第十三話 カダール、あったかい
窓からゼラへと身体を投げ出した俺に、ゼラは驚いて手を伸ばす。エクアドと母上も、あ、と口を開けている。
うちの屋敷は床は高いが、一階の窓から地面に落ちたところでたいしたことは無い。それに目の前には、いつも俺を軽々と人形のように持ち上げているゼラがいる。
ゼラは慌てて俺を受け止めて抱き上げる。ちょっと見下ろせばゼラの眉を下げた泣きそうな顔。そうだ、これが俺とゼラのいつもの距離だ。俺もすっかりこれに慣らされてしまった。
「あ、にゅ、カダー、ル」
ゼラは口をパクパクと開けたり閉じたり、上手く言葉が出てこないのか。戸惑うゼラの頭を胸に抱く。
「ゼラ、いつもはなかなか離してくれないのに、急にどうした? もうしゃっきりして、もとに戻ったんだろう?」
「ン、ウン……」
「だったらいつものようにすればいい。昨日のことは調査班が調べているから、後でルブセィラから話を聞こう」
「ウン……」
「ゼラが魔法で治してくれたから、もう痛くもなんともないぞ。いつもはもう少し強くしがみついてたじゃないか」
「だって、カダール、骨、折れちゃう」
「すまんな、脆くて。それと、こんなことで逃げるなよゼラ」
「ン……、逃げる?」
「今度は下半身が人になるまで、俺の前に現れないように、とか考えてるんじゃないだろうな? 俺はエルアーリュ王子からゼラを見張るように言われているんだ。ゼラが急にいなくなったら、俺もエクアドの部隊もゼラを探さなければならない。そんな手間をとらせないでくれ」
「う、ウン……。カダール、エクアドも、同じこと、言う」
「エクアドも、それが任務だから。エクアドはなんて?」
「ウン……。逃げる、前に、カダールと話、しろ、て」
「ゼラが逃げたら、俺もエクアドも部隊の皆も困る。だから、ここにいろ、ゼラ」
「……ウン」
「とりあえず、朝食にしようか。腹が減ってきた」
ゼラに持ち上げられたまま、ゼラの頭を抱いて背中をポンポンと叩く。ゼラが俺の胸に顔を押しつけたまま、フルフルと震える。
「カダー、ル」
「なんだ、ゼラ?」
「ごめんな、さい。ごめんなさい」
「そんなに謝ることじゃないだろう? 怪我も治った。ゼラは悪く無い」
「あえ、え。ごめんなさいごめんなさい。あええええん。ごえんなさあいぃーいい」
泣き出した。止まらなくなった。ゼラの手に力が入り身体を押しつけてくる。でも痛くも苦しくも無い。加減を思い出したゼラを胸に抱いて、頭を撫でる。
出会ったのは十三年前、再会してから一緒に暮らすようになったのは一月前。それがこうして互いの腕の中にいるのが、落ち着くような距離になってしまった。
「おーい、徹夜組はもう休んでいいぞ」
どこか呆れた口調でエクアドが指示を飛ばす。庭でゼラを監視してたであろうエクアドの部下達も、どこか気だるげに引き上げていく。
……いま、やってられねー、とか、呟きが聞こえたような、気のせいか?
「エクアドは徹夜だったか。ずっとゼラを見てたのか?」
「それが任務だ。暴れもせずにおとなしかったから楽、というか、ずっとめそめそしてるから心配になった。一晩監視してた連中はこれから休ませる。俺もな。何かあったら交代組に言ってくれ。……まぁ、こうなるんじゃないかとは予想はしてたが、朝から胸焼けしそうだ」
「どういう意味だ?」
「鏡でも見たら解る。しばらく起こすなよ」
大きくあくびをして、エクアドは背を向けて行ってしまった。鏡など見なくとも俺が今、どうなってるかくらいは解る。人前でベタベタするのは俺もどうかと思うが、ゼラが泣き止むまでこうするより他に無い。窓の向こう、部屋の中では母上がメイドに指示を出してる。
「朝食は皆で庭で取りましょうか。ゼラが泣き止んだらね」
交代で残ったエクアドの部下が見守る中で、ゼラが、あええええん、と、ごめんなさい、と、泣き続けるのを胸に抱いて、その背中を撫でる。ゼラは泣きすぎてしゃくり上げて、ときどき、ひうっと呼吸困難になりそうになるほどワンワン泣いて、なかなか泣き止まなかった。ゼラの顔は目の周りが赤く腫れて、涙と鼻水で凄いことに。
エクアド配下の女騎士が手拭いを差し出してきた。受け取ってゼラの顔を拭く。目の周りに触れると痛かったのか、また泣く。
その女騎士がこっちを見る目が、妙にニヤニヤしてるので、少し恥ずかしい。
ゼラが泣き止む頃、朝食の準備ができたのだが、
「ゼラ?」
「う、にゅ……、眠……」
泣き疲れて眠くなったらしい。蜘蛛の腹を地面にペタと着けて、俺を抱いたまま上半身をゆっくりと倒す。俺の胴に手を回してホールドしたまま、俺を庭の草の上に寝かせて、俺を枕に寝息を立て始めた。
仰向けにされて身動きがとれなくなった俺は、アルケニー監視部隊に我が家のメイドの変に生暖かい視線にさらされて、居心地が悪い。
「大事無くて良かったけれど、何が切っ掛けで事が起きるか、解らないものね」
母上が庭で朝食を取りつつこちらを見る。取り合えず視線から逃げる為に、目をつぶって寝た振りをする。
「……カダー、ルー……、すぅ」
ゼラの寝言と寝息を聞いているうちに、本格的に二度寝してしまったが。
ゼラも俺も無事にもとに戻りその翌日。
「原因はお茶ですね」
倉庫の中、ルブセィラ女史が説明する。お茶だろう、というのはだいたい皆が予想してた通りだ。
「アルケニーのゼラさんと比較して何処まで近いのかは解りませんが、この付近の蜘蛛を捕まえて集めて、あの日のスコーンを食べさせてお茶を飲ませました。結果、お茶を飲んだ蜘蛛は酔っぱらう、という発見がありました」
「酔っぱらう、それは後遺症の残る毒物とは違うのか? ゼラは魔法で治したというが、目が覚めてから頭が痛くて気持ち悪い、と」
「
「つまり、ゼラはお茶で酔っぱらう、と」
「人は酒を飲んで酔いますが、ゼラさんは酒には酔わない。人がお茶を飲んでも酔わないが、ゼラさんがお茶を飲むと酔う。これについては、ゼラさんは人よりも蜘蛛に近いということですね」
ゼラにとってお茶は酒精のようなものらしい。ルブセィラ女史は少し興奮しているようで、眼鏡を光らせて。
「これは新しい発見です。蜘蛛型の魔獣にお茶がどこまで効果があるのか、調べたいところですね。新しい魔獣対策となるかもしれません」
「効果があっても、高価なお茶をばら蒔いて使うのは無理が無いか?」
エクアドが果実水を飲みながら応える。大発生した蜘蛛型魔獣、その足を酔わせて止めるためにお茶をばら蒔く。効果はあっても随分と金のかかる贅沢な武装だ。
「そうですね、費用がかかり過ぎてしまいます。しかし、効果があるとなればスピルードル王国でお茶の木を栽培する、これに力を入れるようになるのでは」
「気候的にはどうなんだ? お茶の木には詳しく無いんだ」
「難しいでしょうね。ですが成功すればお茶を中央から輸入しなくても良くなるので、安く入手できるようになるかと。買わずに安く作れるとなればいろいろと利用できることでしょう」
「ンー、もう、お茶、飲まない」
ゼラが隣で果実水の入ったグラスを両手で持つ。コク、と一口。
「この水でいい。お茶、飲まない」
「いえいえゼラさん。飲んだ方がいいですよ」
「ルブセィラはゼラを暴走させる気か?」
「逆です。暴走を抑える為に、です。あのときゼラさんが立ち上がり前後不覚になる前。飲んだお茶の量はカップに十六杯」
「母上がやたらとお代わりを入れていたが、そんなに飲んでいたのか?」
「そうですよ。なのでゼラさんにはお茶を飲んでもらい、何処までが大丈夫なのか、何処からが危険な分量なのか、ゼラさん自身で解るようになった方がよかろうと。そうすれば暴走対策になります」
「ヤダ! もう飲まない!」
ゼラはプルプルと首を振る。酔って俺にケガをさせたことを悔いているらしく、禁酒ならぬ禁茶宣言だ。
「でもゼラ、お茶の匂いは好きでお茶の味も美味しいんだろ?」
「ンー、ウン、でも、もうイヤ」
「そうか、ゼラの好物が解ったが、こんな問題があったのか」
ゼラが美味しいと喜んでいたので、茶葉を買おうか迷っていたのだが。ルブセィラ女史は残念そうだ。
「ゼラさん、お酒と同じということであれば、飲み方と限度を知れば同じ失敗は繰り返しませんよ。初めてのお茶で大量に飲んでしまったから泥酔してしまったので、二、三杯で止めておくようにすれば大丈夫でしょう。ほろ酔いで止める練習をすれば暴走はしないでしょう」
「ンー、」
「この先、カダール様の花嫁となるなら、ウィラーイン家の一員としてお茶会に付き合うこともあるのでは?」
おいルブセィラ女史、そんなにゼラと一緒にお茶がしたいのか?
「周りでカダール様やエクアド隊長がいるところで、はじめのうちは三杯まで、というのはいかがでしょう? そしてゼラさんが自分で危ないと感じたら、自分に魔法で解毒をすれば良いのです。こういった練習は必要ではないかと。お茶以外にも初めて口にするものは、気をつけるようにするためにも」
「ルブセィラは随分と熱心にお茶を勧める」
「お茶の件でゼラさんの食事が少し心配になりまして。これはあるキノコの話ですが、人は食べても無害であり美味しく食べられるキノコがあります。ですがこのキノコはハエにとっては猛毒であり、ハエがこのキノコを口にすると即死します。私達が日頃、何気なく口にするものが、ゼラさんには猛毒という可能性もあります。人間は他の生物に比べると悪食で、食べる食物の種類が多いですからね。お茶のように酔うというもので無ければ、ゼラさんは自力でどうにかするかもしれませんが、この酔う上に美味しい、というのは厄介ですね」
「そうか、ゼラが初めて口にするものは気をつけた方がいいか。そこまで考えては無かった」
「自分が日頃、口にするものなら大丈夫だろう、と、思いがちになりますからね。そこも今後は私とアルケニー調査班が見ていきますので」
その後、ゼラはしばらくお茶には手をつけなかった。目の前に赤茶の入ったカップを置くと、泣きそうな顔して首を横に振る。
しかし、お茶の香りに抗えないようで顔を近づけてお茶の匂いを嗅ぐと、
「すぅ、ふわぁ」
とろんと溶けそうな顔をする。やがてお茶の誘惑に負けて、おそるおそるチビチビと飲むようになった。こうしてアルケニー監視班が見守る中、ゼラのお茶の泥酔限界域を探る。カップに五杯くらいまでなら大丈夫のようだ。
「むふん」
お茶に酔ったゼラの目は、色っぽい。
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