第5話 病気

 亮さんについては、子どもたち全員に説明をした。まず、私に兄がいたことを話すだけで、光莉は受け入れられない様子であったが、『光り輝いている人』と言うと納得したようであった。私たち家族の中でそれはもうすぐ死を迎える人を指すからだ。

「それで、今後はどうするの?」

 滉一が結論を促すように質問をした。

「残り時間は少ないと思うよ。胃がんのステージⅣと言っていたしね。だから、できるだけ、やりたいことをさせてあげたい。やり残した事が無くなるよう、苦痛無く過ごせるよう協力するつもりよ。皆に会いたいって言えば会わせたいし。」

「ま、そこは了解した、出来るだけ協力するよ。何かあったら相談して。」

 滉一がそう結論付けると、ほかの子も納得した様子で家族会議は終了した。

 亮さんは、何がしたのだろう。もし私が亮さんの立場だったら、何を求めるだろうか。自分の命が残り僅かであるなら、何もしたくなくなるのではないか。もう一度顔を見ながら話さなくては…と思い、今度は亮さんの仕事場近くで会う予定を組んだ。


 2週間振りに会った亮さんは、少年のようないたずらっ子の笑いで話しかけてくれた。

「舞台の稽古を見学してみる?」

 ビルの中にあるスタジオに入り、舞台の稽古を見学させてもらった。大きくはっきりとした声で淀みなく会話が進んでいる。突然、誰かが会話を止めたり、動作について注釈を入れたりしている。1本の線が入ったようなゆるぎない姿勢が緊張感と一体感をバランスよく全体を引き締めていた。

亮さんと向き合って話がしたくて、事務室に案内してもらった。

「亮さんは、自分の身体のことは誰かにカミングアウトしているの?」

「ああ、うん。この間怪我した奴いたでしょう?あの石岡とここの社長にだけは話しているよ。」

「石岡さんと社長さんね?一緒に少し話が出来れば…と思っているのだけど。」

「そうだろうなと思って、石岡を呼んでいるよ。あいつが来たらここを離れようか。この近くに美味しいごはんが食べられる場所があるから、そこに行こうと思ってね。」

 石岡さんは、手術後の経過もよく、松葉づえでの歩行も上手にでき、足以外は元気な様子であるとのことだった。

「石岡の足が治っていたら他の店でも良かったのだけど、こいつの足だとまだ遠出は無理だからね。奴の自宅はこの近くにあるのだよ。」

 石岡さんが到着してから、店に移動し、お互いに自己紹介を終えた。怪我の状態など当たり障りのない会話を終わるころ、私から切り出した。

「石岡さんは、亮さんの病気のこと、いろいろ聞いているかと思うのですが…。

「ああ、伸一でいいですよ。俺も優里さんって呼びますから。亮さんのことは聞いているし、俺に何か出来ることがあるなら、何でもしますので…。」

 出来るだけ亮さんの前で伸一さんの気持ちを聞いておきたかった。亮さんが気兼ねをするような雰囲気を作ってしまうことに懸念があったからだ。

「では、伸一さん、亮さんとはこれからどんな風に過ごしたいですか?」

「うーん。いきなりですか?出来るだけ亮さんのやりたいことをフォローしていく感じで…。で、亮さんは何をどんな風にしていきたいですか?」

 伸一さんが、前向きにあくまでも亮さんを主体として考えてくれていることに心から感謝した。亮さん自身に残りの時間の使い方について、何か思いがあるのだろうか。

「難しいね。やりたかったことは、肉親に会いたかったってだけで…。うん、あんまり深刻な感じでなくて、出来れば楽しく…がいいかもしれないね。」

 医師からの余命宣告については、本人には聞きにくい。強い抗がん剤を使用すれば、まだ延命は可能かもしれないが、本人は抗がん剤の使用には積極的ではない。それならば、本人が希望する人生を最期まで生き抜くことが出来るよう、手助けをしていきたい…。

「楽しく…ですね。とってもいいと思いますよ。具体的にやりたいことって何かありますか?」

「僕はね、子どもが居なかったから、子どもと過ごした経験がない…。今更僕のDNAを持つ赤ちゃんが欲しいとか、抱っこしてオムツを変えてみたいというのはないのだけど、例えば男の子がいたならキャッチボールしてみたかったなとか、好きな野球球団のナイターを見に行きたかったとか、女の子だったら遊園地や水族館で親子デートをしてみたかったとか、子どもが成人していたら飲みに行ってみたかったなとか…かな。」


 対象が子どもに限定されている理由は、何だろう。奥様が既に亡くなられているからか、異性に関してのやり残した事を話すことはない。もしかすると、奥様への遠慮や私への配慮があるのかもしれない。

 先ずは、やりたいことを明確にしてリスト化し、できるだけ実現出来るよう時間を調整していく必要があるだろう。亮さんの仕事の調整もこちらの都合に合わせて行ってよいことなど社長から事前に承諾を得ており、伸一さんがすべての仕事を引き受けることになっているようだ。社長と伸一さんの連絡先を確認し、真面目な顔で亮さんと向き合った。

「亮さんには、好きな女性というか気になっている女性はいないの?デートとかどうかしら?」

「そうだね…。そういった気持ちはどこかに置いて来ちゃったみたいだね。それに、この状況で好き嫌いを相手に告げてもね…。僕が相手なら困ると思うよ。何だか張り切って仕事を仕切るマネージャーみたいだね。転職する?」

 亮さんはにこにこしながら、拒否をした。この件は、ここで止めよう。これ以上追及しても無駄だろう。今後について、もっと話を詰めていかなくては…。はやる気持ちを抑えて、今度会える日を決めて別れた。二人と離れてから、じっくりと自分の行動を振り返ってみた。言い方が強引でなかったか、時間的に余裕がないように感じなかったか、誘導尋問のようになってなかったか…。私はやっぱりせっかちだな…反省した。

 その晩、夜遅くに伸一さんから連絡があった。亮さんには内緒で会って話したいとのことだった。すぐに連絡し、短い時間でもいいから二人で話せるよう段取りしたあとに、溜息が出てしまった。今夜は眠れそうにない。


「優里さんは何か焦っているの?亮さんの身体の調子ってそこまで悪くないでしょう?」

 やはり先日の私の対応が緊迫して見えてしまったのだろう。でも恐らく時間がないはずだ。本当のことを言った方がいいだろう。

「亮さんからは余命について何か聞いている?」

「余命については、俺は社長と一緒に聞いているよ。短くて半年、長くて1年程度だって…。だから、そんなに急がせなくてもいいと思うけど。」

「そうだったのですね。私は医療関係者だから、がんの末期状態については、よく理解しているつもり。だから本当のことを素直に正直に言うね。余命って最期まで元気で過ごせる時間ってわけではないのよ。亡くなる1~2か月位前になると、多分ベッドから起き上がれなくなって、寝たきりになると思う。それにね、抗がん剤もほとんど使ってないでしょう?がん細胞の増殖って怖くてね。年齢も若いし、がん細胞は際限なく増えていく…。。胃がんだから、すぐに食べられなくなるかもしれない。美味しいと感じる前に吐いたりすることが多くなるかもしれない。意識はあっても、身体を動かすことができなくなるかもしれない。だから、本人の体力や消化機能を考えると早めにやりたいことをさせてあげたいの。」

 本当のことを話すのは、伸一さんと社長にだけにしようと思った。亮さん本人には今は伝えたくない。もしかすると、奥様が乳がんで亡くなったと話していたから、少し何か気づいているかもしれない。でもまだ触れる必要はないだろう。

 伸一さんの足の状態はすこぶる良好で、もうすぐ松葉づえも要らなくなりそうである。我が家での食事会の予定を来週末に組むことにした。伸一さんも含めて、亮さんに私の家族を会わせて話をしてもらいたい。今はまだみんな笑顔で楽しみたい。

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