第13話 12、浮かぶペンダント
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イスマイルは母のお墓への墓参をすませると日本に向かった。
出発前に造船所に2隻目の原子力深海調査船の作成を命じた。
一隻目の船と同じ巨大なキャタピラ付きだった。
日本国が遺憾砲の設置場所として買ってくれるかもしれない。
イスマイルの造船関連会社は忙しくなる。
重力遮断パネルは使わなかった。
いざとなれば外付けで使うこともできる。
装甲壁を削って埋め込んでもいい。
帰りの飛行機も3等秘書官のゼーラ・アイディンが同行した。
飛行機が飛び上がるとゼーラ・アイディンはイスマイルに言った。
「イスマイル様、母国はいかがでしたか。」
「少し忙しかった。母の墓にはお参りをした。きれいになっていたよ。」
「お母様は40年間に亘ってトルコを発展させてくれました。トルコは感謝しきれないと思います。」
「アイディンさんは羽を伸ばせたかい。」
「汗を流しっぱなしでした。」
「何をしてたんだい。」
「社交ダンスを習っておりました。帰るとすぐにダンスの教習所に通いました。昨日までダンスの練習をしておりました。」
「それはいいね。社交ダンスは外交官の嗜(たしな)みだ。東京でも外務省主催のパーティーが開かれるんだろ。そんな時に壁の花になっていたらつまらないよ。」
「誘ってくださる方がいるかどうかが問題ですね。」
「誘いを待っているだけではだめだよ。自分からダンスを誘わなくちゃあ。僕の父も外交官だったが女性から申し込まれたら絶対に断らなかったそうだよ。」
「まあ、イルマズ様のお父上様は外交官だったのですか。」
「そうか。トルコでは秘密だったんだね。僕の父は日本人の川本五郎だよ。日本では川本五郎の伝記が発行されている。本人が著者だから回顧録かな。それを読めばいい。母と父との関係が分かる。母は死ぬまで父を愛していた。」
「日本の川本五郎は知っております。現代史の教科書にも載っておりました。世界に連合組織を創り、遺憾砲を作って世界に秩序をもたらしました。その方がイルマズ様のお父様でしたか。」
「父は僕の存在を知らなかった。伝記には一言も書いてないよ。母の遺品はアンカラの自宅に置いてあるが、その中に川本五郎がベレクで描いた母の水彩画があった。『五郎』って漢字のサイン入りだった。絵の中で母は安心しきった表情をしていた。」
「まあ、なんてロマンチックなのでしょう。東京に着いたらさっそく本を探し出して読むことにいたします。」
「それがいいね。」
個体物性講座に戻るとイスマイルは講座の面々にトルコのお土産を配った。
教授にはお酒のセットを、伊能忠敬と伊藤郁夫には蜂蜜を、吾郷麻子にはスカーフとストールのセットを、岡田冴子事務員にはトルコ石の卵型の文鎮、そして中島美雪講師には金の鎖がついたペンダントを配った。
中島美雪の部屋でペンダントを渡した時、イスマイルは言った。
「お約束の世界に二つと無いペンダントです。私の屋敷で作った特注品です。先生の名前を宝石の底に入れてあります。ペンダントの裏を上にした時だけ重力遮断が起こってペンダントは空中に浮きます。重力遮断の負荷質量の限界は10トンですが実際には1トンが限界です。先生が崖から落ちた時は落ち着いてペンダントをしっかり握って裏返しにしてください。実験したところ、落下は慣性で止まりませんでしたが加速度は止まりました。先生は小さな宝石にぶら下がるようになります。崖のそこに着くまでしっかりぶら下がっていてください。」
「ありがとう、イスマイル君。崖からは落ちないようにするわ。」
「そうですね。それが一番です。」
イスマイルは青石薫に電話し、帰国を告げ明日のダンス教習所での練習に誘った。
青石薫は「イスマイル君が戻って来てうれしいわ。待ってる」と言った。
翌日、イスマイルが青石薫を寮に迎えに行くと青石薫はいつもの荷物の他に紙袋を持って助手席に乗り込んだ。
「お帰り、イスマイル君。故郷はどうだった。」
「ただいま、青石さん。故郷は変わっていなかった。」
「そう、良かったわね。春休みを利用して私も故郷に帰っていたわ。大学生初めての春休みよ。」
「故郷はどうだった。」
「変わっていなかったけど高校生の時とは見え方が違っていた。私ってきっと成長しているのね。」
「青石さんは綺麗になったよ。」
「まあ、ほんと。ありがとう。番茶も出花って言うからね。でもうれしいわ。イスマイル君に言われるとドキッとするわね。」
「青石さんにはお土産を持って来た。後で渡すよ。」
「私もイスマイル君にはお土産を持って来たわ。故郷の羊羹よ。『追分羊羹』と言ってね、江戸時代からずっと続いている羊羹。タケノコの皮に包まれて匂いと触感がいいの。」
「羊羹で触感とは面白いね。食べる食感ではなく触る触感かい。」
「そうよ。家で食べてみて。」
「そうする。僕のお土産は小さなペンダントだ。小さな青い結晶をいくつか配置してある。自宅で細工師に作らせたんだ。世界で一つだよ。」
「トルコのペンダントね。ありがとう。今イスマイル君は『結晶』って言ったわね。『宝石』じゃあないの。」
「まあ宝石かな。水晶だってダイヤモンドだって結晶だからね。そんな意味なら宝石だ。」
「何で結晶って言ったの。」
「僕が実験室で作った単結晶だからさ。青くて透明な結晶だったんで宝石になるかなって思って作らせた。」
「ふーん。イスマイル君の研究って宝石を作る研究なんだ。」
「なるほど。そういう見方もあるね。確かに宝石作りか。ふーん。・・・あとで寮に帰ったらゆっくり見てみて。きっと面白いよ。」
「何か意味深(いみしん)な言い方ね。びっくり箱じゃあないの。蓋を開けた途端に宝石は瞬く間に消えてしまうとかバネでペンダントが飛び出してくるとか。」
「青石さんは鋭いね。びっくり箱ではなくびっくりペンダントだよ。ペンダント自体が面白い。」
「想像できないわ。ね、教えて。気になって練習できないわ。」
「それは困ったお姫様だね。でも教えたらもっと気になって練習できないよ。」
「大丈夫。私って大胆なんだから。大抵のことにはびっくりしないわ。」
「弱ったな。駐車場に車を停めたら教えてあげる。それでいいかい。」
「了解。私って素直なの。」
イスマイルは大型自動車をいつもの駐車場に停めると上着のポケットから小さなペンダントケースを取り出した。
「まだペンダントを見てはだめだよ。これがペンダントの入ったケースだ。落とせば落ちる。」
そう言ってイスマイルはペンダントケースを5㎝ほど落として手で受け取った。
「逆さにして落としても落ちる。」
そう言ってイスマイルはペンダントケースを再び5㎝ほど落として手で受け取った。
「横の3方も同じだ。」
そう言ってイスマイルはペンダントケースを確かめてから再び5㎝ほど落として手で受け取った。
「ところがこの方向で落とそうとすると落ちない。」
そう言ってイスマイルはペンダントケースからゆっくり手を離した。
ペンダントケースは空中にしばらく浮かんでいたがバランスを崩して手に落ちた。
「まあ、ケースが浮かんだ。なぜ。」
「青石さんは大胆じゃあなかったのかい。大抵のことにはびっくりしないって言った。」
「これは大抵のことじゃあないわ。なぜ。・・・手品ではないわよね。」
「ペンダントの青い結晶は重力を遮断できるんだ。ペンダントはペンダントケースの中で縦に置かれている。だからその結晶の軸方向に関する重力加速度を遮断できたんだ。」
「ふーん。とうとうそんなことが出来るようになったんだ。これで私の配属先は理学部の物理学科か化学科ね。」
「確かに青石さんは大胆だね。驚かなくなっている。」
「驚く段階を過ぎて感動しているの。とうとう重力加速度を遮断できることが実証できたのね。大感動。」
「面白いだろ。」
「イスマイル君は重力加速度遮断の原理が分かっているのね。」
「仮説は持っている。」
「なんて言う名前の仮説なの。」
「『世界は変わりたくない原理』だよ。」
「人間社会にも適用できそうな原理ね。後で聞かせて。先ずは久々のダンス練習をしましょう。そうとう腕が落ちているでしょうね。」
「そう思うよ。」
ダンスの腕はほんの少し下がったのかもしれなかったがイスマイルも青石薫もダンスの練習をするのが楽しかった。
その日は先生と踊ってもらった後で教習所の隅で鏡を見ながらバリエーションの練習をした。
青石薫は駐車場から自動車が出るとさっそくイスマイルに言った。
「さて、イスマイル君。・・・わらわは待ちかねたぞえ。『世界は変わりたくない原理』を教えてくりゃれ。」
「教えて進ぜよう。無知な地球人よ。・・・青石さんはルシャトリエの法則は知っているだろ。」
「知ってるわ。」
「レンツの法則も知ってるね。」
「知ってるわ。」
「二つに共通な原理はなに。」
「そうか。『世界は変わりたくない』が共通原理ね。」
「最初は圧力と温度で分子運動が関係している。2番目は磁場と電流で電子が関係している。さて、人工衛星では時計が少し遅れる。時間と加速度は関係していることになるね。」
「そうか。それに『世界は変わりたくない』原理を適用すればいいんだ。でもどこにどう適用するかが分からないわ。」
「青石さんは原子の周りを回っている電子の時間を考えたことがあるかい。」
「周りと同じでしょ。」
「だったらどうして人工衛星の時計は遅れたんだい。」
「そうか。電子の時間は人工衛星よりもずっと遅れているはずね。でも語彙(ごい)が足りないわね。」
「時間の進行速度とか時間速度って言葉を使えば理解しやすいよ。電子の遠心加速度は大きいので電子の時間進行速度は我々の時計の時間進行速度よりもずっと遅いことになる。」
「そうなるわね。」
「電子が別の加速度に曝(さら)されたら電子はどうしたいと思う。」
「原理に従えば加わった加速度と反対の加速度を出そうとする。それを補償するのは加速度に連動している物理量の時間か。」
「正解・・・だと思う。僕の考えではね。」
「ふーん。イスマイル君は世の中の風景をそんな風に見ていたんだ。物は色々な時間速度を持つ物質で構成されている集合体ってことね。」
「そんなことはないよ。青石さんはちゃんと青石さんに見える。時間速度の違う物の集合体だなんて思ったこともない。」
「ふふっ。ありがとう。冗談よ。イスマイル君。」
「青石さんは綺麗な女性にみえるよ。」
「もっとありがとう、イスマイル君。うれしいわ。ほんとよ。でも私、このことをもっと追求したいと思うようになったわ。イスマイル君の説明では強烈な遠心加速度で時間速度が大きく遅くなっている電子に重力の並進加速度が加わると電子は電子の時間速度を早くして加わる加速度に反発する加速度を出すってことでしょ。でも少しおかしいのじゃあないの。遠心加速度の方向と重力加速度の方向は違うわ。その加速度方向は90度も違うのかもしれない。そしたら変でしょ。遠心加速度で生じた時間遅延を遅速させることでどうして方向が違う加速度に対抗する加速度を出すことができるの。」
「なるほど。そうだね。なぜだろう。でもペンダントは実際に浮くんだよ。」
「そこよ。イスマイル君の現段階での説明には何らかの瑕疵(かし)があると思う。実際にはもっと別の合理的説明があるのかもしれないでしょ。もちろんイスマイル君のペンダントがなかったらこんなことは絶対に考えもしなかったわ。でも実際に重力加速度が遮断できるという現実があるのだから考えることは価値があるわ。私ね、今は理類の2年生だけど2学期からはいろいろな学部や学科に配属されるの。配属先の希望を出して成績順に配属先が決まるの。理学部の物理学科や理学部の化学科は成績の幅が広いから大抵望みがかなうの。人気のある工学部の学科なんて上位の成績でなければ行けないけど理学部は大丈夫。今日、まだ見ていないけど浮かぶペンダントを見て配属先を決めたわ。理学部に行って重力加速度への『世界は変わりたくない原理』の適応を勉強することに決めたわ。その意味でもありがとう、イスマイル君。イスマイル君は私の人生のキーパーソンよ。」
「名誉なことですね。寮に着く前にペンダントを見ていいよ。」
そう言ってイスマイルは運転しながら上着のポケットからペンダントケースを出して青石薫に手渡した。
青石薫は紺色のビロードが貼られたケースの蓋を開けた。
ペンダントは5つの青く透明な結晶が円形に白金の台座に配置されていた。
青石薫はペンダントケースから慎重に小さなペンダントを取り出して手の平に金鎖と共に載せた。
「鎖の根元近くを持ってからペンダントを裏返しにして。浮くから。」
青石薫はペンダントを裏返すとペンダントは空中に浮いた。
金鎖の重さでペンダントは傾き、斜めになるとペンダントは青石薫の手の中に斜めに落ちた。
「効果を知っているから穿(うが)った見方をしているのかもしれないけど、この宝石は神秘的に透明な青色をしているのね。美しいわ。ありがとう、イスマイル君。」
「青い石だろ。君の色だ。」
自動車が女子寮の前に着くまでずっと青石薫はペンダントを裏返して手で上から押さえつけて宝石の応力を楽しんでいた。
「部屋に帰ったらゆっくり眺めて。僕は追分羊羹を食べる。明後日のダン研の練習で会おう。」
イスマイルがそう言うと青石薫はペンダントをペンダントケースに慎重にしまってスカートの隠しポケットにケースを入れて言った。
「ありがとう、イスマイル君。大好きよ。」
青石薫は大急ぎでドアを開けて荷物を持って出てドアを閉めた。
青石薫はイスマイルの自動車が見えなくなるまで見送ってから寮の入り口に向かった。
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