第十二話 ごめんなさいごめんなさい
目が覚めるとベッドの上にいた。ここは屋敷の中か? 起きようとすると、額に乗ってる濡れタオルが落ちる。
「あいたたた」
胸が痛んでまたベッドに倒れる。身体が少し熱っぽい。ベッドの横、椅子に座ってる母上が慌てて立ち上がる。
「カダール! 目が覚めましたか?」
「母上、いったい何が起きましたか? ゼラは?」
「順に話します。横になっていなさい」
母上がクッションを持ってきて、俺が少し上体を起こして横になれるように、背中にクッションを当ててくれる。
ゼラの様子が突然おかしくなり、俺を持ち上げてフラフラし出した。そこまでは憶えている。息が苦しくなり目の前が暗くなって、そこで俺は気を失った。
「カダールがグッタリとなった後、ゼラもまた倒れました。ゼラの方はただ寝てしまったようですが、そのゼラの手の中からカダールを引っ張りだして、我が家に運び手当てをしました」
手で自分の胸を触って見ると、固定するように胸に包帯がグルグル巻かれている。
「カダールは窒息と痛みで気絶。肋骨が二本折れて他の骨にもヒビが入っています。ルブセィラさんの治癒魔術と、家にある
「そういうわけにはいきません。あれからどれだけ時間が過ぎましたか? ゼラは? 無事ですか?」
「カダールが倒れたのは昨日の午後。あれから一晩寝ていて今は朝。ぐっすりと寝ていましたよ、お腹は空いてないかしら?」
「母上は徹夜で俺の看病を?」
「いいえ? ルブセィラさんにも診てもらって大事無いと解りましたので。看護はメイドとアルケニー監視部隊に任せて、私はいつも通りに寝て、さっき起きたところです。朝食はこれから」
「あ、そうですか」
肝が太いというのか、動じないというか、頼り甲斐があるというのか。母上はいつも通りだ。
「ゼラは? どうしてます? アルケニー監視部隊は? ゼラが暴れて転がってたのがいたような」
「エクアド隊長含めて怪我をしたものはいないわ。ゼラは庭で寝てしまって、運ぶこともできなくてそのまま庭にいます」
「ゼラの蜘蛛の身体は大きいですからね。雨など降らなければ庭でも問題無いか? ゼラはまだ寝てますか?」
母上はベッドで横になる俺に果実水を持ってくる。果実水を飲む俺を見下ろして、ふー、と呆れたようにため息ついて。
「目が覚めた途端に気にすることはゼラさんゼラさんゼラさんと。カダールはもうゼラさんと結婚してしまいなさい」
「何故その話になるのですか。俺はウィラーイン領の為、ゼラを見ていなければならないのです。エルアーリュ王子からも任じられているのですから」
「本当にそれだけなら、いつもは真面目くさった顔で固まってるようなカダールが、ゼラの頭を撫でるときにニッコニコなのはどうしてなのかしら?」
むぐ、ニッコニコ? だと? 俺はそんな顔をしてたのか? 思わず顔を押さえてしまう。
「ゼラを撫でたり、ゼラに抱きつかれたりで、緩んだだらしない顔をしてて。アルケニー監視部隊にも、二人を見てると和むわー、とか、またオッパイ押し付けられてニヤケてるー、とか、言われているのだから、少しは自重しなさい」
そんなこと言われてたのか? いつから? 俺はニヤケてたのか? いや、人前ではしゃんとしてたはずだ。してたはず。いや、ゼラと一緒に監視されてるわけで、気を抜いたところを見られていたのか? 俺は監視されていたからこそ、ゼラのオッパイに伸びそうになる手を抑えていて。俺はこれでも自制していて、あの魅惑の曲線が、ポムンが、違う今はそうじゃなくてだ。
「ゼラは庭にいるんですね?」
「それは見れば解るのだけど」
母上が困った顔をする。ゼラの身に何かあったのか? 庭の方を見ると窓の外からノックする音。エクアドが外から窓の中のこっちを覗いている。
胸を押さえてベッドから下りる。少し痛むがたいしたことは無い。止めようとする母上を手で制して窓を開ける。
「おはよう、エクアド。ゼラは?」
「ようやく起きたか、こっちは徹夜だ。ゼラは見ての通りだ」
この部屋は一階で庭に面している。一階だが床は地面より高いので、エクアドは椅子をひとつ持ってきて、そこに立って窓枠に肘をついている。エクアドが首を振って示す方、庭の真ん中にゼラがいた。
だが、地面に臥せるように、上半身を前に投げ出して地面に頭をつけている。両手で頭を抱えてプルプルと震えている。
下半身の蜘蛛の身体も脚をぎゅうと縮めて蜘蛛の身体を抱くようにして、丸くなっている。
「エクアド、ゼラに何が?」
エクアドの顔を見ると、こっちも困ったような顔で、
「ゼラは夜中に目が覚めた。カダールのあばらを折って気絶させたって解るとボロボロ泣き出して、それからはずっとあの姿勢で固まってる。ゼラに、カダールは命に別状は無い、すぐに目を覚ますと言っても、俺の声が聞こえないのかあのままだ。昨日から何も食ってない」
「ゼラの身体に何かあったのか? 昨日、ゼラの様子がおかしくなった原因は?」
「アルケニー調査班とルブセィラが調べている。昨日のお茶かスコーンだろうってあたりをつけてな」
「ゼラがお茶を飲んだのは昨日が初めてだったから、怪しいのはお茶か」
「そっちはルブセィラに任せて、こっちはカダールがなんとかしてくれ。胸は痛むか?」
「まだ少し。痛みよりも熱のせいか頭が重い。これはゼラの魔法で治してもらうか。ゼラ! おはよう! 今日も晴れてていい天気だ、顔を見せてくれ!」
声を張ってゼラに呼びかけると、ゼラはガバッと顔を上げる。そのゼラの目は俺の知ってるゼラの瞳。正気を取り戻した目だ。隣でエクアドが、
「俺とルミリア様が呼んでも震えるだけだったのに、カダールが呼んだら一発か」
疲れたように口にする。ゼラは顔を上げて泣き腫らした目で俺を見ると、力が抜けたようにへにゃりと笑って、ハッと気がついたように目を見開いて、また地面に頭突きをするように顔を伏せて頭を手で覆う。
なんだこの既視感? これと似たようなものを昔に見たような憶えがある。なんだったか……。
なんだか小さくなろうと身体を縮めるようにして震えるゼラ。まるで罰を待つような、怯える子供のような。
あ、子タラテクト。子供のころ俺の指を噛んだ後、部屋の真ん中で震えていた子タラテクトに似ているんだ。
ゼラが子タラテクトから今のアルケニーに進化した、というのは聞いているし理解している。ただ、頭で理解するのと、こうして目で見て、あぁ同じだ、と感じるのは違う。左前脚で、しゅぴっとするところとか見る度に、あの子タラテクトを思い出したりする。見た目は変わっても中身で変わってないところがあるのだな、と実感する。
「ゼラ、こっちにおいで。俺は怒って無いから。ケガもたいしたことは無い」
俺が言うとゼラはおどおどびくびくと、顔を上げて上目遣いで見上げて、こっちにソロソロとやって来る。
手が触れるところまで近づいて来るが、ゼラは顔を伏せたまま、両手で自分を抱き締めるようにしている。いつものように俺に触れようとはしない。
部屋の窓からだとこちらの方がゼラより頭ひとつ高くなる。ゼラの方が背が高くいつも見下ろされているので、この距離でこうして見下ろすのはなんだか新鮮だ。
俺は窓から頭を出して、手を伸ばしてゼラの頭を優しく撫でる。
「ゼラ、俺はこのとおり大丈夫だ。ちょっと骨が折れただけでたいしたことは無い。怒って無いから顔を上げてくれ」
恐る恐ると顔を上げて、その眼を見ると目の周りが赤い。今もぐすぐすと鼻を鳴らしている。
「あ……、カダール、ごめんなさい……」
「ゼラ、昨日は急にどうしたんだ?」
「わか、わかんない。ぐす、気持ちよくなって、フワフワして、グルグルして、眠くなって」
「そうか。前にそんなふうになったことは?」
「ン……、無い」
「俺の血を飲んだときと、どう違う?」
「ン、カダールの血、は、グルグルしない。身体、熱くなる。でも、昨日違う。後で頭痛い、気持ち悪い」
「頭が痛くて、気持ち悪い? 今はどうなんだ?」
「もう治した。ン、カダール、ごめんなさい……」
優しくゼラの頭を撫でるが、ゼラは落ち込んだままだ。俺にケガをさせたのがそんなに凹むことになるのか。それならケガを治してしまえばいい。
「ゼラ、魔法で俺のケガを治してくれないか?」
「ウン……」
ゼラがその両手を伸ばして、俺の胸にそっと触れる。ゼラが、なー、と呟くとゼラの両手は白い光を淡く放つ。その手から何かが俺の胸に流れて入ってくるような感覚。胸がジワリと暖かくなって、しくしくとした痛みが失せていく。
「カダール、治した」
「ありがとう。ゼラの魔法は凄いな、もうぜんぜん痛くないぞ」
「ウン……」
ゼラは手を引っ込めてまた俯く。俺に触るのを怖がっているようだ。これは重症か? あのいつも明るく楽しそうに微笑むゼラが、萎れてしまったかのように元気が無い。
原因はなんだ? たぶんお茶だろう。あの日、ゼラが初めて口にした飲み物。お茶のせいなら、ゼラは何も悪く無い。
それどころか、いつも俺に触れるときにゼラがどれだけ気をつけているか、解ってしまった。見た目以上に力のあるゼラ。全力で俺に抱きついたらあばらをバキバキに折られてしまう。それが今まで無事だったのは、ゼラが手加減をしていたからだ。
ゼラが何も考えずに全力で抱きついたら、俺は壊れる。俺の身体はゼラの全力に耐えられる程、頑丈では無い。
昨日はその手加減ができない状態だった。
つまりは、ゼラは本当は全力で俺にしがみつきたい。だけど、そうすると俺が壊れる。だから壊さないようにいつも我慢して、そっと優しくしてくれていた。
そんなことも、俺は昨日のことでやっと知った。ゼラはいつも、俺のことばかりだ。その俺のせいでゼラに悲しい想いはさせたくない。ゼラの嘆く顔は見たく無い。
「ゼラ」
呼びかけると上目使いで俺を見上げてくる。その顔はもう、ごめんなさいと怖がらないでと嫌わないでがいっぱいに詰まっていて、つついたら溢れて溢れそうだ。
窓の枠越しにこうやって見つめ合うのは、俺とゼラの距離じゃ無い。こうじゃ無いだろう。
「ゼラ、受け止めてくれ」
「うえ?」
俺は窓の枠に脚をかけて、庭の方に、ゼラの方に、よいせと落ちる。
「!カダール!」
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