最期の想い

 私たちは交代で付添い、病室に泊ることにした。それ程、急激に体調が悪くなってきていたからだ。伸一さんの次の公演も決まり、舞台練習や役作りを行う時間の関係から、社長夫婦や私たち親子が中心になって、付き添うこととなった。とは言っても、我が家は長男の滉一と私が交代で行い、社長夫婦はそのお子さんと3人で交代で付き添いをすることとなった。亮さんは、一人でも大丈夫だと言い張ったが、医師と相談すると急変もありうるということであった。


 長男の滉一は、大学が午後からの時に付き添いをしていたが、亮さんはかなり苦しいのを我慢しているようで、隣にいることが辛くなると、時々泣いていた。二人でよく話し込むようだが、大学のことや子どもの頃の話が中心で、お笑いのYouTubeを見たり、猫や犬の動画を見て過ごしたりしていると話してくれた。


 私は、寛人くんの話をしてからは、何となく自分の心の中を話すのが、恥ずかしく感じ、当たり障りのない会話ばかりしていた。身近な人の死を見るのが辛いという気持ちもあったのかもしれない。

 「優里ちゃんは、いつも僕のことを眩しそうに見るよね?どうしてかな?」

 昨日の夕飯の話をしていたときに、不意に聞かれた。胸の奥がどきどきした。

 「そうかな?そんな風に見えるの?」

 「うん、とても眩しそうに見ているよね?最初は目が悪いからかと思ったのだけど…。多分違うよね?」

 亮さんには、話してもいいかもしれない。私は、これまでの経験として、出会った人の死に際に光り輝くものを見ることがあると亮さんのことも含めて話をした。

 「そうか、だから僕が話しかけた時、そんな目をしていたのだね。僕としては、急にいろいろなことを話しているのに、何でこの人は動揺しないのかな?って少し不思議に思っていたのだよ。嘘って思われるかとも考えていたのだけど、すんなり納得していたから、そういうことか、うん、僕も何だか納得したよ。でも、どうしてそんな光を見るのだろうね。何か意味があるのではないだろうか。」

 私自身も、光り輝いて見える意味が知りたいと思っていた。どうして特定の人の死に際にだけ見えるのだろうか。


 「もう少し、光り輝く人のことを教えてくれるかい?」

 これまでに私が見た光は、祖母や大学の教授、亮さんだったと思う。その時の話を詳しく説明した。

 「何となくだけど、優里ちゃんの人生の分岐点というか道しるべというか、何かを指し示しているかのようだね。優里ちゃんがとても重要なことを決めるときに、その光り輝く人は現れるような気がするね。どう思う?」

 確かに、そうかもしれない。自分の人生において、職業選択や伴侶を決めるなど重要な決断のときに、光り輝く人に出会えていたような気がする。でも、亮さんは…?

 「僕の場合は、なんでだろうね?」

 亮さんは優しく笑っている。会得した表情だ。何かが分ったのだろうか?

 「亮さんには、分かるの?どうして亮さんは、私と出会ったの?」

 「うん、何となくだけど、きっと、優里ちゃんの人生が止まっているから、動かしに僕は来たのではないかな?って感じているよ。ご主人が亡くなってから、優里ちゃんは、一人で頑張ってきたと思う。でも、自分の時間を止めていたよね?まだ、若かったのに、再婚もしなかったし、何よりも誰も好きにならなかったのではないの?自分ばかり責めて、自分のことを嫌いになって…。僕は、優里ちゃんが好きだ。会えて本当に嬉しいよ。君たち家族の将来をずっと見守っていきたいと心から思う。僕はね、医療系の人から見ると異端らしい。生きようとしないからね。胃がんが見つかってから、何度も医師や看護師、ソーシャルワーカーの人たちに治療をするよう説得された。でもね、どうしても治療する気が起きなかった。それは、今までの人生を悔いなく生きてきたという自負もあるけど、この世に心残りがほとんど全くなかったからなのだよ。仕事だって、僕がいなくなっても、誰も困らない。あ、少々は困るだろうけど、その内なんとかなるレベルだよ。僕が居なくなると泣く人もいるだろうけど、何年も泣き暮らす人は居ない。淋しいけど、これが身寄りもない独身男の現実だよ。生きる権利もあれば、死ぬ権利もあるのではないかとも考えていた。安楽死までは考えていなかったけど、僕はこのまま死んでもいいと思っていた。優里ちゃん達家族に会うまではね。もう時間は残り少ない。僕は僕自身の中で、君たちに会えた意味を考えていたよ。何故今なのだろうってね。」

 一気に話したせいか、声が掠れている。水を飲ませたいが、それも苦しいようだ。うがいをしてもらった。

「僕はね、律ちゃんに早く会いたいってそればかりだった。本当に楽しかったからね。今想い出しても、僕は幸せな記憶しかないのだよ。ケンカもしたけど、それもいい想い出なのだよ。優里ちゃんは、ご主人のことを想い出したりするの?」

「想い出すと、胸が苦しくなるから、想い出さないようにしていたかな…。自分を責めて、悔やんで泣いてばかり…。何度もあの人が亡くなった夜のことを想い出すの。電話のベルの音…、現実とは違って私は受話器の元に走るの、でも手は届かない。何度も何度も夢を見るから、一時は不眠症になってしまって…。薬を処方してもらって眠ったこともあった。」

「ご主人はそんなに優里ちゃんを責めるような人だったの?お前のせいだなんて言う人だったの?」

 「ううん、違うと思う。私がドジをしても笑って許してくれる人だったわ。そう、そんな人だったのに、なんで想い出からもあの人を遠ざけてしまっていたのかしら。楽しいことも沢山あったのに…。」

「いっぱい、想い出してあげようよ。喜びも楽しかった想い出ももう一回胸に刻んで、そして、次に行こうよ。僕はきっとこの一言を言うために、優里ちゃんに会いに来たのだと思うよ。」


 この夜、私は光り輝く寛人くんを夢に見た。大きな口を開けて、大笑いしている寛人くんを見て、心から安堵した自分がそこにいた。


 翌日は、久しぶりに時間が出来たということで、伸一さんが泊まることになっていた。亮さんも嬉しそうだった。仕事の話など聞きたいことや言いたいことが溜まっているようで、嬉しそうな表情を見ると私もうきうきしてしまっていた。


 数日後、私たちは担当医師から呼び出しを受けた。社長夫婦と伸一さん、私である。嫌な予感がした。

「病状としては、かなり厳しい状態になってきています。ご本人からは、そういった状況になった場合には、心臓マッサージも昇圧剤を含めた点滴も不要、つまり何も治療をしないで欲しいという希望を伺っていますが、皆様としても、それに同意されるということで、宜しいでしょうか?」

「それは、いつ何が起こるか分からない程、状態が悪くなっているということでしょうか?」

 社長が震える声で質問した。

「そうですね、そういった状態であると言えるでしょう」

 私たちはお互いの顔を見てから頷いた。

「本人がそう望んでいるのでしたら、望むようにお願いします。」

 呟くように、社長は声を吐き出した。

「会わせたい人がおられるならば、今意識がある内に…と思います。」

 医師はそう言って説明を終えた。


 亮さんは、自分で身辺整理を行い、会いたい人には会って来たと話していたが、社長は劇団の人達を呼ぶつもりだと言っていた。皆が会いたがっていることを本人に伝え、明日にでも会わせるつもりだと話した。

 私は子ども達を明後日にでも、連れて来ようと予定を組んで、それぞれがゆっくりと別れの時間が持てるよう配慮した。でも、まだ私には実感が沸かない。現実が受け入れられない、やるせない気持ちだけが残っていた。

 今夜は社長の奥様が泊まるということで、久しぶりに伸一さんと一緒に病院から出た。このまま、家に戻りたくない、子ども達に何と言えばいいか、頭の中がぐしゃぐしゃになった気がして、伸一さんが何と言ったか聞こえなかった。

「…だから、飲みに行こう!いいでしょ?気晴らしも必要だよ。」

 半ば強引に腕を引っ張られ、気が付くと小さなバーのカウンター席で甘いカクテルを手渡されていた。

「ずっと看病で疲れたでしょ。たまには、甘いお酒も身体にいいと思うよ。お疲れさん。」

 何だか気が抜けてしまった。泣いていいのか、笑っていいのか…。亮さんが居なくなるのは、本当に辛い。でも、亮さんが望む生き方を否定したくない。

「何だかさ、勝手だよね。死ぬ権利なんてさ、そんなのダメに決まってんじゃん。何カッコイイ言い方してんだろ。勝手に死なれたら、こっちが困るっていうのにさ。俺、この間泊まったときに散々言ったんだぜ。死ぬな!って。まだまだ頑張ろうって。分かってんだ、俺の我儘だってことも。でもさ、死んでほしくないんだよ。どうしても、生きていて欲しいんだよ。俺は…。」

 伸一さんは泣いていた。私もつられて泣き出していた。

「本当に勝手だよね。突然兄ですとか言って、心のど真ん中に入ってきて、じゃあさようならって、無いよね。もう、バカバカバカバカって感じだよね。」

 私達は目と目を合わせると、笑いだしてしまった。二人で散々亮さんの悪口を言って、お酒を一杯飲んで、泣いて笑った。ほんの少し、心が軽くなった気がした。

 翌日、亮さんの状態を子ども達に話し、きちんと面会できるよう準備をさせた。話したいことを子ども達も自分の中で整理する必要があると感じたからだ。光莉は泣きだしてしまったが、男の子二人は覚悟していたようで、目を赤くしていたが、心を決めたようだった。


 私たち親子は、一人ずつゆっくり話しができるよう、時間をおいてそれぞれが、病室を見舞った。それぞれが、伝えたい気持ちを一生懸命に話せたようだった。

 家族の最後は私であったが、今夜は泊まる予定であったため、遅い夕食を病院の外で取り、20時頃に病室に向かった。ノックをすると、伸一さんの声が迎えてくれた。

 「二人に話しておきたいことがあってね。」

 亮さんは、話すことも苦しいようだった。

 「石岡、お前に優里ちゃん親子を頼みたいのだよ。僕はね、本当は、いや病気でなかったら、ずっと優里ちゃん親子を支えていきたいって…。支えるじゃない、見ていたい。でも…。石岡、頼むよ…。」

「何言ってるんですか!頼まれなくても、これからずっと支えていきますよ、俺が…。」

 伸一さんが、泣いている。

「僕が優里ちゃんと出会ったのは、石岡と優里ちゃんを会わすためだったのかな…。うん、そうだ、これが僕の最期の役どころなんだ…。」

 亮さんの声が切れ切れになって、呟くように最期の言葉を吐き出した。


「優里ちゃん、幸せになっていいよ。誰よりも幸せになってよね。それだけが、心配だよ。」

「亮さん、ありがとう。会いに来てくれて、いろんな話をしてくれて、私を救ってくれて、ありがとう…。」

 伸一さんと私は、亮さんの痩せた手を握りしめた。

 亮さんは、少しだけ頭を動かして、頷いてから眠りに入った。そして、このあと目覚めることはなかった。




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