工作員

 原子力発電棟内部の薄暗い道を、軍服の上から防寒着を羽織ったカルビン・ベルト大佐が、足早に歩んでいく。

 いきなり、けたたましい警告音が鳴り響き、赤い光が明滅を開始した。避難勧告も放送され始める。

 大佐は軍帽を持ち上げて、通路の上部に設置された手近な赤ランプとスピーカーを仰ぎ、イヤホンマイクで呼び掛けた。

「勘付かれたようだ。もうすぐそちらに着く、状況は?」

 返答はなかった。

 思わず立ち止まり、繰り返す。「状況は? 応答しろ」

 するとマイクからは、雑音交じりの呻きが聞こえた。

 ベルト大佐は瞬時に駆けだし、中央制御室前に到着すると、突き破らんばかりの勢いでドアを開け放った。


 そこには霧が満ちていた。覚えのある匂いに、大佐は腕で口と鼻を覆う。

「睡眠ガスか」

 中央には、煙の発生源である円筒状の榴弾が落ちている。机には原子力発電棟の隊員らが突っ伏し、床や壁にもたれ掛かっているのは米兵たちだ。いずれも眠っている。最深部にあるスクリーンには、レベル7の原子力事故の発生が警告されていた。

 予定とまるで違う事態だった。本来なら、ベルト大佐の直属の部下たちは運転員らを追い出し、ここを占拠しているはずなのだ。妨害電波も、彼らが発信していた。

「……ヌが」

 傍らの米兵から呻きが洩れたので、大佐は屈んで上体を起こしてやった。

 兵士は虚ろな眼差しで消え入りそうな声を発していた。ベルト大佐が彼の口に耳を近づけると、部下は部屋の一点を指差した。


「エ、……ティエンヌです。奴は、フランス対外治安総局DGSEの……」


 指先の示す位置には、非常用通路への扉が開いていた。

「くそったれ!」

 大佐は兵士に肩を貸して立たせた。それから次々と寝ている隊員に声を掛け、時折は頬を張ったりしながら覚醒させた。

「みな目を覚ませ、基地が崩壊する!! チャイナ・シンドローム作戦は中止だ!」

 やがてあらかたの人員が意識を取り戻すと、初めに起こした兵士のもとに来て、大佐は命じた。

「運転員たちも含め、症状の酷いものは助けてやれ。速急に撤退するんだ」

「……た、大佐は?」

 まだ朦朧としながらも兵士が尋ねたので、ベルトは答えた。

「奴を追う」

「自分たちも……同行します!」

「そんな調子では足手まといだ。こちらにも手段はある」

 ベルト大佐は非常口のほうに進みながらイヤホンマイクに手を当て、なにかを決意したように独白した。

「……已むを得まい」

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