第6話 懺悔

 我が家ははっきり言って狭い。1階はキッチンとリビングと和室であるが、キッチンとリビングは合わせて10畳程度だろうか。冬はこたつに早変わりする長方形のダイニングテーブルと安楽ビーズのクッションや小さ目の座布団が中心に置いてある。丁度いい高さにあるTVの画面は42インチで日頃は電源が付くことはなく、活躍は時折借りてきたDVDの映画を映すくらいである。出来るだけものを置かないようにしているが、今夜は大人6人のためか、少し窮屈に感じる。

「どんどん食べてくださいね」

 光莉がニコニコと話しかける。一緒に料理をするようになってから、レパートリーも増え、誰かに食べさせたかったのだろうか、上機嫌である。肉じゃが、野菜の鶏肉巻き、手作りシュウマイ、ブリの照り焼き、ポテトサラダ…一貫性はないが光莉が得意とする料理がテーブルに並んでいる。BGMはジャズにした。お酒は伸一さんが持参したビールとワインのみである。私が宅飲みをしないため、我が家にはお酒のストックがない。

「ところで、亮さんと優里さん一家のご関係は?一度伺ってみたいと思っていて…。」

 伸一さんは真面目な顔で話していたが、亮さんは少し考え込むと「内緒…。」と笑いながら答えた。

 私は子ども達にすぐに目配せをし、特に光莉にはシーっと人差し指を立てて口止めをした。亮さんには何か思うところがあるのだろう。

「まずは、自己紹介が先ですね。我が家はのトップバッター…まずは、長男の滉一から始めてくださいな。」

 伸一さんの次の言葉を待たずに、会話の主導権を奪うかのように強引に話を変えてしまった。子ども達は、話し始めると結構長い。滉一は話好きであり、会話も面白い。骨折のボルトの話をしていたかと思ったら、麻雀の話に代わってしまっている。笑い声が続いている。光莉と捷人も自己PRタイムを貰って、笑いを獲りにいっている。知らない大人に自分を知ってもらおうと必死だ。亮さんも伸一さんも聞き上手なのかもしれない。 

 いつの間にか、亮さんたちの仕事の話に変わっている。舞台マネージメントとか演劇俳優など、今まで知らない世界だからか、子ども達は熱心に聞いている。小さい頃の将来の夢というお題に話しは繋がっていった。


「本当は俳優になりたかった。でも、その才能はなかった。亡くなった嫁に言われたのだよ。俳優よりも俳優や舞台をまとめる方が似合っている、才能があるって…。格好いいし、天職だよってね。実際ずーっと迷っていた。俳優を続けるかどうかを…。でもこの世界から離れたくなくてね。大学を卒業してからも悩んで、その頃所属していた今の社長に拾って貰って、育ててもらったのさ。夫婦二人ともね。嫁は脚本を書き、僕はその舞台を演出し、まとめていったのさ。」

「二人の馴れ初めは?」光莉が聞いた。

「僕たちは、中学校で出会ったのさ。家は近かったのだけど、小学校は違っていてね。共通の友人はいなかったし、同じクラスでも口を利いたことも無かった。あるとき、クラスの他の女の子と喧嘩をしてしまってね。理由なんて思い出せないけど、僕は何かやってしまったのだろう。女の子に頬を叩かれ、ものすごい言葉で罵倒されて、悔しくて居たたまれなくて、その場から逃げ出した。女の子になんて言われたのかも覚えていないけど、胸が苦しくなって、涙がこぼれそうになって…。自分の何とも言えない感情を抑えきれなくなって教室を飛び出し、廊下を走って階段まで来たときに不意に涙がこぼれてしまって、誰にも見られたくないって思ったときに、すぐ後ろに彼女がいることに気付いた。でも、涙が止まらなくなって、その場に座り込みながら、泣き出してしまったよ。ぼろぼろ泣く僕の背中を優しくポンポンって叩きながらずっと横に居てくれた、何も言わずにね。ハンカチとティッシュも貸してくれて、僕が落ち着くのを待ってくれて…。」

 亮さんの表情がいつも以上に優しくなり、視線だけは窓際にある青い壁時計を見つめたまま、はるか遠い過去のシーンを瞼の裏に再現するかのように瞬きをした。

「あの怒った彼女の心は『ライオンの肉球だったのよ』って、突然言うのだよ。え?って思うでしょう?僕は律ちゃんが何を言っているのか分からなかったよ。でも、涙は止まったよ、お陰でね。それでね、律ちゃんは、ライオンの肉球の話を教えてくれたのさ。野生のライオンは土の上しか歩いたことがない。だから人に捕まって檻の中で入れられると、檻の床はコンクリートで出来ているから、その感触にものすごくびっくりするのよ。ライオンは自分の肉球に初めて当たるコンクリートの硬さと冷たさに驚いて、いつもより攻撃的になるんだって…。だから、あの怒った彼女にとって僕が言った言葉は、今まで柔らかい刺激しかなかった繊細な部分に突然硬い刺激を与えたような衝撃だったから、反撃も凄かったのだと思うよって…。泣いていた僕を何も言わず慰めてくれたこととか、訳分からない知識を持っていることとか、一気にドーンときて、色んな事をひっくるめて好きになったのだと思う。僕は律ちゃんに一生かなわないって、何故だか僕の運命の人はこの人だって確信したのだよ。変だけど、本当に全身が戦慄く位感動したのだよ。」

 照れくさそうに亮さんは亡くなった奥様の話をしてくれた。途中『嫁』から『律ちゃん』に呼称が変わっていたが、本人は気づいていないようだ。


「中学校から二人とも演劇部に入っていてね…。もちろんケンカもしたよ、でも絶対お互いの言葉は無視しないで、耳を傾けて聞こうって約束していてね、仲直りの方法も決めていて…。喧嘩して気まずくなっても、その日の終わりの別れ際に必ず両手でぎゅっと握りしめて謝るって決めていたのさ。これは、結構効果があって翌日に喧嘩を持ち越さないから、多少ギクシャクすることがあっても乗り越えられたよ。学校や仕事ですれ違いもあったけど、別れるっていう選択はなかったね。律ちゃんは役者の人数が足りないときは、舞台にも立っていたけど、やっぱり脚本を書きたいからっと言ってその方面で勉強をし直しして、僕は役者と演出のどちらを選択するのか悩みながらずるずるどっちも続けて、演出というよりももっと広い意味でのマネージメントをやっていこうと決めたのも律ちゃんのおかげかな。そして律ちゃんの言葉があったから、みんなに会えたって思っているのだよ。」

 亮さんと私たちの関係について、上手くぼかしながら奥さん律子さんの話をしてくれた。光莉がついでのように質問した。

「プロポーズの言葉は?」

「ふふ、内緒…」

 子ども達は眠そうにしている。各自自分の部屋に行って寝るよう伝え、亮さんと伸一さんには和室に布団を用意した。テーブルの片づけをしながら、声をかける。

「シャワーしますか?隣に布団も用意しましたよ。」

 伸一さんはもぞもぞ動きながらテーブルから離れて、クッションを枕にしてその場で丸くなった。軽い布団を掛けてそのままにしておく。シャワーは明日でも大丈夫だろう。


「もう少し話をしませんか?」

 亮さんが静かな口調で語りかけてきた。

「律ちゃんが妊娠しにくい体質だって分かったのは30歳になる前だった。子どもが欲しくてね、調べたんだ。高校生の頃は避妊に細心の注意を払っていたのに、大学を卒業して、結婚ををして、いざ子ども作ろうとしても、どうやっても妊娠しなかった。ずっと二人でもいいと思ったりしたけど、検査だけはしておこうって二人で検査を受けて、不妊の原因が分かったのだよ。もちろん、僕は律ちゃんを責めたりしなかったよ。二人での生活も気に入っていたからね。仲良くやっていたと思うよ。律ちゃんが50歳になって乳がんであることが分かってからもね。ステージはⅢbでね、手術も抗がん剤も全部やってくれたよ、僕のために。律ちゃんには、僕が養子であることも話していたから、家族を作ってあげたかったって言っていた。でも、自分の身体のせいで家族を作ってあげられなかったから、寂しがりやの僕を一人残して逝きたくないから、出来る治療は何でもするって言って…。隣で見ている僕がつらいって思うほど過酷だったと思う。律ちゃんは弱音を吐かなかったよ。最後まで…。どんどん、どんどん痩せていく律ちゃんを見ながら、どうして代わってあげられないのかって何度も思ったよ。亡くなる直前に新しい奥さんを探してくれって言われて、僕は本気で怒鳴って喧嘩して…。二人で両手を出してぎゅっと握りしめて謝って、お互い反対の立場なら同じこと言うだろうけど、探せないねって話して…。律ちゃんが、本当の両親を探してみれば…ってその時言ってくれたのだよ。もしかすると弟か妹とかいるかも…って。そうしたら、見つかってこうして会えた。…嬉しかったよ。本当に探してよかった。本音を言うと会えただけで、満足だったと思う。でも、話をしたらもっとみんなと一緒に居たいって思ってしまって…。もう少しだけ、僕の我儘に付き合ってね。」

「育ててくれたご両親、今はどうされているの?」

「僕を引き取ったときには二人とも35歳を越えていてね。律ちゃんが亡くなった前後で続くように肺炎と老衰で二人とも亡くなっているよ。二人とも、律ちゃんが妊娠できなくても責めることはなくてね。父も母も子どもができなくて、親せきから肩身の狭い思いをさせられたから、絶対庇ってあげるって感じでね、嫁姑関係も良くて、有難かったよ。4人で旅行にもよく行った。最期までいい息子だったって言ってくれてね。不幸が続いていてね…。あと、優里ちゃんを探すのが遅くなった理由の一つにもなるけど、本当の父親ではないかという人を探すのが、なかなか難しくってね。僕の…子どもの認知はしていなかったようで、父親かもしれない人、若い男性は二人いたのだけど、一人は僕が生まれる前に自殺していてね。躁うつ病だったらしい。もう一人は精神科医で生んでくれた母の主治医だったらしいけど、もう亡くなっていてね。当時のことを覚えている人も少なくて、結局分からなかった。こういった話は聞きたくないかい?」


 恐らく亮さん自身の出自に関しては、自分からは言いにくい事だったろうと考える。それでも口に出すということは、少し心の整理も付いたのだろう。

「僕を生んでくれた人、母の話を教えて欲しい。どんな人だったのかな?」

 何となく私から話題にするのが躊躇われてきたカードを突き付けられたような気がした。逃げてはいけない。でも、逃げ出したい。

「母とはうまくいっていなかったのよ。」

 こんな言い方から始めることは不快でしかないことを承知で言ってしまっていた。母とは小さい頃から馬が合わなかった。母が望む子ども服や髪型が好きになれない。本や映画で感動する場面がずれてしまう。助けて欲しいときと放っておいて欲しいタイミングが合わない。イライラして当たってしまうはずの思春期という言われる時期には、もう反抗する気も起きなかった。

 家事は苦手で特に料理は味付けも彩りも全くセンスがなく、ほとんどの家事は私がやっていた。庭には至る所に食べられる植物を植えて、いつも何か自家栽培をしていた母。戦争で当たり前に食事が出来なかった時期を知っているからかもしれないが、それでもやり過ぎだった。庭に花が植えられることはなかった。季節の野菜、大根やジャガイモ、ナス、キュウリ、ゴーヤ、瓜、唐辛子、高菜、ピーマン、白菜などが植えられ、菜の花はおひたしにして食べていた。山菜を獲りに行くことも好きで、椎茸の栽培も自宅の裏でやっていた。柿や梅、蜜柑の木を植えて、干し柿や梅酒を作っていた。肉よりも魚が好きで音楽よりもラジオが好きだった。中学までしか学校に通えなかったからと言って40歳を越えてから通信制の高校に入り4年間できちんと卒業したことも話した。 

 

 私は、自分から母に相談することが出来なくて、いつも報告って形になってしまったことを母から溜め息まじりに言われたことを思い出す。

「あなたはいつだってそう、結論だけね、相談ってしないのよね。」

 小さい頃は母が洗濯物を干す姿をじっと見ていることが好きだった。青い空、白い雲、庭にはへびいちご草が生えていて、本物のイチゴのように赤い実がぶら下がっている。食べたら怒られることは分かっているから、見つめるだけ。

 ふいに幼い頃に見た夢を思い出した。母を探す夢だ。一生懸命に探すと籐のバスケットの中に母の顔の皮だけが置いてあった。目や口の部分が切り抜いてあったのに、私はそれが母の顔だと分かっている。泣きながら、尚も母を探して歩いて行くと、太った黒人の女性に出会った。体型も肌の色も違うのに、私はその人が母であることが分かり『お母さん』と呼び掛けて目が覚めた。私は、養子で実は真実の母が他に居るのではないかと疑ったりもした。


 母は私を産む前に一度だけ妊娠初期の自然流産をしている。流産だったのに…。

「生まれて来ることができなかったお兄ちゃんのためにも、優里ちゃんは頑張らないとね…。」

 私が生まれるはずだったお兄ちゃんだったら、もっと勉強が出来ていた、もっと運動が出来ていた、もっと優しい子になっていた…。何をやっても、どう頑張っても理想には近づけない、母の期待に沿えられない自分が惨めだった。

 看護師の勉強をしてから分かったことがある。妊娠初期の自然流産では胎児の性別は判別しにくい。本当に流産したのか、それとも出産したことを誤魔化すための嘘だったのか、今となっては問いただせない。

 小さい頃は、手をつないだり抱きついたりしたと思うが、思い出せない。言葉は普通に交わすが、感情を出すこともなく挨拶や必要な会話をするだけになっていた。


 母とまともな交流ができるようになったのは、寛人君と結婚し滉一が生まれてからだったと思う。初めての子育てと仕事復帰のための忙しさで誰かに頼らざるをえない状況になって泣きついたのだ。肝臓を悪くして四六時中イライラしていた父の目を盗んでは、母は文句も言わず、孫たちの面倒をみてくれた。どちらかと言えば積極的に孫の世話をしてくれた。父が亡くなってからは、惜しみなく深い愛情と慈しみを注いでくれたと思う。母が孫達と遊ぶ表情は、ラファエロ・サンティが聖母を描いた絵のように美しかった。

 …私はここまで愛されていたのだろうか。

 慣れない子育てと仕事の両立で私は追い詰められていたのかもしれない。その場の感情で何かを口に出してしまいそうになることがしばしばあった。そのたびに寛人君に愚痴って何とか乗り越えてきた。この気持ちを口に出すことも無いまま今日まで持ち越してしまったのは、寛人君が突然の交通事故で亡くなり、何も感じられない程、時間的な余裕がなくなったからだ。働いて一家を支え、母親として育児も家事もしなくてはならなかった。夜勤も多く、昇格のための研修も増え、精神的にも体力的にも限界だった。夜勤で家を空けること日以外は父の看病もある母に頼ることは出来なかったから、思考を止め、身体だけをフル回転で動かしていたような気がする。


 母は母なりに私のことを思ってくれていたと気づいたのは、亡くなる直前だった。我儘な父を介護して見送り、私の子どもの育児に協力してくれていた母は、私の気付かないうちに体調を悪くしていた。

 なぜ私は母の本当の気持ちに気付けたのだろう。


 子どもが小さい頃は、成長が楽しみと言っても心に余裕がなく、兄妹で違いをみたり他人の子どもと比べたり…、そう、私も母と変わらない態度を子どもにしていると思うことが出来たからだ。私は一人っ子だったから、比較対象が存在しない兄であったが、子どもが3人いれば3人の中で比べるし、近所の同じくらいの年齢の子、クラスメートとも知らぬ間に比べて優位劣位を考えている。当たり前に誰もがすることを、特別母だけが私にした仕打ちではないことが自分を振り返って理解出来たからだ。子育ては、子どもを育てることで親にしてもらっているのだと思う。母にとっての私は唯一で子育て1号なのだから、試行錯誤するのは当たり前で、いっぱい失敗しても仕方がなかったのだと、今だからこそ思えるのだ。

 母が亡くなる前に言ってくれた言葉は、きっと心からの想いだったのだと思うのだ。なぜなら、私がもし同じ立場なら光莉に同じ言葉を贈るだろうから…。


『「これからきっと幸せが来るから、貴方は幸せになるから、心配いらないよ。」』

 そう言ってくれたことの意味は、私に愛情があったからだと信じたい。心に積もっていた想い、自分の中にあった母への葛藤、嫌悪とそれ以上の執着、ねじれた愛情の全てを言葉にして吐き出すこと難しい。うまく伝わらないもどかしさ…。どうしたらいいの…。


 少し沈んだ表情で亮さんはつぶやいた。

「でも、でも、どう言ったって僕は見棄てられた、捨てられたんだ…いらなかったってことだよね?」

 兄の存在を知らず、勝手に母を拒絶していた私からは言う言葉見つからない…違う、何か思い出せそう…。

「違う!違うと思う。多分だけどね…。寛人君が亡くなって、3人の子どもを抱えてどうしていいか分からなくなって途方に暮れていた時、一番小さかった捷人を養子に欲しいって知り合いから言われたことがあってね。この時だけは母に相談したのよ。そうしたら、突然怒り出してね、『絶対手放してはダメ!』って言って、すごい剣幕でまくし立てて『そんなこと言う人とは縁を切りなさい!子どもは親といるのが一番いいのだから』って…。今思えば亮さんと離れてしまったことを本当に後悔していたのだと思うよ。長男の滉一が生まれたときもそうだったな。2300gあるかないかで小さく産んでしまったのだけど『小さくても大きく育てればいいのよ』って言ってくれて、ずーっと抱っこしてくれてね。『抱き癖が付くくらい抱っこしてあげて…。今しか抱っこできないのだから。いっぱい母乳をあげなさい、母乳は子どもの身体を強くするから…。きっと丈夫に育つから…。』って母乳がたくさん出るようにお餅の団子を買ってきてくれたり、小豆を煮ておはぎを作ってくれたりして…。男の子はやっぱり可愛いって何度も言って、抱きしめていた…」


 何だか涙が零れてきた。母は何度も亮さんのことを思って泣いたのだろう。誰にも言えずにつらかったはずだ。産んだばかりの子どもと離れることが、どんなにつらいかなんて、考えただけでも涙が出てきてしまう。

 母親になって子育てをしたからこそ分かる気持ちだ。私の子どもを見ながら、遠い日に残してきた息子を想い、だからこそあんな表情で孫と向き合っていたのかもしれない。

 気付くと亮さんも泣いていた。 

「僕は、僕はね、ち、小さく生まれた…だよ。それでね、母乳を、ずっと母乳をあげていたって、養子に出されるまで飲ませていたって…。母子手帳にそれだけは書いてあったよ。僕はいらない子じゃなかった…のかな。」

 亮さんの身体の内側から光が漏れてきているようだ。亮さんの両手を握りしめ、顔を近づけて涙で濡れる瞳を覗き込む。光り輝く人をこんな間近で見ることはなかった。亮さんの涙をそっと拭う。亮さんが瞼を閉じた拍子に涙が頬を伝って落ちていく。

 亮さんの顔を自分の胸にあて、背中をゆっくりとたたいた。そう、まるで小さい子どもをあやすように…。


 気配がした気がして振り向くと、伸一さんが起き上がっていた。泣いたのか、目が少し赤い。

 伸一さんは、遠い景色を見るような目をして、静かに話し始めた。

「亮さん、俺さ無精子症でさ、子どもが作れない身体でさ…、欲しかったけど。」

「え?一度結婚して、子どもが欲しくないから離婚したのではなかったの?」

 亮さんは、急に現実に引き戻されたようだった。

「あの頃、当時付き合っていた子に妊娠したって言われてさ、身に覚えもあるし、喜んで結婚したんだよ。本当に嬉しかったんだ。入籍だけして、お互いの両親にもすぐに報告して、皆に祝福されてさ…。結婚式は安定期に入ってからって…。でも、彼女流産してしまって、そのまま体調崩してしまって、頑張っていた役者も辞めて、家でゆっくりすることにしたんだ。最初の子のこともあって、次の子は早く欲しくて、いろいろ試したよ。一度は妊娠出来たのだから、タイミングさえ合えば大丈夫だって二人で話し合ってさ。でも、ダメでね…。結婚して5年目に、検査したんだ、二人ともね。そうしたら、俺が無精子症だってことが分かったんだ。そう、最初の妊娠も俺の子じゃなかったのさ。複数の男と同時期に関係を持っていて、妊娠が分かった時は、一番お金を稼げそうな奴を選んで…。俺に言ったんだってさ。聞いて腹も立ったけど、5年間一緒に過ごしたんだ、乗り越えられるって、情もあった、許そうと思った…。楽しいことばかりじゃなかったけど、子どもが居ないって以外は結構うまくやってきたと思っていた。結婚前のことだって、今さら問い詰めても仕方ないなって、俺も人のこと言えないぐらい遊んでいたしね。でも、あいつは俺に離婚してくれって、子どもが欲しいからって…。5年も一緒に居て、バカみたいだったって言ったんだ。欠陥人間と5年も暮らしたなんて、信じられない、私の結婚は子どもが居ることが前提で理想で現実なの!ってさ。あいつが俺を許さなかったんだ。いや、はっきり言ってくれて、いっそ清々しい気持ちになったよ、ほんと…。」

 伸一さんの声が小さく、か細くなっていく。身体がぐらついた…。

「胸くそ悪かったから、すぐ離婚したよ。で、じわじわ来るわけさ。俺って何?俺の存在価値って何だ?小さい頃に親が離婚して、母親に引き取られたけど、俺が高校に行く頃再婚して、今は新しい旦那と楽しく暮らしている。俺は誰にも必要とされていない、誰かを幸せにすることも、子孫を残すこともできない。だから、仕事に打ち込もうって、でも、一生ついていくって決めた亮さんは…。俺、これからどうしたらいいんだろ?ほんと嫌になる。」

 伸一さんは、ぼろぼろ、ぼろぼろ大粒の涙をこぼしながら「もう嫌だ」を繰り返した。

 亮さんと二人で伸一さんの背中をゆっくり撫でながら、彼が眠りにつくのを待った。


「僕はね、自分のことはもう、粗方大丈夫だと思っているよ。本当は早く律ちゃんの元に行きたいくらいなのだから。でもね、石岡のことは、放っていけないって思っているのだよ。」

 私たち二人も横になり眠りについた。亮さんの心配する声が、耳の奥に残っているような気がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る