第5話 劉備との出会い

 結局我慢できずに、ケラケラ笑う美少女。まぁ何度も言うが絵になる。ある程度のやりとりを通じて何を言っても無駄だとわかった俺は、彼女の笑いのツボが収まるのを待つ。

 ひとしきり笑って満足したらしい少女は、再び真面目な表情になりこちらを見る。


「じゃあ、これでアフターケアは終わりね」


「え? これで終わりか。せめてこの牢屋から出してくれないか。そうしてくれないと少し辛い」


 ここで時間を動かされても、また看守男とのやりとりが始まるだけだ。祖父からいくらか武術を教わっているので、油断しなければどうにかなるような気がするが、いかんせんアウェーすぎる。それくらいは求めてもいいだろう。ふと思い当たり、疑問を続ける。


「というか、なぜこの世界の関羽は牢屋に入っているんだ? なにか罪を犯したのか?」


 もし前科者としてなっているのであれば、入れ替わった俺もそうなってしまう。少しでも現状は知っておきたい。


「あー、それね。放浪した先で悪徳役人がいたらしくて、それに怒って斬ったらしいわよ。一刀両断」


 おお。さすが義に厚い関羽。役人への反逆で一刀両断とは少々血生臭いが、時代的にはしょうがないのだろう。結構政治も荒れている時代だったらしいし。


「まぁこの時代だとよくあることだし、私の力でここから遠いところに転送してあげるわ。限界もあって、国内からは出せないけど。距離があれば役人も捕まえようとは思わないでしょ」


 思いがけないサービスを加えられた形で要望を聞いてもらえて、安心した。すると三度重要な疑問が出てきた。どうやらやはり混乱していたようだ。現場を把握できて、ようやく頭が回ってきたらしい。


「何度も申し訳ないが、最後にひとつ。俺はこの後、自由に行動していいのか? 俺のせいで歴史が変わるというのは避けたいんだが……」


「心配ないわ。厳密に言うとこの世界は、あなたのいた世界とはつながっていないの」


「なに? どういうことだ?」


「とても近いパラレルワールドという表現になるかしら。基本的に出来事はあなたが知っている三国志のものと同じことが起きるけど、世界軸が違うから、たとえあなたが歴史を変えたとしても大丈夫よ。その結果、元の世界が異なる形になるということにはならないから」


 ちなみに、この時代の関羽はまだ劉備や張飛と会う前の段階ね、と最後に彼女は言った。

 なるほど。少々ややこしいが、どう行動してもいいというのはありがたい。正直関羽と同じように行動しろと言われても、現代日本の一般男子である俺には厳しい。実際には劉備に会ったりした方が歴史的にはいいような気がするが、まずは帰還する方法を探したい。この世界の住人には申し訳ないが、ここは自分本位で行動させてほしい。


「私とはここでお別れ。あまり現世に神が影響を与えるのはよくないから、もう会うことも多分ないと思うわ」


「わかった。いろいろと余分なことをされた気もしなくないが、感謝する」


「う……最後にかわいくないわね。まぁいいわ。じゃあ転送するわ」


 彼女は最後に、今まで以上に女神というにふさわしい慈愛を込めた微笑みになりながら、指を鳴らした。

 すると徐々に視界が薄れてくる。手足を見ると、自分の体が透けていくのがわかる。転送は、ゆっくりされるものなのか。


 最後に別れを言おうと彼女の顔を見ると、表情が変わっていた。

 おい、なんだその「やっちまった」というような顔は。


「あーー!! 大事なこと忘れていた!! この世界の武将は、お」


 最後まで聞けずに、俺の視界は暗転した。


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 女神……いやあのダメな女神に転送されて3日が経った。

 なぜ急にキャラでもなくこんな口が悪くなったかというと、転送された場所がとんでもない山奥だったからだ。

 牢屋の中には窓がなかったのでわからなかったが、時刻は夜だったらしい。気づいたら何も灯りも見えないところにいた瞬間の絶望はすごかった。心の中であの女神はやはりドSだと結論づける。


 あの女神が最後に言い切らなかったことも気になるが、どうにか人のいるところに行くことの方が最優先事項だ。とりあえずはこの世界で生きる基盤を見つけないことには何もできない。何もわからないところで死ぬのはゴメンだ。


 ちなみに食事は食べられそうな木の実でしのいだ。腹に当たるかと思ったが、不幸中の幸いでそれは避けられた。探索途中に川に出くわしたので、最低限の水分は取れたが、如何せん空腹は限界だ。


 そして彷徨うこと数日、ようやく人が通っている形跡のある道に出た。道を見た瞬間には涙が出そうになった。なぜ、こんな苦しい思いをしないといけないのか。全てはあの女神が悪い。


 日も傾いてきた。もうこれ以上の野宿は避けたいと焦る気持ちを抑えつつ、道を歩き出した。

 すると数分歩いたところに何か落ちていた。


 近寄って見てみると、それは草鞋だった。

 現代日本ではなかなか道に落ちているものではないので、ここがもう知っている世界ではないことを再実感した。目線を上げてみると、数メートルおきに何個か草鞋が落ちていた。いくら古代中国とはいえ、こんなに落ちているのは普通ではない。持ち主はなぜ気づかなかったのだろうか。


 落ちている草鞋を目で追っていくと、道が分かれていて森の方へと続いていた。人の足跡の数を見ると、おそらくもうひとつの道の方が街か村へとつながる道だろう。草鞋も気になるところだが、今は優先順位が違う。そう考え、もうひとつの道を歩き出した、その時だった。


「きゃーーーーーーーーーーー!!」


 と、女性の声がした。

 反射的に俺は、森に向かって走り出した。


 躊躇することはなかった。自分が手が届く範囲で誰かが困っているのであれば、手を差し伸べる。それもまた祖父の教えだった。今の声は尋常なものではなく、確実に誰かに助けを求めるものであった。


 森に少し入ると、3人の人影があった。女がひとりに、男がふたり。男たちが女を囲んでいて、何かを迫っている様子だった。

 

森の中はすでに薄暗く、顔はしっかりと見えなかったが、声や雰囲気から察するに女の方は若い少女のようだ。先程の叫びのイメージとは反して、「やめなさい」と強く反抗していたようだったが、男たちは聞く耳を持たずに彼女に少しずつ近寄って行った。少女と違い、木の間の日差しに照らされていた男の方たちは、どちらも中年のようだった。髪を黄色い布のようなもので括っている。あれはーーと思ったが、今はそんなことを考えている暇はない。


「おい! やめろ!!」


 怒鳴った俺の方を、男たちがいぶしげな目をして振り向いた。なんとも人相が悪い。少女も驚いた顔でこちらを見ている。


「何だお前は……? しかも変な格好しやがって……官吏じゃあねぇな」


 ちなみに今も俺は牢屋で目指した時と同様にジャージ姿だ。たしかにこの世界では珍しい物だろう。


「通りすがりの者だ。見たところ、彼女は困っているじゃないか。何をしている」


「てめえには関係ないだろうが!!」


 そう言って、男たちは腰に挿していた剣を抜いた。なぜみんな剣を持っているのかという疑問は時代的に愚問であろう。


「逃げてください! 私は大丈夫ですから!!」


 少女はそう俺に向かって叫んだ。自分が窮地なのに、気丈だなと冷静に思った。もし俺が逃げたとしたら、この時代だ。少女がどのような目に遭わされるかは、想像に難くない。そして、そんなことは避けたい。


「逃げだせば、見逃してやったのに。もう遅いぜ」


 俺が逃げないとわかった男たちは少女から離れて、こちらに向かってゆっくり歩き出した。気づかれないように横に動き、男たちと少女の位置が直線上から外れた時、俺は動き出した。


「い、痛ぇ!! や、やめろ!!」


 突如、戸惑い始める男たち。それはそうだ。なぜなら俺がふたりに向かって、地面に落ちていた石を投げ出したからだ。

 剣に対して、不用意に近づくのは危険だ。牢屋での出来事を経て、そのことを学んだ俺はあらかじめ落ちている石の位置を確認して、そこに移動して遠距離から投げまくった。もちろん少女に当てるような間違いは犯さない。そのために彼女から男たちが離れるように時間をおいたのだ。幸運なことに石は多く落ちていたので、弾切れの心配はない。


「ちくしょう! お、覚えてろ!!」


 ありがたいことに逆上することもなく、これまたなかなか聞けないようなテンプレな捨て台詞を吐いて、男たちは森の奥へと走り去って行った。戻ってくる可能性も考え、石をいくつか拾って、男たちが去って行った方向を気にしつつ、少女の方に近づいた。


「ありがとうございます。本当に助かりました」


 若い少女にとってショックな出来事であっただろうに、それを全く見せずにお礼を告げてきた。最初の気丈だと感じた印象は間違っていなかったらしい。森の中はすでに薄暗くなってきていて、近寄るまでどのような顔なのかは見えなかった。近づいてその姿を改めて見て、俺は思わず言葉を失ってしまった。


 少女が、とてつもなく美しかったからだ。

 牢屋にいた看守と同じ、いやそれよりも貧しいことが読み取れる質素な服装。しかし、少々汚れはありつつも艶のある長い黒髪に、強い意志を感じられる鋭さを兼ね備えた整った目鼻立ちは、その貧しさを感じさせない一種の高貴さがあった。


 身長は少し小柄。背中には布で作られた袋を背負っており、その破れた部分から草鞋が見えた。どうやら道に落ちていた草鞋は、彼女が落としたものだったらしい。しかし、そんな生活感を多々感じさせる格好ながらも、その佇まいはまさに「凛」としていた。このレベルの美少女は、元の世界でもなかなか見たことはない。


 俺の沈黙をなにか勘違いしたのか、少女は少し戸惑った表情になりながら言葉を続けた。


 そして、その言葉は、とんでもない内容だった。




「名乗らず失礼いたしました。私は劉備りゅうびと申します。字は玄徳げんとくというむしろ売りです」




 …………はああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!???

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