リリスは鳶の背に乗って

夕辺歩

第1話 種を越えた愛情

 鋭い鉤爪かぎづめが私を強く押さえつけた。

 覆い被さるとびの影。見開かれた眼。黒いくちばしがギラリと光り、下腹したばらに激痛が走って――。

 私は叫んで跳ね起きた。巣箱の天井に頭をぶつけた。丸い穴から夢中で飛び出して下の網に背中から落っこちた。そこでようやく我に返った。

 窓から差す朝の光が私の身体にケージの影でしまを描いていた。

 溜息が漏れた。五日も経つのにまだあの時のことを夢に見る。毛を剃られた傷の周りに目を落とした。お腹から胸まで肌むき出し。何てみっともない姿。たくさんの雄を翻弄ほんろうしてきた、島のリスの中でも取り分け美しいと言われたこの私が。

 ぼんやりと、ケージから広い部屋を見回した。ベッド、本棚、勉強机にランドセル。別の棚にはトロフィーや盾がたくさん飾ってある。人の手になる物ばかりあって土の匂いにとぼしい。

 けれど、窓の向こうの緑が恋しいなんて今は少しも思えなかった。目を閉じればすぐそこに恐ろしい鳶の影。そしてこの醜い身体を笑う仲間たちの幻。もう生きてなんかいられない。これほどの恐怖を刻み込まれてしまっては。自慢の毛並みをこうまで損なってしまっては。

 私が重ねて溜息を吐いた時だった。足音が近付いてきた。

「あ、起きとったとおきていたの?」

 ドアを開けたのは部屋の主、私を鳶から助けた、健太けんたと呼ばれている男の子だった。私は後足で立ってじっとりと彼を見上げた。

『そろそろ決めてくれたかしら。私をどう処分するか』

「ちょっと脇にどけてね。朝ごはんの前に掃除ばするけんそうじをするから

『さっさと楽にしてちょうだい。人間の大人が私の仲間たちをそうするみたいに』

「ごめんね。本当、毎日思う。小鳥用のケージじゃ狭かせまいよね」

 扉を開けた健太は、私の落し物や食べ物の残りを片しながら唇を尖らせる。

「お母さんケチかけんだから、買ってくれんとさくれないんだ。大きなやつ」

『何が言いたいのか分からないけど、とにかく、私が死んだら土に深く埋めてね』

「リリス、怪我の具合ば見してぐあいをみせてみて」

 リリス。健太は私にそう呼びかける。

 互いの言葉はさっぱりなのになぜかそれだけは分かるから不思議だ。

 それにしても、と私は身をよじった。私の身体を見る健太の目の相変わらず熱っぽいこと。リスと人とでは美的感覚が違うのかしら。ついつい、恥ずかしさを強い口調でごまかしたくなる。

『いくら貴方が若い雄だからって、バカなことを考えないのよ。そっちは人の子、こっちはリスなんですからね』

若か雌じゃけんすぐ治るちわかいメスだからすぐなおるって獣医の竹中先生言いよったいっていたけど、本当に治りの早かなおりがはやいね」

『もうそれくらいにしてちょうだい』

 私はそっぽを向いて視線を避けた。

『下手な慰めは結構。今の醜い私に魅力を感じる雄なんていないはずよ』

「リリス、もうじき森に帰れるばい。頑張って、もっときれいに治そうね」

 ――何て優しい声の響きなのだろう。

 通じないなりに伝わるものを感じて、私はケージに手を添えた。

『……ねえ健太、貴方ひょっとして、本気で、こんな私を好きになってくれたの?』

 新しい水とヒマワリの種をくれた健太は、去り際、何だか寂しそうに微笑んだ。

「また後でねリリス。今日はこの部屋にお客さんの来るけんがくるから、大人しくね」

 そのまま、何だか浮かない顔で出て行った。

 もしかすると、ひょっとするとだけれど、彼は本当に苦しんでいるのかもしれない。しゅを超えた愛情を抱いてしまったことに。道ならぬ道を行く辛さに。

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