第3話 関羽の名は

「大の男が涙をこぼしながら、少女に抱き抱えられている」という状況に気づいた俺は飛びずさって彼女から距離を置いた。

 深呼吸をして落ち着きを取り戻したところで、少女の方を向く。


「この状況が現実であるということはわかった。そして、こうせざるを得なかったというのも納得した。怒ってはいない。なので詳しく話を聞かせてくれないか。」


 ここが現実ということであれば、まず重要なことは現状把握だ。

 そう告げると、彼女は安心したかのように満面の笑みになった。コロコロと変わる表情は魅力的であるが、今は見惚れてる場合ではない。


「よかった。そうね、さっき私が言ったことは覚えている?」


「ああ。ここが三国志の時代で、俺は関羽になったということ……だよな」


 改めて言葉にするとなんともバカらしい文である。

 ここが現実というのは納得したが、決して理解したとはいえない。突然「あなたは関羽になりました」と言われて、「ああそうですか。やったー」などとすぐに思える人間はいるだろうか。


「前提なんだけど、三国志ってそもそも知っている?」


 三国志ーー。

 かつて古代中国で起きた戦乱。「しょく」「」「」の三国間で中華制覇を争ったという、史実。

 歴史の教科書にも記述はある。そしてなによりその人間ドラマ、個性的かつ魅力的な武将の数々は多くの人を魅了するのか、現在も漫画や小説などの形でもエンタメとして残っている。

 一応史実をベースにしつつも、かなりアレンジされている作品も多いが。とあるゲームなど、軍師のはずの孔明こうめいがビームを撃っていたりしていた。


 そして、いまだに意味を理解はできていないが、女神こと少女曰く「俺がなった」という関羽。

 戦乱の世を憂い、むしろ売りから成り上がり、のちに蜀の統治者となる劉備玄徳りゅうびげんとくの義弟だ。同じく劉備の義弟となった張飛と共に、劉備を支えた義の厚い有名武将。豊かな髭を蓄え、薙刀を持っている、俺も好きな武将の一人だ。


 俺自身、祖父の影響で歴史小説にハマった時期があり、三国志を題材にした漫画やゲームも嗜んだのでそれなりに三国志には詳しい自負がある。ということは、先ほど看守たちが叫んでいたのは中国語か。道理で何を言っているかわからなかったワケだ。

 そのようなことを、再び浮き出した彼女に伝えた。神というものは地に足がついている状態は落ち着かないのだろうか。


「じゃあ、そこらへんの話はいいわね」


「ただ、俺が関羽になったというのはどういうことだ? というか、早く元の世界に戻してくれないか?」


「ちゃんと説明してあげるから待ちなさい。元々この牢屋には、この世界で生きていた関羽がいたのよ。で、その関羽があなたと入れかわったワケ。ごくたまにだけど、こういう事が起きるのよね。神隠しの交換的な? だから、それを感じた中国の神である私が慌てて駆けつけたの」


 早口かつ荒唐無稽な内容だが、一応なぜ俺がここにいるかの説明にはなっているな。自分自身は無宗教ではあるが、神というのは国別にいるシステムなのか。


 ……ん? 待てよ。俺が「本物の関羽」と入れかわって、ここにいるということは……


「ちょっと待ってくれ! じゃあ、俺のいた部屋にあの関羽がいるってことか!?」


 慌てて、信じたくない疑問を投げかける。髭面の大男が、現代の日本にいる!? しかも俺の部屋に!?

 俺と同じように言葉が通じなくて、もしパニックになって暴れたりしたら……。帰った時にどう近所に説明すればいいんだ! 自分で言うものなんだが、近所付き合いはしっかりしていて、覚えのいい青年で近所では通っている(はずだ)。そんな日々の積み重ねが台無しになってしまう。


「だから落ち着いて話を聞きなさい。そのためのアフターケアを私たちがしているの」


「アフターケア?」


「そう、あっち側では日本の神が対応しているわ。……問題なく転移後の世界で生きられるように」


 ? 

 その言葉を聞いた瞬間に、悪寒が走った。その響きは、まるでもう手遅れだというような。決して取り返しがつかないことが起きてしまい、可能な範囲でその被害を食い止めることが限界だというような。もう完全に元には戻れない。そんな意味に取れる言葉だ。


 俺はもっと早く気づくべきだった。もし、簡単に帰られるのであれば、俺が三国志の知識を持っているかなど、彼女がわざわざ問う必要などなかったことに。次々と出てくる信じられない情報に混乱したのか、気づかなかった。説明を重ねるごとに、少女の顔が曇っていっていることにも。


 なにを偉そうに現状把握が大事だ、なんて思ったのか。

 無意識に震えている声で、俺は少女に問いかけた。


「も、もう一度、聞きたい。俺を、俺を早く元の部屋に戻してくれないか……」


 目の前にいる少女は、先ほどあえて苦痛を与えた時よりも、その美しさを保ちつつさらに憐みを深めた顔でこう告げた。



「ごめんなさい。それは不可能なの。私たち神の力をもってしても」



 その言葉が鼓膜に届いた瞬間、先ほどの急激な頭痛とは異なった、鈍い、しかしより耐えがたい痛みを頭に感じた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る