第14話 13、大学生の特権

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 4月のダン研は忙しい。

たくさんの新入生が入って来るし、新しい部長を決めなくてはならない。

これまでの4年目は3月の送別会でカップルで踊ってから退部してOBとOGになっていた。

これまでの3年目は4年目となり、7月初旬に行われる「全日本学生選抜競技ダンス選手権大会」に向けて全力を注ぐ。

これまでの2年目は3年目となり、新たな部長が選ばれて1年間ダン研を導く。

これまでの1年目は2年目となる。

イスマイルもダン研2年目になった。

 ダン研の部長選出は4年目と3年目と2年目全員の合議で決定されることになっている。

とわいえ、実際には4年目になった部長が最初に次期部長の候補を提案し、反対がなければその候補が次期部長になる。

ダン研の部長選出は例年と違って一週間ほど遅れた。

イスマイルがトルコから戻って来るのを待っていてくれたのだ。

C級になったイスマイルは少しだけ存在感が増していたのかもしれない。

 その日、例会が終わって1年目が帰った後、4年目と3年目と2年目の全員が練習場の片隅に椅子を丸く並べ車座会議をした。

部長の武川武蔵が最初に発言した。

「僕はこの会議の後に部長を辞める。次期の部長には3年目の大向武がいいと思う。皆んなどう思う。」

大向武と武川部長以外の全員は「異議なし」と同時に言った。

「よし、これで明日からのダン研部長は大向だ。大向、ひとこと言え。」

「一生懸命がんばります。」

「それでいい。今日の会議はこれで終わる。解散。」

これで部長選出の会議は終わった。

 イスマイルと青石薫が練習場の前に駐車してあった自動車の方に歩いて行った時、後ろからパートナーと一緒の武川武蔵が声をかけた。

「イスマイル、トルコはどうだった。」

「はい、久々に骨休めをして来ました。」

「そうか、良かったな。今日の練習を見た。二週間もサボっていたのに腕はあまり落ちていないようだな。5月にはBC級競技会がある。C級のお前達には出場する権利がある。当然出場するだろうが頑張れ。お前達は急速に上手くなっている。奇跡的に優勝でもしたら一気にA級だぞ。」

「頑張ります。」

「よし。おやすみ。」

「お休みなさい。」

 自動車の中で青石薫が言った。

「イスマイル君、提案があるんだけどいいかしら。」

「なんだい。」

「いま例会は火曜日と金曜日でしょ。教習所は水曜日ね。教習所の練習に月曜日と木曜日と土曜日を増やしてくれない。他の2年目も教習所の回数を増やしているわ。私、欲が出て来たの。早く上手になりたいの。」

 「うーん、どうかな。僕が日本に留学した目的は達成したよ。この前プレゼントした重力を遮断できる結晶の作成が目的だったからね。だから今は研究所で実験するものがないんだ。結晶作成の論文を書いているだけだ。だから自由な時間は十分にある。でもね。青石さんは大学生だ。学業が仕事だろ。一週間のほとんどをダンスに費やすのはどうかなって思う。」

「私、成績はいいの。望み通りの学科に行くことができるわ。それに今は学科移行前の消化講義みたいになっているの。それに学生って何かに全力を傾注できるのが権利よ。大学時代しかそんなことはできないわ。」

 「分かった。そうしよう。でも土曜日は午後の1時からにしよう。1時から2時までだ。妙齢の女性が毎晩出かけるのは良くない気がする。」

「了解。うれしいわ。」

「教習所のチケットは安いものではない。お金は大丈夫かい。」

「大丈夫。静岡の実家の母がスポンサーになったわ。この前の競技会で優勝したことが大きく響いたの。私がダンスをすることは公認よ。」

「OK。じゃあ明日の午後0時40分に自動車で迎えにいく。」

「待ってるわ。」

 土曜日の昼に教習所に行くと蒲田先生が言った。

「イルマズ青石ペアか。どうした。水曜日じゃあなかったのか。」

「我々は欲が出たようです、先生。ダンスの練習時間を倍加することにしました。」

「そうか。うちとしても儲かる。次のBC戦に出るつもりだな。」

「そうです。」

「分かった。申し込みをしといてやる。」

「ありがとうございます。よろしくお願いします。」

 教習所での練習を終えて駐車場の車に戻るとイスマイルは言った。

「青石さん、今日はこのあと時間が取れるかい。」

「もちろん暇よ。イスマイル君とならいつでも暇。」

「そうかい。2時間ほど付き合ってほしいんだ。」

「まあ、デートに誘ってくれているの。」

 「まあデートといえばデートかな。ダン研の練習場に行って2時間ほど一緒に踊ってほしい。24曲の96分間だ。この時間、練習場はどのサークルも使っていない。僕は土曜日のこの時間に時々一人で練習している。研究所を抜け出してね。・・・今度のBC戦ではワルツ、タンゴ、スロー、クイックの順で4曲だ。それを予備戦とセミファイナルとファイナルで踊らなければならない。もちろん希望的予想だがね。そしたら全部で12曲を踊らなければならない。時間にして48分間だ。それを踊りきることができる体力をつけておかなければならない。もっともそれは青石さん用のメニューだけどね。それくらいなら僕はびくともしないから。・・・僕用のメニューもある。教習所で我々は矯正されるわけだけどそれを二人で確認する時間がない。1日経てば忘れてしまうことがある。熱いうちに体に覚えさせることが必要だと思う。まあいつもは教習所から戻ったら研究所の廊下で確認しているけどね。どうだろう。12曲を2回、一緒に踊りたいんだけど。」

「イスマイル君のデートって辛(つら)そうなデートなのね。でもOKよ。私も踊りきれる自信をつけておきたいし、今日習ったことも確認したいわ。」

 二人は練習場に行った。

誰もいない昼下がりの練習場だった。

イスマイルは車の後部座席に置いてあった小さなCDプレイヤーを練習場に持ちこんで電源を入れた。

 イスマイルはプレイヤーのボタンを押してから言った。

「引き続きまして予選第3クール、曲はワルツ、タンゴ、スローフォックストロット、クイックステップです。それではお願いします。」

曲が始まるとイスマイルは軽く青石薫に会釈をし、ゆっくりと青石薫をホールドしてからワルツを踊り始めた。

 曲と曲との間には実際と同じように1分ほどの間があった。

二人は4曲を踊り終えた。

青石薫は汗を吹き出していたがまだ大丈夫だった。

イスマイルはCDプレイヤーのボタンを押してから言った。

「BC級セミファイナルを行います。カップル数は12組。曲はワルツ、タンゴ、スローフォックストロット、クイックステップです。それではお願いします。」

 ファイナルまで行けることを想定し、二人は12曲を踊りきった。

青石薫はさすがに喘(あえ)いでいた。

「青石さん、踊りきったね。待ってて。ご褒美の飲み物を車から持ってくる。」

イスマイルは車の冷蔵庫から冷たい飲み物を持って来て青石薫に手渡した。

「ありがと。何事も成し遂げるって気持ちがいいわね。登山をして頂上に着いた時の気分もきっと同じでしょうね。」

青石薫はペットボトルの半分ほどを飲んでから言った。

 二人は10分間ほど休んでから再び12曲を踊った。

踊り終えた時、青石薫は汗まみれになっており、練習着は肌に張り付いてブラジャーの輪郭が浮き出ていた。

イスマイルは直ちにCDプレイヤーの電源を外してから言った。

「青石さん、すぐに寮に送って行くよ。汗だらけで気持ちが悪いだろう。もう少し我慢して。冷房を最大にかけて送り届ける。」

 「ありがとう、イスマイル君。さすがに24曲はきついわね。でもこれくらいできなければだめなのよね。」

「でも青石さんは踊れた。青石さんの応答は最初の応答と同じだった。青石さんは疲れても同じ踊りをする。」

「それを聞いて救われたような気がするわ。来週もこのデートに誘ってね。」

「了解。」

 イスマイル青石ペアは5月のBC級の試合に向けて日曜日を除く連日ダンスの練習をした。

試合は日曜日に行われるがイスマイルと青石薫は土曜日まで練習した。

物事に集中できる大学生の特権であった。

日曜日、イスマイルが青石薫を迎えに行った時、二人は前回のD級戦の時と比べてずっと落ち着いていた。

練習の時と同じようにダンスを踊るしかないと覚悟を決めていたのだ。

 BC級の出場選手はD級戦と比べると比較的少ない。

D級戦は登龍門でBC級は龍になるかもしれない過程にある。

数が少ないからB級とC級を合わせているのかもしれない。

競技会はBC級だけが行われるわけではない。

D級戦もあり、A級戦もある。

 「イスマイルさん、頑張ってね。」

イスマイルが青石薫と並んでD級戦のラテンを見ていると後ろから声がかかった。

振り返ると大鈴井乙女が私服で立っていた。

「大鈴井さん、観に来られたのですか。」

「ダン研の後輩も見に来たのだけど本命は黒川君をそっと見に来たの。黒川君は卒業して会社に入ったんだけどダンスが忘れられなかったみたいで新しいパートナーを見つけて競技ダンスを続けているの。新入社員と競技ダンスの両立は難しいと思うのだけどね。今日は黒川君のダンスの様子見よ。新パートナーとの初めてのA級戦だから。」

 「そうでしたか。」

「青石薫さんね。イスマイルさんをよろしくね。応援するわ。」

「ありがとうございます、大鈴井先輩。イスマイル君についていきます。」

「イスマイルさんについていければ大丈夫。イスマイルさんは何でも成し遂げてしまう人だから。」

「私もそう思います。」

「・・・頑張ってね。」

そう言って大鈴井乙女は離れて行った。

大鈴井乙女は試合前の選手の気持ちを知っていた。

 イルマズ青石ペアは予選を通過した。

「これでまずはC級の証明ね。安心したわ。」

青石薫は余裕でイスマイルに微笑んだ。

「体力は大丈夫かい。」

「余裕よ。特訓の成果ね。」

「次はセミファイナルだ。同じように踊る。」

「了解。」

 イルマズ青石ペアはセミファイナルも通過した。

そして6組のペアが踊るファイナルを終わり、最後に名前が呼ばれた。

イルマズ青石ペアは練習したように一歩前に出て優雅に挨拶した。

イスマイルはお辞儀をする前にパートナーを一回転させるというおまけも付けた。

優勝したイルマズ青石ペアは即日A級に認定された。

 イルマズ青石ペアはダンスを始めて1年と2ヶ月でA級になったことになる。

4月にダン研に入って6ヶ月間を基礎体力とシャドウダンスを続け、10月にペアを組んで4ヶ月後の2月に無級の状態でD級戦に出場して優勝後C級になり、その3ヶ月後の5月にBC級戦に出場して優勝後A級になった。

イルマズ青石ペアはD級の時代もB級の時代も経験しなかったことになる。

 競技会を終えて車の中で青石薫はイスマイルに言った。

「私たちA級になっちゃったのね。夢みたい。」

「そうだね。バリエーションもたいして知らないA級が誕生してしまったわけだ。」

「何か申し訳ないわね。」

「そうだね。見物人にとっては華麗なステップができないペアは面白くないからね。」

「少しバリエーションを練習しようか。」

 「それもしたらいいけど、A級になればウインナワルツが入ってくる。ウインナワルツなんて我々は一度も踊ってない。ダン研でもウインナワルツは教えていない。一から学ばなければならないよ。」

「そういえばそうね。次の目標はA級戦で予選を通過することね。奇跡的にA級になったはいいけどA級戦のセミファイナルまで残れなければA級ですって言うのが恥ずかしいものね。」

「そう言うこと。」

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