研究

 セルゲイは沈んだ顔付きで、総合管理棟内の殺風景な廊下をぶらついていた。


「死んだ?」


 男の声が耳朶に触れた。セルゲイの進路と直交する、別な道筋からのものらしい。

「ええ、今朝だって」同様の方角から、女性の声が答える。「もうお年寄りだったから、国に帰してあげたかったわ」

 温水床暖房入りの地面を踏み鳴らす足音が接近し、私服姿の好一対の男女が現れた。日本人男性とドイツ人女性、観測隊員だ。

 セルゲイの目前を横切り、真っ直ぐ通過していこうとする。

「誰が亡くなったのだね」

 セルゲイが声を掛けると、二人の若者は足を止めた。男性のほうが回答する。

「これはセルゲイ博士。いや、犬のことですよ」

「……ふむ」セルゲイは思索顔で呟いた。「そういうことか。可哀想に……」

 言葉通りに哀れみながらも、セルゲイは別なことも模索していた。

 二人の若者は怪訝そうに顔を見合わせたが、それ以上追求がないらしいことを悟ると、歩みを再開して去っていった。

 セルゲイは顎に手を当てて摩りながら、断熱材入りの壁に背を預け、ひたすら虚空を凝視していた。


 やがて自動ドアを開けて、隅にあるドアからセルゲイは自分の研究室に入った。

 DNA認証と暗証番号によるロックを解除して、戸棚を開ける。そこにあった小振りなケースを机に運び、机上を占領していた雑多な道具をどかすと、ケースの蓋を開け、数本寝ていたアクリル製の試験管の一本を、スポンジのベッドから取り出した。

 内容物を机の上にあける。こぼれた脱イオン水の中を、微小な固形物が泳いでいる。彼は光学顕微鏡を用意して、ピンセットでそいつを摘み、プレパラートにした。

 接眼レンズを覗こうとして、博士は机の端に何かがあるのを捉えた。

 そこには卓上を片付けたときに隅に寄せてしまっていたらしい、ピン付きの伝言メモがあった。

 彼が紙片を読むと、『病人が出たので原因を特定して欲しい』旨が記されていた。現状、暇があって適任なのは、セルゲイのみらしい。


「南極は無菌だ、風邪はひかんだろうに……」


 呆れて博士は顕微鏡を覗いたが、そこで驚愕した。

 慌てて顔を上げたところで、さらなる異変を発見する。

 窓際の棚に飾られたポトスの鉢が目についたのだ。焦げたように変色した観葉植物の葉。ポトスは枯れ始めていた。

 蒼白になった博士は、骨伝導イヤホンマイクの無線機で、緊張した声色で遠方の知人に呼び掛けた。


「ノザワ、すぐにみなを呼んでくれないか」

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