第80話 79、イスマイルの軍事衛星

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 『売物件、お気軽にお問い合わせ下さい。連絡先:アクアサンク海底国』と英語で書かれた大きな看板が南北朝鮮を縦貫していた国道1号線の境界位置の道路の中央に実際に立てられた。

周囲には柵とか鉄条網のような国境らしい物は何もなく、道路は一直線に北鮮に伸びていた。

道路の南鮮側の少し先にはイスラエル国の国境検問所が新築されていた。

その国境検問所を通過する人間はマスコミ関係者しかいなかった。

 世界のマスメディアはその看板を撮影して世界に配信した。

とは言え、誰も地上からその土地の内部深くを見ることはできなかった。

時々、国境線に沿って緑色のカプセル型戦闘機が巡回していた。

グリーン大隊の封鎖は北鮮の範囲で続いていたのだ。

南鮮の海上封鎖は完全に解かれ、新しいイスラエル国は東西南3方を海に面し、北方を住民のいない土地に接する国となった。

 イスマイルはようやく軍事衛星の建設に着手し始めた。

最初に人型ロボットの宇宙空間での活動の可否を調べた。

結論を言えば人型ロボットはロボット体内の温度が地表と同程度であれば活動できることが分かった。

 宇宙空間の陰圧にはロボット体内の各部品は耐えることができた。

宇宙空間の低温にはロボット体内の人工脳が作動不良を起こした。

同様に人工筋肉も低温では機能が低下した。

特に顔筋のような細い人工筋肉に機能低下が大きかった。

表情が豊かでなくなる。

視覚と聴覚機器は急激な気圧変化を苦手とした。

それでも宇宙空間での人型ロボットは人工皮膚の温度を高めに設定することで宇宙空間を自由に飛翔でき、人工衛星の宇宙空間での組み立てができた。

 イスマイルは人型ロボットに軽装甲の全身ボディーアーマーと全周透明なヘルメットを着けさせ、それをロボット用の宇宙服とした。

ロボット用宇宙服には人間用のような生命機能維持装置は無く、宇宙服の内側は宇宙空間では真空になった。

ボディーアーマーとヘルメットは宇宙空間の微小な塵を防ぐためと衛星外壁に自身を固定するための物だった。

 もしも宇宙空間での戦闘が必要になれば、ロボットには大型分子分解銃を付けた重装甲の全身ボディーアーマーを着させればいい。

人型ロボットは女性の体型で女性の皮膚と女性の顔をしている。

ロボットの中には長い髪を持つ者もいたが大部分のロボットはヘルメットを着けやすくするため髪を短くしていた。

 軍事衛星の装甲部分はイルマズ造船所で作られた。

乙女号の外壁と同様に蟻溝が彫られた60㎝厚の鋼塊はロボットの操縦する操縦室の付いたテンダーボードに載せられて人工衛星軌道高度まで上昇し、人工衛星の速度まで加速され、分離されて人工衛星になった。

その位置にはグリーン大隊の司令官の原子力深海調査船と500機の戦闘機が人工衛星となって待機しており、戦闘機の500体の人型ロボットは浮かんでいる鋼塊を巨大な軍事衛星に組み立てて行った。

北鮮での哨戒は戦闘機500機で足りた。

 イスマイルはアメリカ合衆国から宇宙服を購入し、必要に応じて乙女号で軍事衛星組み立て現場に行き、ロボット達の作業を指導した。

イスマイルの宇宙空間での移動はシークレットに手伝ってもらった。

シークレットはイスマイルを優しく抱いて宇宙空間を移動した。

それでもイスマイルは暗黒の宇宙空間での自由落下は好きではなかった。

通常は現場にシークレットを現場に派遣してテレビ撮影させ、それを乙女号の操縦室で見ながら指図した。

 イスマイルは与圧されている乙女号の中でもやはり自由落下は好きではなかった。

通常、イスマイルは乙女号を当該衛星軌道面に沿って50㎞まで上昇させ、それから斜め上に加速して衛星軌道に乗せる。

操縦室の椅子にイスマイルを押し続けていた加速度が次第に下方から背中に移って行き、やがては背中だけに加速度を感じるようになる。

その頃には衛星軌道に乗るので前方への加速を止める。

そして途端に自由落下状態になる。

 猫なら身を反転させる状態だが、猫だってどちらに身を反転させて良いのか分からないだろう。

でも本当に猫は反転の方向が分からないのだろうか。

猫が加速度に反応するだけなら反転方向は分からないだろうが、もしも猫が地球の引力や磁力が判るのなら反転する方向は一方向になる。

やって見なければ分からない。

イスマイルはそんなことを想像した事もあった。

 イスマイルはシークレットにぼやいた。

「シークレット、この自由落下ってのは人間には気分が悪いね。何度も経験しているが慣れることは絶対にできないってことが分かった。人間には重力が必要だ。シークレットは自由落下をどう感じる。」

「はい、イスマイル様。加速度がなくなって行くことは分かります。私の体重を減少させている重力遮断パネルへの電流が減少してゆくからです。でもそれが不快感になるまでには至っておりません。」

 「そうか。飛翔できるからかな。シークレットは高所から落下しても浮かぶことができる。亀や犬猫や象は落下すればおそらく恐怖を感じる。鳶(とんび)は急降下してもおそらく恐怖を感じない。トンボだってそうだろう。」

「イスマイル様、質問してもよろしいでしょうか。イスマイル様はどのようにしてお作りの軍事衛星に人工重力を発生させるのでしょうか。イスマイル様が兵士達に命じた命令は存じておりますが、私の知識では最終形を想像することができないのです。」

 「サーカスで球形の金網の中をオートバイで走る出し物があったろ。あれだよ。鉄の球体の中を電車が走るんだ。最初の設計では昔からあった二重ドーナツ型の人工衛星を考えていたのだけど、そんな形では構造的に脆弱な物になってしまう。骨組み自体を頑丈にしなくてはならないし、衛星全体を動かすのも大変だ。それにそんな形では外からの攻撃に損失無しで耐えることができない。軍事衛星だから敵の攻撃を想定しないとならないからね。結局、隙間のない分厚い鉄の球体を作って球体内部に電車を走らせて人工重力を作ることにした。」

「まあ、そんな形の人工衛星は見たことがありません。」

「ものすごい量の鉄を衛星軌道に上げなくてはならないからね。費用がかかりすぎるから最初から論外だったのかもしれない。」

 「軍事衛星の意味が分かりました。」

「すこしだけ自慢だよ。分厚い装甲だからミサイルの爆発は問題にならない。後は核兵器だ。宇宙での核爆発では爆風はない。その解放されるエネルギーは熱線も含めた放射線だけだ。放射線は60㎝の鉄塊で防ぐことができる。鉄壁を通り過ぎた中性子は貴重な飲料水を球体隔壁内部に貯水槽を作れば止まる。余裕があれば防御壁を二重にしてその間に飲料水を貯めてもいい。宇宙では水は水玉になるから衛星破壊に至る水の圧力もない。それに防御壁はブロック構造だから一部が破壊されたら直ぐに補修ができる。防御壁の材料は外に浮かべておけばいい。まあ基地の周りの掩体や地雷みたいものだ。防御壁内部は与圧を維持できるだけの脆弱で安価な普通の素材で作ることができる。宇宙塵で穴が開くこともないからね。それに出入りも簡単だ。電車を平行に走らせればいい。空中に浮かんで電車に乗り込んでシートベルトをつけて腰かける。電車が動き出すと自然に重さが増えて行き、後は歩いて隣の電車に乗り換えればいいわけだ。」

 「分かりました、イスマイル様。でも電車の速さはかなりのスピードが必要なはずです。衛星の大きさが500mですから地球と同じ加速度を得るためには電車はその内側を1分間でおよそ2周しなければなりません。時速では180㎞です。」

「真空中だからだいじょうぶさ。風もないし地震もない。だめな時には時速を90㎞にすればいい。体重は28%になる。月では16%だからそれよりずっと重い。シークレットは200㎏だから56㎏になる。重力遮断しなくてもハイヒールが履けるよ。」


<< 計算法: 遠心加速度(G)=0.001118・R(m)・N<2>(rpm) >>


 「まあ、イスマイル様。・・・衛星の大きさから想像する内部生活空間と実際の生活空間は大きく違うのですね。イルマズ様の生活空間は電車の内側だけですか。」

「今のところはね。衛星の内部空間の大部分は何もない無重力空間だ。戦闘機を入れておくのに便利だ。ロボット兵はその空間を自由に安心して動くことができる。だいたい宇宙が怖いのは行き止まりがないことだと思う。ここに来て実感したよ。衛星内ならコントロールを失っても内壁に当たるだけだ。」

 「攻撃兵器は分子分解砲でしょうか。」

「今のところはね。でも砲門は防御壁外には出さない。防御壁は何の突起も穴もない真っ平らだ。周囲が安全で、攻撃準備をする時間がある時だけ防御壁外に分子分解砲を出して使う。通常は甲羅の中に縮こまった亀だよ。後は戦闘機隊が守ってくれる。」

 「穴があればそこが弱点になるからですね。でもアンテナはどうですか。」

「シークレットが心配しているのは核爆発による電磁パルスのことかい。対策があれば何でもできるさ。球体内の電子機器は安全だ。それに周りは全て導電性の鉄だよ。」

「そうでした。・・・分子分解砲に対してはどうでしょうか。」

 「それにはお手上げだよ、シークレット。今のところ防ぎようがない。同じ軌道を維持しようとするならせいぜい衛星の周りに散らばっている補修用の鉄塊を盾に使うしかない。でも衛星には重力遮断パネルを埋めてあるからね。荷造りをして一目散に逃げ出すさ。簡単に軌道を変えることができるし加速も負けない。でも実際にはそうなったら戦闘機隊を発進させる。宇宙戦闘機隊ってわけだ。それに報復は相手の母国にするからね。」

「地球内の国はあまり衛星を攻撃したくはないと思います。」

「そう思ってくれることを期待するよ。」

 「イスマイル様。宇宙戦闘機隊ですが、宇宙でも自在に飛べるのでしょうか。私は自分の飛翔能力が落ちていると感じております。」

「もちろん性能はガタ落ちだよ。重力加速度が小さくなっているからね。でも引力の力はけっこう遠くにまでとどくからね。人工衛星軌道が飛んでいる高度ならそれなりに動くことができる。局地戦闘機隊ってわけだ。」

 イスマイルの軍事衛星は3年目にほぼ完成した。

それは直径500mの球形だった。

大きさ的にはそれほど大きなものではない。

この時代の航空母艦は300m程度の長さがあった。

通常の航空母艦の船内は色々な構造物で占められているがイスマイルの軍事衛星は空っぽに近かった。

 衛星内はトーラス型のトーラス電車が真空状態にある内壁を常に高速走行しており、トーラス電車内が居住空間になっている。

トーラス電車は一応、リニアモーターシステムで電車の速度と軌道を制御しているのだが、人工衛星内部は真空状態であり見かけ上の無重力なので宇宙空間に浮かぶトーラス型の衛星と同様にほとんどエネルギーを消費しない。

トーラスは衛星の防御壁とは接触していないのだ。

何事もなければトーラス電車は衛星内をエネルギー消費無しで回り続ける。

見方を変えれば、ドーナツ型の人工衛星の周りを分厚い装甲で囲っている人工衛星だとも言える。

 トーラス電車に入るにはトーラス電車と平行に防御壁に設けられた線路上にあるステーション電車に宇宙服を着たまま乗る。

ステーション電車はトーラス電車軌道と平行にある線路上をトーラス電車と同じ速度になるまで加速し、トーラス電車の気閘(エアロック)と連結される。

人間は宇宙服をトーラス電車の気閘で脱いでからトーラス電車内部に入る。

要するに駅が動いて列車に追いつくのだ。

 軍事衛星のエネルギーは独立した2箇所の原子力発電機から得られる。

一箇所は防御壁の内側に接してあり、もう一箇所はトーラス電車の中にある。

前者は衛星防御壁全体の電力を供給し、後者はトーラス電車内の電力を供給する。

こうすることでトーラス電車の回転運動に負荷がかからないし、駐機している戦闘機の充電が容易になる。

 イスマイルは互いに反対方向に回転する2列のトーラス電車は考えなかった。

軍事衛星なのだ。

互いに反対方向に高速で回転する近接した巨大な回転体など、攻撃を受ける蓋然性が高い軍事衛星では危なすぎる。

構造は単純な方がいい。

そんな理由のため、軍事衛星はわずかずつトーラス電車の回転と反対に回転する。

そんなものはいくらでも修正できる。

トーラス電車の断面は直径50mの円形で長さは1500mだ。

それだけの広さがあれば乙女と二人で生活するには困らない。

 ある夜、イスマイルは乙女に言った。

「乙女さん、次の日曜日は空いているかい。」

「ダーリンのことならいつでも空いているわ。」

「人工衛星が完成したんだ。乙女さんに見て欲しい。それで感想を聞かせて欲しい。」

「面白そうね。案内して。私が用意するものは何。」

「ズボンを履いて来てほしい。宇宙服に着替えなくてはならないから。」

「まあ、宇宙飛行士になるのね。了解。」

 次の日曜日、イスマイルと乙女とシークレットは乙女号に乗って宇宙空間に出かけた。

グリーン大隊の司令機と10機の戦闘機が乙女号を川本研究所から護衛した。

乙女号は川本研究所から真上に上昇し、人工衛星を追いかけて軍事衛星に到着した。

軍事衛星の外壁には多数の戦闘機が張り付いており、衛星を守っていた。

軍事衛星の地球から見えない側に防御壁の一部が持ち上がっており、そこから明るい光が漏れ出て持ち上がった防御壁の内側を照らしていた。

 「あそこが入り口ね。きれい。中は光の国ね。」

「まあ、電力は十分にあるからね。それにロボット兵士は目で見るから光が必要だ。」

乙女号は軍事衛星に空いた穴から衛星内に入り、ステーション電車の横の駐機場に磁気接着して止まった。

 「ここがステーション電車の乗り場だ。ここで僕らは宇宙服を着なければならない。宇宙服のチェックは僕がするよ。」

イスマイルと乙女は宇宙服を着け、シークレットはロボット用宇宙服を着けた。

三人は乙女号の気閘(エアロック)から外に出て、鉄の桟橋を歩いてステーション電車に乗り込んでシートベルトを締めた。

「乙女さん、動くよ。隣で高速で回っているトーラス電車に追いついてからトーラスに入る。」

「了解。私って無重力はあまり苦にならないみたい。楽しいわ。」

「僕はまだ慣れないよ。」

 三人は無事にトーラス電車に乗り込むことができ、体重が生じた。

「おやまあ。体が軽くなっている。イスマイルさん。ここの遠心加速度はどれくらいなの。」

「今は地表の4分の1くらいかな。電車の速度を変えればいくらでも変えることができるよ。」

「武道の鍛錬にはいいわね。」

「ダンスを踊るのも楽だ。」

「ダンスができるボールルームはあるの。」

「もちろんあるさ。トーラス電車の幅は50mだ。長さは1500m。ダンスを踊るには十分だ。」

「ここなら歳をとってもダンスを踊ることができそうね。」

「そうだね。」

 イスマイルは小さい声で言った。

時は2184年。

乙女は47歳になっている。

133歳のイスマイルはまだ23歳の肉体を持っている。

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