バクテリア

 およそ百万年ものあいだボストーク湖で眠り、生存していたバクテリア。B-46。

 晴天の雪原を、そのB-46をいくつもの二重真空ガラス壜に詰めてそりの上に適当に載せ、引いている人物がいた。ヤッケとスキーズボンに身を包み、ゴーグルを掛けたがっしりとした体格の男は、ドイツ人のハンスといった。


「なんだってこんなに管理棟があるんだ。同じ建物内で済ませろよ」

 機嫌が悪そうなハンスのぼやきに、彼と同様の格好をした同郷のエッカートが、そりの後ろを付いていきながら返答する。

「表向きは協力関係にあっても、裏では鎬を削ってるからな。実際は離れてたいのさ。自国の収穫を容易く他国には譲りたくないはずだ。どこの国でも暗黙の了解だから、文句は言わないんだろう。おれたちみたいなのを除いてな」

 雪に足を取られてハンスがよろめき、そりが激しく振動した。

「おい、しっかりしろよ」エッカートが注意する。「やっぱり通路を通った方が良かったんじゃないのか」

「さっさと終わらせたいんだよ」

 ハンスは言って、ロープを肩に担ぎ直すと再びそりを滑らせだした。

 呆れたエッカートは溜息をつき、目線を横にやった。そこには、五角形の総合管理棟が鎮座している。


 五つの面からは廊下が延びており、それぞれ別の国の管理棟に繋がっているのだ。屋内から他国の管理棟に行くには、いったん総合管理棟を経由しなければならない。これを面倒がって、命じられた他国間の試料の受け渡しを短縮すべく、ハンスはこの手段に出たのだった。

 かつて三メートル先のトイレに出掛けようとして遭難した隊員の逸話さえある南極において、彼らは通路で慎重に荷物を運搬するよう上司に指示されていたが、ハンスはなぜだか急ぎたがり、天候が良かったこともあって、手早く仕事を片付けようとしたのだった。


 道中も中盤まで差し掛かったとき、突然、ハンスが転倒した。ロープに引っ張られて派手にそりが傾き、二重真空ガラス壜がいくつか転がる。閉め方がいい加減だったため、うちひとつは蓋が外れ、ドライアイスと凍ったB-46入りのアンプルが散らばった。

 エッカートは蒼白になって、ドライアイスを拾いながら叫んだ。

「もういい、おれが代わる!」

 ハンスもよろよろ立ち上がり、エッカートを手伝ってアンプルを容器に戻した。

 そんな光景を、遠く総合管理棟のシリコン処理された二重窓から黙視している、セルゲイの姿があった。


 発熱したハンスが寝込んだのは、翌日のことだった。

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