第4話 鳶の背に乗って

「昨日とは顔付きの違うやっかかおつきがちがうじゃないか

 再び部屋を訪ねて来た青年は、健太の姿を見るなりそう笑った。

 着古した道着。きつく締めた帯。

 背筋を伸ばして正座したまま、タイワンリスは、と健太は青年を見上げて切り出した。

「元々この島にはおらんかったいなかった。どっかの観光施設で人を呼び込むために飼われ始めて、それが逃げて野生化したがそもそもの始まり。悪かとはわるいのは人間の方で、タイワンリスじゃなかじゃない

「という説もある、やろがだろうが。磯村町議の入れ知恵か。肝の座ったおっさんよな、お前の父ちゃんも」

 青年の笑みが不敵なものに変わった。

「我が子がタイワンリスば飼うちょるとかをかってるなんて、島民に知られたくはなかろうと思うけどな、次の選挙の事とか考えたら。獣医の竹中先生にも口止めはしとらんかったしていなかったし、それどころか奥さん通して役場に知らせたりもするし。この事態にどう対処するか、まるで俺たち役人の方が試されとるみたいやっかためされているみたいじゃないか

 言いながら青年が上着を脱いだ。ひょろりとしているだなんてとんでもなかった。そこには恐ろしく引き締まった肉体があった。ピチピチの黒いTシャツに白抜きで、健太の道着と同じ『磯村空手道場』の文字。青年は棚の写真立てに目をやった。

「やさぐれて、お袋のこと困らせてばかりやっただった俺を、磯村先生だけは信じてくれた。諦めずに指導して、全国に連れて行ってくれた」

 青年の目つきが変わった。

「俺は先生が愛したこの島を守る」

「僕だって」

 健太が立ち上がった。

「爺ちゃんとの約束を守る。弱い者の盾になる」

 申し合わせたように、二人は写真立てに一礼した。

 向き合い、やや腰を落として構えた。

 互いに小さく跳ねるようにして間合いを取り始めた。

 一瞬の静寂。

 健太が奇声を上げた。踏み込んで拳を繰り出した。青年が半身でかわした。続く健太の拳を青年は腕でいなした。鋭い蹴りを脚で受け止めた。攻勢に転じた青年が距離を詰めた。拳をおとりに足払いをかけた。避け損ねた健太が尻餅をついた。

 次の瞬間にはもう、寸止めでなければ鼻がつぶれたに違いない一撃が健太の目の前にあった。

 歯軋はぎしりは健太のものだった。

「もう一回!」

 優しい彼とも思えない猛々しさでそう叫んだ。

 起き上がっては構え、立ち向かっては倒される。その繰り返しが始まった。

 私から見ても、青年の動きには無駄がなかった。息が上がっていくのは健太ばかり。それでも彼は諦めようとしなかった。

 私は裸の胸の奥が強く痛むのを感じた。

 雄たちがせめぎ合っている。私を勝ち取るために争っている。そうされるだけの価値が今の私にあるだろうか。ちょっと毛を剃られただけで明日をはかなんでいる、こんな今の私に。

 これまでになく強烈な一撃を受けて健太がり倒れた。とうとう動けなくなった彼は、強く下唇を噛み、声を殺して泣き出した。

 そのあふれる涙が私をき動かした。

「自分を責めんでよかせめなくていいぞ健太。俺を恨め。リリスは俺が……、え?」

 構えを解いた青年が目を丸くした。健太も気付いて涙目を瞬いた。

 無理もない。私は既にケージを飛び出し、机の端から飛んで窓のふちへと降り立っていたのだから。

 屋根の先には木々の緑。一際ひときわ高い木の上にいつかの鳶の姿が見えた。けれど恐怖はなかった。戦う二人の姿が私に勇気をくれたからだ。

 待て! と叫んだ青年の腰に健太がしがみついた。

「行け! 行けリリス!」

 私は宙へ身を躍らせた。日に焼けた瓦の上を転がって庭へ真っ逆さま。落ちた瞬間を狙って鳶が急降下してきた。けれど今の私には鳶の動きなんか止まって見えた。落下の衝撃を膝で殺し、鉤爪かぎづめの一撃を素早く転がって避けた。憎いくちばしに斜め下からこぶしを見舞った。

 ひるんだ隙に首を駆け上った。振り落とそうとするのを背にまたがってどやしつけると、観念した鳶は私を乗せて舞い上がった。

 窓から健太と青年がポカンとこちらを見ていた。

 ありがとう二人とも。私に立ち上がる力をくれて。

 私はたかぶる気持ちに任せて彼らに最後の言葉をかけた。

『捕まえてごらんなさい!』

 森の向こうに真っ青な海が見えた。

 このままどこまでも行けそうな気がした。

 鳶の翼で。タイワンどころか、そのずっとずっと向こうまで。

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リリスは鳶の背に乗って 夕辺歩 @ayumu_yube

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