第2話 夢ではなかった

 いつも通り寝て起きたら、牢屋に入れられており、看守が言語レベルで何を言っているかわからず、そしてなぜか斬られそうになったところに、これまた唐突にチャイナ服を着た美少女が現れ、「ここは三国志の時代で、あなたは関羽になった」という殊更ワケがわからないことを一方的に宣告された。


 この間、起床からわずか10分弱の出来事である。


 落ちつけ。心頭滅却。

 謎の言葉を告げた後になぜか満足げな顔をしたまま、目の前でこれまたなぜか物理的に浮いている少女は一度無視。目を閉じ、日課である座禅による瞑想を行う。先ほど頬をつねっても痛かったのは、きっとリアルすぎる夢ということなのだろう。早く目覚めるため、意図的に思考の底に沈んでいく。


(これは夢だ…こんなことがあるはずがない……考えるな、そうすれば夢から覚める……)


 少し落ち着いてきた。周りの音も聞こえなくなり、心に静寂が訪れ始める。

 以前、巨大な鬼に追いかけられるという悪夢を見た時も、夢の中で瞑想をしたら目が覚めた。きっと精神統一が睡眠時の状態に有効な効果があるのだろう。


 しっかりと時間をかけ、脳内が空っぽになった頃を見計らい、目を開けた。

 きっといつも目覚める時と同様に、自分の部屋の天井が見えるはずだ。


「あ、起きた」


 見慣れた天井ではなく、超近距離に見慣れぬ美少女の顔があった。


「うおぉ!?」


 思わず壁際まで尻を床につけたまま、後ずさる。ここまで女性に近づいたことがなかったので、瞑想の甲斐も虚しく鼓動が早まってしまった。息遣いまで感じられるほどの近距離。薄暗い室内ではわからなかったが、髪は少し緑がかっていて目は淡い青色なのが見えた。


「あーよかった。さっきまで声をかけていたのに全然反応がないから、ショックで死んじゃったかなと思っちゃった」


 悪びれもなく、ケラケラと笑う少女。悔しいが、顔立ちは整っているので、顔が崩れるほどに笑っている様子も絵になる。

 ふと、自分が座っていたところを見ると、少女の登場で存在を失念していた看守(と思わしき)の男が視界に入る。


 男は剣を振り上げ、先ほど自分に斬り掛かっていた姿のままだった。そう、まるで時間が止まっているかのように。

 牢屋の隅を見ると、鍵を開けた女も檻のなかに入ろうとしている姿勢で固まっていた。その様子は、ますます非現実的であった。


 はは、これはだいぶタチの悪い夢らしい。しかし瞑想も無駄か。

 もう起きる時間まで待つしかないのか。そう考え始めた時ーーー


「夢と思っても無駄よ。現実のことだから」


 と、まるでこちらの心中を読んだかのように少女は告げた。

 もしかして無意識に口に出していたのか。


「違うって。心を読んだだけ。で、私たち以外の時間を止めたのも、神である私の力。あのままだと、あなた死んじゃってたし」


 読心に時間停止、そして神とまできたか。

 なんで、こんな設定フルコースな夢を見てしまっているのだろうか。そんなファンタジー要素のある小説を最近読んだ覚えもないのだが、どうやら自分は想像力が思った以上に豊かだったらしい。思わず口から失笑が漏れる。


 そんな自分を見た、自称・神の少女は少し呆れた表情になり、浮きながらゆっくりと回転し始めた。


「まぁ信じられないのも仕方ないとは思うけど、聞いていた通り慎重な性格ねぇ。ただ、正直時間が本当にないのよ。うーん……もうあれしかないか」


 そう独り言のようにつぶやいたかと思うと、こちらを向き、申し訳なさそうな表情をした。

 澄んだ目でしっかりと見据えられてまた少し鼓動が早まるのを感じていると、彼女は右手を上げてこう言いながら指を鳴らした。


「ごめんね」


 その瞬間、頭の中に

 そう思えるほどの激痛が脳内を駆け巡った。


「ぐあああああああああああああああああああ!!!!!!!!」


 痛い苦しい痛いつらい痛い死ぬ痛い痛いもう殺してくれ痛い痛い痛い痛い痛いぃぃぃ!!!


 恥ずかしげもなく、牢屋の中をのたうちまわる。壁や床に激しくぶつかる衝撃があったが、そんなことは頭の痛みに比べたら全然だ。呼吸をしようとするも肺すら思ったように動かず、酸素を求めて開けた口からはただただ乾いた叫び声が出ていくだけだった。どうにか苦しさから逃げ回ろうと頭をかきむしる。


 実際に時間にしたら数秒のことだったのだろう。

 永遠とも思えた痛みは、その出現と同じように唐突に去った。床に横たわった状態で、肺から出し切った空気を飢えるが如く求めて、激しく呼吸をした。


 すると、柔らかな感触に体が包まれた。先ほどまで浮いていた少女が床に座り、俺を抱きしめていた。

 花のような優しい香りに少しばかりの安寧を感じたが、こんな苦痛を与えた少女を、反射的に厳しい目で睨む。きっと、とんでもない形相になっていたことだろう。


「本当にごめんなさい。けれど、こうでもしないと信じてくれないと思って」


 そう言った彼女の目は、憐みと慈しみに溢れていた。今までこのような目をした人間には出会ったことがない。

 そう、まるで人を愛しながらも、時には罰して諭す女神のようなーー。


 夢の中でも、今の痛みを感じたら、きっと飛び起きるだろう。それくらい痛みは非常識なものでありつつ、どこまでも現実的なものであった。

 ここが現実であること、そして先ほど彼女が言っていたことが全て本当のものであると、俺は直感的にかつ論理的に思わざるを得なかった。

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