第20話 19、全日本アマチュアダンス選手権大会

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 「おはよう、イスマイル君。ダン研の合宿はどうだった。」

イスマイルが固体物性講座の大学院生の部屋に入るとすぐに吾郷麻子が声をかけた。

「おはよう、吾郷さん。楽しい合宿でした。」

「良かったわね。大学生活を堪能できたみたいね。それが青春時代ってものよ。」

 「これまでこんな経験をしたことがありませんでした。吾郷さんは大学生の時はどこかのクラブに入っていたのですか。」

「入っていたわよ。」

「どこですか。」

「どこだと思う。ヒント。大きな相棒がいた。」

「女性だから格闘技ではないですよね。運動部でも大きな相棒は・・・質問してもいいですか。」

「どうぞ。」

 「相棒ってボートとかヨットとか自動車のように生きていないものも含まれるのでしょうか。」

「相棒って言ったら生きているものよ。」

「それなら、乗馬クラブではないですか。」

「大当たり。そう、馬術部だったの。」

「馬術部もダン研と同じように乗馬競技に勝つためのクラブなのですか。」

「そうよ。馬術大会で勝つことが目標。」

 「大学の中に馬場があるのですか。」

「そうならいいんだけど、少し離れた場所にあるの。だからそこに通うのが辛かった。教養の時には講義をサボって通えたけど学部に移ったら通うことができなくなった。2年目の半ばで辞めたわ。」

「そうでしたか。集まる場所が近くにあるって事は重要ですね。」

「そう思うわ。」

 「今日からまた昼に抜け出してダンスの練習をして来ます。」

「不思議だったんだけど、イスマイル君のパートナーって東大生の2年目なんでしょ。まだ教養生なのに昼の練習ができるの。」

「パートナーは取り上げられてしまいました。4年目のパートナーが居なくなったので僕のパートナーが4年目のパートナーになったのです。」

 「まあ、陰険ね。サディズム蔓延(まんえん)のダン研らしいわ。それで今はどうしているの。」

「新しいパートナーと練習をしています。」

「ふむふむ。俄然興味が湧いたわね。イスマイル君が見つけたの。」

「そうです。」

「イスマイル君にそんなことができたんだ。立派。新しいパートナーってだれ。」

「ダン研のOGです。」

「なあんだ。どこかにお勤めしているの。」

 「生物学科修士の2年目です。吾郷さんも知っているはずです。生物学科とのソフトボールの試合で相手のピッチャーをしていた女性です。」

「あの髪の長い女の子ね。あの子、ダンスをしていたんだ。だからスタイルがよかったのね。」

「大鈴井乙女さんと言います。」

「大鈴井さんはダンスは上手なの。」

「僕よりずっと上手です。A級です。」

 「イスマイル君は何級なの。」

「僕はスタンダードのA級に上がったばっかりでラテンもC級に上がったばっかりです。」

「A級の試合ってよくあるの。」

「年に数回あると思います。B級以下はなになに戦って大会がありますがA級にはありません。A級の試合はオープン戦で日本選手権試合のように『日本』って言葉が入ります。」

「じゃあ、そこで優勝したら日本一になるわけね。」

「良く分かりません。色々な団体があるようですから。」

「今度、イスマイル君が出る全日本戦があったら教えて。見に行って応援してあげる。」

「ありがとうございます。」

 その日の昼にイスマイルが大鈴井乙女と一緒に教習所に行くと蒲田先生が言った。

「イルマズ君、合宿は面白かったか。学生の特権みたいものだからな。大鈴井さんも出席したのか。」

「はい。一緒に練習しました。」

「それならいい。ところで10月後半の全日本アマチュアダンス選手権大会に出るんだろ。」

「はい、その予定です。」

「それがいい。僕は君らがそこそこの成績が取れると思っているんだが、このクラスの大会には魔物が出るからな。プロの僕もこのクラスではなかなか予想が難しいんだ。」

「がんばります。」

 イルマズ大鈴井ペアは毎日練習した。

二人のレベルは1日休めば腕が下がるレベルに達していたのだ。

日曜日にはイスマイルのマンションでイスマイルが集めたトップダンサーの踊りの録画を見て互いの意見を交わした。

 「このペアは華麗なんだけど何だかチャカチャカしている。バリエーションを踊っている時に頭が不用意に上下している。見た目はすごいステップなんだけどね。これだと観客は落ち着いて見ることができないと思う。」

「そうね、決まった時の形は綺麗なんだけど、途中の動きをコントロールしていないみたい。ウーッパっていうのじゃあなくて、ただのパーね。」

「それにバリエーションの連続だ。タンゴじゃあないみたいだ。曲のリズムの美しさを無視しているように思う。僕らは完璧なベーシックを入れよう。その中にバリエーションを混ぜるってことでいいかい。」

「そうしましょ。」

 「このペアのクイックは飛び跳ね過ぎだ。忙(いそが)しすぎて格好が悪い。これも歩幅が小さいからだ。こんな踊りはしたくないな。高貴さがないよ。」

「どうしたら高貴さが出るの。」

「そうだな、クイックステップをスローフォックストロットで踊ったらどうだろうか。」

「そんなことができるの。」

 「乙女さんと僕は力が強いだろ。体全体を素早く動かすことができる。クイックのリズムで歩幅を広げることができると思う。もちろんそのためには頭の位置は低くしなければならない。僕らのクイックはタンゴのように上下動があまりないクイックにしないかい。」

「膝を少し曲げるのね。それだと恐ろしくスピードの速いクイックになるわ。あっという間にホールの端から端よ。ホップはどうする。使わないの。」

 「もちろん使うさ。上下動は重力に支配されているから動きのスピードは急に遅くなるように見える。アクセントがついていいと思う。」

「面白そうね。ピューって端に行ってバリエーション。それが終わったら又ピューね。観客は驚くわね。」

「楽しく踊ろう。踊りが楽しくなければ踊り手はおもしろくない。」

「そうしましょ。我々はアマチュアで、お金をとって人に見せるダンスではないから。・・・ワルツはどうするの。」

 「僕はこんなワルツを踊りたい。この録画を見て。大昔の画像だけどイギリス人の世界チャンピオンの踊りだ。雄大で高貴な動きだ。バリエーションは優しい。」

二人は録画を見て意見を交わし、二人のダンスの形を決めていった。

イスマイルのマンションの広い居間はダンスの秘密訓練に役に立った。

 イスマイルは全日本アマチュアダンス選手権大会の前にペアのダンス用の礼服とドレスとダンスシューズを誂えた。

大鈴井乙女はドレスを作るときイスマイルに聞いた。

「私、ドレスの色は私のオーラの色と同じにしようと思っているのだけど、イスマイルさんはどんなドレスと踊りたいの。」

「乙女さんの気に入ったものでいいよ。特に希望はない。でも一つお願いがあるんだけどいいかい。」

「なあに。」

 「僕が君にプレゼントするティアラを頭につけて欲しいんだ。100年以上前のティアラなんだけど、まだ綺麗だ。」

「どんな謂(いわ)れがあるの。」

「僕の母の遺品の一つだ。父とトルコのベレクで出会った時につけていたものだ。」

「知ってるわ。お爺様のムスタファ・イルマズ大統領との会食の時ね。その時の水彩画にはそのティアラを付けたお母様が描かれていたそうね。」

「そうだ。自宅にはそのティアラをつけた母の肖像画がある。『五郎』ってサイン入りだ。」

 「そんな大切なものをいいの。」

「いいさ、僕が持っていてもしょうがない。未熟児だった息子がようやく一人前になりダンスの選手権大会に出れるようになったんだ。母も喜ぶよ。」

「ありがとう、頭につけて踊るわ。でも先端を黒のゴム紐で結んで頭の後ろに回さなければならないわね。ティアラは頭の中心ではないからタンゴでは飛んでしまうから。」

「まかせるよ。」

 二人は万端の準備をして大会を迎えた。

出場者数は1000組ほどで予選を何度も通り抜けて本戦に出場できることになる。

出場料は1万円ほどだから主催者には大きな収入となる。

1000組のカップルは500組、250組、100組、50組、25組、12組のように6回の予選を通して逓減(ていげん)され準決勝の12組が選ばれる。

セミファイナルの12組のうちの6組が決勝に出ることができ、優勝者が決まる。

 1次予選などは1000組のカップルが踊らなければならないので、12組ずつ80回ほどに分割されて行われる。

出場者は自分の出場時刻が近づくと衣装を着替えて1次予選に備える。

イルマズ大鈴井ペアは中程だった。

 競技ダンス予選はスケーティング方式という方法で評価される。

審査員は12組のカップルが入り乱れて踊る2分間ほどの時間の間に順位を決めなければならない。

12組を120秒だ。

平均では1組に10秒が費やされる計算だ。

たまたま悪い動きをした時に審査員に見られてしまえば、もうそのカップルは二度と見向きもされない。

それ以後どんなに上手に踊ってもその踊りは見てもらえない。

そんな状況だから審査員の評価は割れる場合が多い。

 スケーティング採点方法はそんな状況での評価を正当化させている。

仮に7人の審査員がいたとして、7人の過半数の4人が示した順位がそのペアの順位となる。

同じ順位になった場合の評価の細則はあるが、4人の審査員が1位と評価して3人の審査員が6位と評価しても1位になるし、4人が6位と評価して3人が2位と評価しても6位になる。

 イルマズ大鈴井ペアにとってはこの評価方法が幸いしたのかもしれなかった。

二人は完璧なベーシックの間に完璧に近いバリエーションを加えた。

いつ審査員に見られても安全だった。

一次予選は振り落とす予選だ。

イルマズ大鈴井ペアは1次予選を通った。

 「ようやく一次予選が通ったわね。まずは安心。」

オーラの色と同じ紫のドレスを着た大鈴井乙女がイスマイルを見て言った。

「そうだね、でもまだ先は長い。どうする。そのままでいるかい。」

「私はこのままでいるわ。」

「じゃあ、ぼくもこのままでいよう。ほとんど汗をかいていないし。」

 イルマズ大鈴井ペアは2次予選も3次予選も通った。

選手権大会の大半の時間がこの辺りまでの予選で使われてしまう。

大鈴井乙女は汗もかいていない顔で言った。

「イルマズ大鈴井ペアはとうとう日本のアマ100に入ったのね。」

「幸運か作戦勝ということかな。」

 幸運勝ではなく作戦勝と言えるのかもしれなかった。

イルマズ大鈴井ペアのジャッジペーパーには予選通過ラインの6位がなく1位が並んでいた。

審査員はイスマイルの背中に安全ピンで付けられた背番号50番を記憶に留(とど)めていた。

見たこともないような動きを時折見せるペアだったのだ。

 イルマズ大鈴井ペアは4次予選も5次予選も通り、セミファイナル12組が選ばれる6次予選に出ることになった。

ここからは1曲の長さが長くなる。

審査員もじっくり審査することができる。

 イスマイルは乙女に言った。

「乙女さん、次からは本気を出す。少し欲が出てきた。二人で話し合った動きをする。」

「了解。ウーッパッとピューと高貴ね。」

「そうだ。そんな風に5曲を踊りたい。落とされてもしかたがないけどね。」

「了解。もう24人の中に入ったのだから悔いはないわ。やってみましょ。」

 イスマイルと乙女は本気で最終予選を踊った。

その踊りは二人が持つ超人的な筋肉だけがなし得る動きを含んだダンスだった。

バリエーションではリズムの時間内でタメと速い動きを見せて踊った。

フィンガースナップの中指の動きが目で追えないように、大鈴井乙女の上体の途中の動きは目に見えなかった。

クイックステップでは他の競技者の2倍以上のスピードで会場内を走り抜けた。

イルマズ大鈴井組はセミファイナルに出場できた。

審査員はもう一度イルマズ大鈴井組の踊りを見たかったらしく全員が1位の評価をした。

 「セミファイナルよ、イスマイルさん。セミファイナル。私たちのダンスが認められたのね。」

「そうかもしれない。もう一回やってもいいかい。」

「ここまで来たらイスマイルさんの思い通りにやって。」

「了解。」

「ティアラはもう少ししっかり頭に着けておくわ。さっきは飛びそうだった。」

 セミファイナル12組でイルマズ大鈴井組は前回と同じように踊り、ようやくファイナリストの一員となった。

ファイナルはソロ競技だった。

他の出場カップルが周りで見ている中で、他の踊り手のいない競技場を1組だけで踊る。

厳密に審査するためだ。

踊りは誰もが納得できるように録画もされる。

 イスマイルは自分の主張する通りの踊りを踊った。

乙女はそれに的確に対応した。

1曲が終わるとペアは審査員の前に並び電光板で審査員達の自ペアに対する評価を知る。

イルマズ大鈴井組は全ての曲において最高の評価を受けた。

最終的には審査員全員が全て1位と評価していた。

完全優勝だった。

 二人はその夜イスマイルのマンションでセックスを堪能した。

喜びを燃焼し尽くすセックスだった。

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