第4話 3、歓迎会

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 数日後、イスマイル・イルマズの歓迎会が大学近くの小ぎれいなレストランの3方を囲まれた小部屋で行われた。

「・・・まあそう言うわけで固体物性講座は今年は残念ながら大学院生は来なかったが留学生を一人迎えることになった。今日はささやかな歓迎会だ。とりあえずビールで乾杯しよう。」

そう言って飯島澄孝教授はビールの入った大きなカップを取り上げ、勝手に「かんぱーい」と言ってからビールを一気に飲み干した。

他の面々も「カンパーイ」と言ってからそれぞれのスタイルでビールを口に入れた。

 飯島澄孝教授は隣に座った岡田冴子事務員からビールを注いでもらいながら隣のイスマイル・イルマズの方を向いて言った。

「イスマイル君はアルコールはいける方かね。」

「アルコールはあまり好みではありませんが、アルコールには強いと思います。アルコールを飲んだ直後は少し酔いますが直ぐに酔いが醒(さ)めてしまいます。肝臓の解毒機能がいいのだと思います。」

「それは可哀想にな。こんなにうまい飲み物なのにな。」

そう言って飯島澄孝は再び満たされたコップのビールを半分だけ飲んだ。

 イスマイルの向かいに座っていた吾郷麻子が言った。

「私はイスマイル君の履歴は知らないけどこの講座の前にはどこにいたの。アメリカだってことは知っているけど。」

「アメリカのマサチューセッツ州のボストンの近くにあるマサチューセッツ工科大学、英語で言うとMassachusetts Institute of Technologyに在籍しておりました。研究所のinstituteなのに大学なのですね。アメリカ合衆国もたいしたものです。100年前の核大戦で壊滅したボストンでしたが、大学も見事に再建されました。」

 「MITじゃない。超有名な大学ね。たしか大学の順位では世界一よ。そこで何を学んだの。」

「ガンマー線の変調技術を学びました。」

「変調ってラジオ放送で電波に強度変化や周波数変化をかけて音声だけを取り出すのに使っていた方法ね。そんなことができるのかどうかは分からないけど、おそらくγ線を搬送波にして色々な電磁波をそれに乗せる技術ね。」

「そうです。ガンマー線はX線より透過力が強いので方向の制御が難しく、結局ガンマー線レーザーを作り、そのガンマー線に変調用の電磁波を乗せました。まあ、レーザーって呼ぶのは変ですけど。」

 「そうよね。マイクロ波を使うからメーザー(Microwave Amplification by Stimulated Emission of Radiation)で光を使うからレーザー(Light Amplification by Stimulated Emission of Radiation)だからガンマー線を使うならガーザー(Gammawave Amplification by Stimulated Emission of Radiation)ってことね。でもレーザーより少し言葉の響が悪いわね。美しくないわ。まるで雑音みたい。『ガー』と『ザー』でしょ。」

「そうですね。」

 伊藤郁夫が言った。

「おそらくそれは凄い武器になるよ。今、米軍が使っているレーザー砲は赤外線を使っている。赤外線は熱線だから照射された物は熱で熔けたり蒸発したりするわけだ。表面がね。ガンマー線レーザー、じゃあなかったガーザーならX線よりずっと波長が短いから金属を通り抜けることができる。どうなるかは分からないけど波長が短いガンマー線を搬送波にできたらどんな種類の電磁波もそれに乗せることができるかもしれない。赤外線を乗せたら物体を通過できる熱線になるかもしれない。物体が応答するかどうかは分からんがね。イスマイル君はどんな変調波を乗せることが出来たんだい。」

 「私はとりあえず深紫外光で変調しました。深紫外光は共有結合の結合エネルギーと同じエネルギー帯だからです。物体の吸収係数も大きいですから。」

「で、どうなった。」

「共有結合は切れるようです。でもすぐに繋がってしまうみたいでしたから、実際に物を切るには色々な変調波を加えなければなりませんでした。」

「金属も切れたのかい。」

「切れました。おかげで造船所の金属加工が容易になりそうです。」

「それは完全に武器だ。ガーザー砲ができる。戦闘機でも戦艦でもまっぷたつだ。」

 「そうなりますね。そんな訳で私の周辺には不審な人物がつきまとうようになりました。出所不明の外国人が強力な武器を作り出すことができる最新知識を持って日本に逃亡したというわけですね。この歓迎会も見張られております。ちょうど私の真正面の窓際の席に座っている二人のサングラスをかけた男達がそうです。おそらくアメリカ合衆国の諜報員ですね。うっとうしいハエみたいものですから追い払いましょうか。」

 「どうする気なの、イスマイル君。」

「みんなで微笑んで手を振ってあげましょう。そうすれば居なくなります。」

「やってみましょうか」と吾郷麻子が言って後ろを向き、伊藤郁夫と伊能忠敬も体をひねって後ろを向き、右手を上げて窓際の男達に微笑んだ。

イスマイルも右手を上げて首を右に傾けて微笑んだ。

飯島澄孝と中島美雪と岡田冴子は大人だから誘惑を無視して料理に箸をのばしていた。

窓際の男達は驚いた様子で顔をそむけ、すぐさまに立ち上がり、入り口のレジに向かった。

 吾郷麻子が「本当にいなくなった」と言った。

伊能忠敬は「あれが本物の諜報員か」と言った。

伊藤郁夫は「本当にイスマイル君は見張られていたんだ」と言った。

イスマイルが言った。

「あんな人がアメリカでも周りに居ました。男も女もいたしアメリカ人以外もいましたね。私は要注意人物だったようです。でも、今日は大丈夫でしょうが、皆さんは相手を馬鹿にしてはだめです。あの人達は人を殺しても捕まることはありませんから。」

「了解。」

3人は同時に言った。

 吾郷麻子が言った。

「でもイスマイル君はどうしてあの人達が諜報員だって分かるの。相手だって気づかれないようにしているんでしょ。」

「私は記憶力がいいんです。同じ顔を見たら思い出すことができます。それに諜報員ってなんとなくそんな雰囲気を出しているんです。」

「そうなの。・・・雰囲気ねえ。私にも分かるかしら。」

「分からないと思います。だれにでも簡単に分かるようなら諜報員にはなれません。」

「それはそうね。」

 伊能忠敬が言った。

「結局、僕らはどう対処したらいいんだい。」

「普通に過ごしていればいいと思います。皆さんはガーザーの内容を全く知りませんから。」

「でも相手がそう思っていないこともあるだろう。」

「そう言えばそうですね。その時には諦(あきら)めてください。それくらいに蓋然性が低いと言うことです。」

 伊藤郁夫が言った。

「でも、少し気をつけることにするよ。」

「分かりました。皆さんに何かあったら私が復讐できるように考えておきます。」

「復讐ってどうするんだい。相手は大国の諜報機関なんだろ。」

「そうですねえ。・・・もし皆さんが諜報員に誘拐されたら『自分を殺したら本部ビルの職員数千人が死ぬかもしれないと言えと私からいわれた』と言ってください。それでもだめだったなら諦めてください。皆さんが解放されなかったら、少し時間がかかりますが新ペンタゴンの全員を殺してあげますから。」

 「分かった。日本の遺憾砲だな。だけどあれは日本政府が管理しているんだろ。」

「はい。身寄りのない父が死んで父の遺産は日本政府の物になったと思います。父の故郷の研究所もそれに入っていると思います。遺憾砲は父のiPS細胞から分化された脳が装置の中心に入っていて遠方の人間を殺すことができるようになっているのだと聞いております。研究所は遺憾砲にとって重要ですから日本政府は父の研究所の電源をいれて、研究所を生かしてあるはずです。父の研究所にまだ電源が入って入れば父のiPS細胞はまだマイナス150度の冷凍庫に凍結保存されていると思います。マイナス80度では氷が成長するので長期の保存はできませんから。もう使えなくなった遺憾砲も残っていると思います。私が父の子供だと証明できれば私は父の遺産を継ぐことができ、新しい脳を遺憾砲に入れることができるかもしれません。」

 飯島澄孝教授はビールのコップをテーブルに置いて言った。

「イスマイル君、今君は何て言ったんだ。僕は酔っているのかな。君の父上の脳が日本の遺憾砲に入っているのだって。」

「はい。先生にはお伝えしませんでしたが私の父は遺憾砲を作った川本五郎です。これまでは体の成長が遅いので秘密にしておりましたが、若者の姿をするようになりましたから、もうそろそろ明らかにしてもいいと思います。」

「驚いた。酔いが醒めそうだ。だが納得できる。川本五郎の子供なら発育遅延症であったり、優れた頭脳を持っていたりしても当然だ。あらゆる面に天才的な怪物だったそうだからな。」

 「ありがとうございます。でもこの事はもう少し秘密にしておいてください。皆さんにもお願いします。日本は遺憾砲があったので世界の保安官の地位を保ってきました。どの国も日本を狙うことも戦争を起こそうともしませんでした。国の指導者が隠れ場もなく遠くから殺されてしまうのでは争いを起こそうとは考えないと思います。でももう百年近くの月日が経っております。遺憾砲に入っているのは生きている頭脳です。どんな細胞も特定のものに分化したら寿命を持つようになります。私は日本にある遺憾砲は能力が下がっていると思っております。老化ですね。当然、他の国でもそう考えます。新しい遺憾砲が作られることを諸外国は嫌うと思います。妨害が入る前に新しい遺憾砲を作ってしまうことが肝要です。」

「良く分かった。秘密は漏らさない。君はトルコ人の留学生だ。」

飯島澄孝教授はそう言い、他の出席者も同意した。

 中島美雪が静かに言った。

「『スーパー外交官』っていう川本五郎の伝記を読んだわ。つくづく凄い方だった。信じがたい筋力と写真的記憶力を持っていて人間のオーラも見ることができたそうよ。それで日本の政府内の二重スパイをあぶり出すこともできたの。奥様はプロゴルファーだったそうだけど、この方も信じがたい筋力を持ち川本五郎と同じように人間のオーラを見ることができたそうよ。遺憾砲だってね、オーラが見える川本五郎しか作れなかったの。ほら、iPS細胞を脳に分化させても色々な脳ができるでしょ。川本五郎のオーラを発する脳を選ばないと遺憾砲はできないそうよ。日本の科学者は遺憾砲を作ろうとして結局失敗したみたい。オーラが見えないからね。だから遺憾砲を作るには川本五郎のオーラを見ることができることが必要なの。」

 「そんな本があったのですか。知りませんでした。中島美雪先生、ぜひとも読ませてください。」

イスマイル・イルマズが言った。

「いいわよ。貸してあげる。あした持ってきてあげるわ。」

「ありがとうございます。」

「それにしてもガーザー砲と遺憾砲か。あとは強力な防御施設があれば天下無敵ね。」

 伊藤郁夫が言った。

「美雪先生、イスマイル君は完璧な防御基地を持っております。1万メートルも潜水できる原子力潜水調査船です。長期間潜水して生活でき、移動も可能です。イスマイル君の会社が作ったそうです。1万メートルの海底なんてどんな国も攻撃は不可能です。」

「そんな物も持っているの。ふーん。1000気圧に耐えることができるものならマイナス1気圧なんて屁の河童(かっぱ)ね。宇宙に出たら宇宙戦艦じゃない。分厚い装甲のはずだから小さな隕石にも耐えられるわね。」

 伊藤郁夫が言った。

「でも美雪先生、最強ではありません。イスマイル君はガーザー砲が分厚い鉄を切ることができたと言っていました。相手が強力なガーザー砲を持っていたら宇宙戦艦も真っ二つになってしまうじゃあないですか。」

「そう言えばそうね。そしたら次は波動砲かな。・・・冗談よ。それからガーザー砲って吾郷さんが言っていたように語感が悪いわね。『分子分解砲』って呼ぶ方がいいわね。その方が分かりやすい。」

「いいですね、美雪先生。『分子分解砲』か。かっこいいな。イスマイル君、そうしたら。」

「まだそんなに洗練されたものではありません。でもいいですね。」

 飯島澄孝教授がビールを飲みながら満足そうに言った。

「今日の歓迎会の話題は面白いな。僕に分からないことがどんどん出てきている。ところで中島君からまだ聞いてないのだがイスマイル君は何を研究することになったんだ。」

「私はカーボンナノチューブにリチウム原子を入れた包摂化合物作ることになりました、先生。」

「そうか。たいして難しい実験ではないな。イスマイル君に余力があったらしてほしいことがあるんだがいいかな。」

「何でしょうか、先生。」

 「うむ。頼みというのは硬いリチウム包摂ナノチューブを作るか、もっといいのはリチウム包摂ナノチューブの単結晶を作ることだ。長いナノチューブは曲がって変形する。被包摂原子の性格も変わってしまう。包摂ナノチューブの物性を調べるためにも曲がらないチューブを作る方法を知っておきたい。チューブを多重にして変形しないようにしてもいいが一番いいのは曲がりっこない単結晶を作ることだ。まあ多結晶でも細かく分ければ測定できるかもしれんが測定結果に不安が残る。やはり単結晶だ。どうかな。」

「単結晶の作成を行いたいと思います、先生。単結晶にすればナノチューブの先端を重金属で塞ぐことが不要になると思います。」

 「そうか。ありがたい。すまんな。この考えはこの場でたった今考えたものだ。イスマイル君のガーザーの発振がどのように起こるのかは知らんが、連続波のCW(Continuous Wave)ではなくパルス発振のような気がした。それで初期の個体レーザーのルビーロッドを思い出したんだ。ジャイアントパルス・ルビーレーザーだったかな。もしそうならイスマイル君は高エネルギーを保持できる単結晶やアモルファス体を作ることに長(た)けているはずだと想像した。それでリチウム包摂カーボンナノチューブの単結晶の作成をお願いしたというわけだ。」

 「ナノチューブ包摂化合物の結晶化は今の知識では少し難しいと思いますが試みたいと思っております。」

中島美雪が言った。

「イスマイル君、良かったわね。力を注がなければならない目標ができたわ。単結晶はきっと綺麗な宝石よ。」

「そう思います、中島美雪先生。」

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