人通りは多かったが、日中のあまりに突然のことで男も含めて反応できなかったらしい。黄巾賊たちは武装をしていたので、その場にいた知り合いに役人に伝えるように頼んで、男はこの家に知らせにきた、ということだった。


 その話を聞いて俺は外に走り出そうとした。すると劉備の母が止めた。


「お待ちなさい! あなたが一人で行ってどうするのです! 相手は武装しているのですよ」


 たしかに道理である。しかし、先ほどの会話で、役人自体も黄巾賊を恐れていて見て見ぬふりをすることも多いと聞いた。なので待っていてもいつ駆けつけてくれるかはわからない。

 黄巾賊の目的はわからないが、あの整った顔立ちの劉備だ。おそらく昨日逃げ出した賊たちが行ったのだろう。時間が経ったら何をされるかわかったものではない。


「役人を待ってはいられません。俺が彼女を救い出します」


 母親の返事を待たずに、俺は家を飛び出した。


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 勢いで飛び出したが、行先のアテがないわけではなかった。

 家に知らせに来た男曰く、賊たちは村の近くにある森の方向に走り去っていったという。昨日、俺と劉備が出会った森だ。話を聞くに、あの森の奥にここいらに住み着いた黄巾賊の拠点があるらしい。おそらくそこに劉備を連れ去ったのだろう。


 森の入り口に着き、息を整える。地面を見てみると、真新しい馬の足跡がいくつか見えた。どうやら予想は当たったらしい。

 武器を持っていないが、まずは状況を見ようと森の中へと歩き出す。すると、森の入り口に奇妙なものが落ちていた。俺は近寄ってみる。


 肉だ。しかも生肉。

 手に取ってみる。間近で見ても、やはり肉である。牛か豚かなどはわからないが、鉄板で焼きそうな結構な大きさの生肉だ。黄巾賊の食糧だろうか。


 と、こんなものに構っている場合ではないなと我に返り、道端に肉を再度置こうと思った瞬間、


「あーーー! テメエだな! オレの肉を盗んだやつは!!」


 突然、森の中から声が聞こえた。

 驚いて声がした方を見ると、森に少し入ったところに人影が見えた。


 内容は乱暴なセリフだったが、女の声だった。昼間といえど森の中が薄暗くて顔はよく見えない。

 しかし、デカくないか? 少し距離があって正確ではないが、人影は180cmはある俺と同じくらいの身長のように見える。


「だれだ?」


 もしかすると黄巾賊かもしれない。そう警戒した俺は、距離を保ったまま人影に問いかけた。

 するとその質問は耳に入っていないのか、その女?はこう続けた。


「おいおい、ふてえ野郎だな! この様の肉を奪うなんてよ!!!」

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