第2話 雄同士の争い

 作業服の青年が訪ねてきたのはその日の午後だった。

「部屋、広っ。さすが町議の息子」

 健太よりきっと一回りかそれ以上は年上で、どことなくがらが悪くてひょろりと背が高い。ケージの中に私をみとめた彼は、薄ら笑いを引っ込めた。隙あらばここから連れ出そう。そんな下心が透けて見える瞳だ。

 けれど、と私はいぶかしく思った。そんな青年の瞳のずっと奥の方には、なぜだろう、健太が覗かせるものによく似た切なさも感じられる。まさか、もしかしてだけれど、彼も私のことを狙っている――?

 私は巣箱に隠れて様子をうかがうことにした。

 健太が麦茶のコップを載せたお盆を机に置いた。

上原うえはらさんが来るとは思わんかった。お母さん、環境政策課の人、としか言わんかったけんいわなかったから

「俺が一番下っ端で、健太の顔も知っちょったけんなしってたからな。行って話し合えち言われたったいはなしあえといわれたんだよ

 青年は口元だけで笑った。何気ない様子で部屋を見回し、トロフィーの並ぶ棚に目を止めた。それから、ひどく冷ややかに切り出した。

「リリーとか何とか呼びよるちよんでいると聞いたぞ」

「リリス。リリーじゃなかじゃない

何でんよかなんでもいい。保護した野生動物に付くんなよ名前とかつけるなよなまえなんか。連れて行くけんないくからな

 青年がこちらへ一歩踏み出した。健太がケージの前に立ちはだかった。

 沈黙があった。風がレースのカーテンを揺らした。

 ああやっぱり、と私は毛のない胸を押さえた。

 この剣呑な雰囲気。恋のライバルの登場だ。どうやら私は雄たちに、それもリスではなく人間に、この身をめぐる争いをさせてしまっているらしい。

「リリスは怪我しとるけんけがしてるから、今は誰にも渡せんわたせない

「治ったら森に放すつもりやろうがだろうが

「それが駄目なら僕が飼う」

 健太、と青年が嘆かわしげに首を振った。

頼むけんたのむから考え直せ。ぞ? ぞ? 駆除せんばいけんくじょしなきゃいけない

 青年の硬い声には私を勝ち取るという強い決意が感じられた。

 そのあまりの気迫にだろう、健太が俯いた。

 言葉こそ相変わらずさっぱりだけれど、私にも健太が劣勢であることは分かった。優しい彼に味方したい私は、届かないと分かっていても呼びかけずにはいられなかった。

『ねえライバルさん、貴方の気持ちは嬉しいわ。でもどうか落ち着いて。私の他にも雌はいるはずよ』

「駆除とか処分とか、俺だって気乗りはせんきのりはしない。けどタイワンリスば野放しにはできんをのばなしにはできない

『大体、今の時期は子孫を残すよりも肝心なことがあるはずじゃなくて?』

「苦労して作った野菜や果物齧られて、農家はどこも涙目ぞ」

『例えば、何でもよく食べて冬の寒さに備えるとか』

「特産の、椿油つばきあぶらの生産量も落ちよるおちている。そいつら、花や実どころか、幹に傷付けて樹液まで舐めるけんなからな

『椿なんか特におすすめよ。あの木には本当、捨てる所が少しもないわ』

「杉や檜の皮もあちこちで剥がれよるはがれているし、電線噛まれれば停電するし」

『あとはそう、木の皮なんかを集めて寝床を暖かくしたりとか』

「あれやこれやの被害で島はどんどん駄目になりよるなっている。健太も父親が町議会議員ならそういう話の一つや二つ」

「ごめん。それでも渡せんわたせない

 健太が青年の言葉を遮った。

「爺ちゃんと、最後に約束したもん。『弱きを守る盾となるべし』」

「磯村先生の遺言が『』の一部やっただった話なら、俺も聞いた。でもな健太」

「上原さんだって、昔は磯村空手道場に通いよったやろかよってたでしょう?」

「聞け健太」

「爺ちゃんの教えば無視するとおしえをむしするの? OBなのに?」

 青年が初めてたじろぐ様子を見せた。

 しばらく決まり悪そうに首筋をいたりうなったりしていた彼は、溜息を漏らして背を向けた。帰ることにしたらしい。ドアノブに手をかけ、肩越しに振り向いた。

「また明日来る。もういっぺん、よう考えれよくかんがえろ健太。タイワンリスを野放しにはできん。島は俺たちが守らんばまもらないと

 青年が去った後、健太は床に座り込んだ。

 陽が傾くまでずっと、そのまま棚を見上げていた。

 トロフィーたちの真ん中に写真立てがあって、白い眉の、柔和にゅうわな顔の老人がこちらを向いている。

「爺ちゃん、僕、間違っとると……?」

 やがて夜がやってきた。

 一度部屋を出て、濡れた頭を拭きながら戻ってきた健太は、私にはなぜだか少し吹っ切れたように見えた。中腰になってこぶしを交互に突き出したり、足を高く蹴り上げたり、鋭くて激しい運動を繰り返し始めた。その真剣な横顔から、私は目を離すことができなかった。

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