第3話 リスの楽園
真夜中、おい、と誰かの声がした。
『起きろ。早く』
私は巣箱から顔を出して驚いた。
ケージのすぐ外、窓から差す月明かりに照らされていたのは、見るからに
『早く出て来い。夜の間なら
『貴方は?』
『俺はコンガチャマー』
『コンガチャマー?』
『畑や果樹園で俺を見ると、人間どもは拳を振り上げてそう叫ぶ。コンガチャマー! 響きが良いからそう名乗ってる』
言いながらコンガチャマーはケージの扉を探り始めた。
『開けてやるから来い。逃げるぞ』
私は素直に従えなかった。夜だと分かっていても鳶が怖い。こんな姿で表に出て皆の笑いものになるのも怖い。何より、健太に黙って姿を消すことに、今となっては後ろめたさを覚えていた。
そんな私の胸の内はお見通しだったらしい。コンガチャマーは手を止めた。
『案の定か。すっかり情が移ったらしい』
ひょいと肩を竦めた。
『雌が一匹捕まったと聞いて島の反対側まで飛んで来たが、無駄足だったな。まあいいさ。牙を抜かれた者など仲間に加えても意味がない』
背を向けようとした彼に、私は巣箱を出て駆け寄った。
『待って。仲間って?』
『……俺は同志を集めてこの島を出る計画を進めてる。人間どものリス狩りは激しくなる一方だからな』
コンガチャマーは、私の剥き出しの肌からそっと顔を背けた。
窓の向こうの、その更に向こうを見るような目をした。
『海の彼方にリスの島があるという伝説、聞いたことはないか? 人間どもがタイワンと呼ぶその島でなら、俺たちは石もて
『リスの島が、海の向こうに?』
『まだ現実的な話じゃないけどな。実現するのは、きっと数世代後になる。それでもやるんだ。仲間を集めて。知恵と力を結集して。このまま
コンガチャマーの瞳が次第に熱を帯びていく。
私は逆だった。やり切れない気持ちで、ベッドで寝息を立てている健太を見つめた。
『人とリスが、この島で仲良く暮らしていくことはできないのかしら』
コンガチャマーは、すぐに否定したりはしなかった。気持ちは分かるとさえ言った。
『リスにも人間にもいろんなのがいるからな。どんな心の繋がりが生まれても不思議はない。……実は昼前からずっと窓の外で様子を
苦笑いで言いながら、コンガチャマーは扉の一部に触れた。
『教えておこう。この金具だ。これを掴んで持ち上げ、真横に引く。そうすれば鍵が外れて扉が開く』
『コンガチャマー』
『後はあんた次第だ。ここを出るなら昼間は止せ。鳶はリスの味を覚えてる。今のまま残るという選択もありだろう。何しろ飢える心配はない。とにかく大事なのは、諦めずに生き延びるということだ。いいな』
『ごめんなさい。助けに来てくれてありがとう。貴方に会えて良かった』
コンガチャマーは机から窓へと身軽に飛び移り、これが最後というように振り返った。
『《楽園で会おう》――。誰かと別れる時は必ずそう言うことにしている。諦めるなよ。命を大切にな』
そう言い残して、彼は月の夜へと去って行った。
カーテンが音もなく揺れる。
ケージの中から窓の向こうを見つめたまま、私は考えずにはいられなかった。いつか必ずやってくる最後の時、私は誰にどんな言葉を残すだろう、と。
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