第十一話 おちゃ、おいし


 屋敷の庭、明るい日差しの下。暖かな陽気の中。テントというよりは、布で屋根を作ったあずまやというところか。

 ゼラが入れるように大きく作ったあずまやには、少し脚の高いテーブルと椅子がある。ここで母上がゼラに行儀とか作法とか教えたり、俺の妻になるための心構えなんてのをゼラに吹き込んでいたりする。

 ……母上ェ、ゼラに色気のある仕草のコツとか、仕込まんで下さい。そのままでもいろいろ凄くて危ないのに、いや、危なくない。まだ危なくないぞ。俺は大丈夫だ。

 ゼラが俺のことを好き、というのは俺でも解る。だがそれはなんだか子供が親を慕う好き、なのではないか? とも思う。色恋の好きとは少し違うのではないか? ゼラを一度助けたことでゼラの献身を得た訳だが、なんだか純心な子供が困ったところにつけこんだような罪悪感があって。うむぅ。


 母上は天然というかなんというか、ゼラの身体を恐れることも無くて、ゼラの蜘蛛の身体に乗ってゼラの髪を櫛でといたりなどする。ゼラもまた母上には素直で……、将を落とすにはまず馬を射よ、という言葉が浮かんだのは何故だ?


「お茶を淹れるなんて、久しぶりね」


 母上がテーブルの上に茶器を並べて準備をしている。テーブルには俺とゼラ、母上、エクアド、それに眼鏡のへんた、ゴホン、ルブセィラ女史がいる。

 メイドがスコーンと茶器を運び、ゼラは母上が準備をするテーブルの上をジーッと見てる。


「カダール、おちゃ? なに?」

「お茶というのは飲み物で、貴族の飲む贅沢なものだ。香りを楽しむ飲み物だ」


 母上が準備をする間、ゼラにお茶の説明をする。ウィラーイン伯爵領含めてスピルードル王国ではお茶は高価なもの。中央から輸入していて、中央の方では庶民もお茶を口にしたりする、と話には聞く。

 こちらでは高価な代物で庶民が口にできるものでは無い。お茶と言えば酒より高価な飲み物で、貴族がお茶会で飲むものだ。

 日頃飲むものは湯冷ましが多い。お湯を沸かすときに果物の皮を入れて香りをつけたりする。我が家では季節の果物を搾った果汁を少し入れた、果実水を飲む。井戸の水をそのまま飲んでも特に問題は無いが、一度沸かすのがこのローグシーでは一般的だ。


「それで、お茶というのは貴族がお茶会で嗜むもので、俺も飲むのは久しぶりなんだ。灰龍被害があってからはウィラーイン家でお茶会はしてないし、贅沢品を買う前にまずは復興だろうということで」


 エクアドが母上の手元を見ながら、


「貴族の嗜みってことで、俺もお茶の淹れ方なんてのは子供の頃に仕込まれてる。これも家ごとに少し違ってたりするんだ。カダールもやらされただろ?」

「母上に雑だと怒られながら教わったものだ」


 母上はテーブルの上、小型の炭コンロの上の丸いケトルを手に、半分がガラスが出来た茶ポットにお湯を注ぐ。そこにお茶の葉を入れると、お湯の中で茶葉が踊り、お湯に少しずつ色がついていく。母上の無駄の無い手際の良さは優雅に見える。


「お茶会でお茶を上手に淹れられるかどうかで、貴族の子女は女子力を試されるのよ。ゼラにもそのうち憶えて貰うから、よく見てなさい」

「ハイ、ハハウエ」


 母上はカップにお湯を注ぎ暖めて、回して軽くすすぐ。ゼラは母上の手際をじっと見てる。

 で、ルブセィラ女史の方を見ると、ゼラを直視しないように気をつけて、チラチラと横目で見てる。前回、やらかした事を反省してるようでおとなしい。ゼラに気に入られようと茶葉を持ってきたのはルブセィラ女史だ。


「上質の茶葉をくれたことには、礼をする。ありがとうルブセィラ」

「いえいえ、たいしたものでは。私は一日に一杯はお茶を飲むので」

「高価なお茶を毎日一杯って」

「頭がスッキリして冴え渡る気がするんですよね。私が一人で飲むときは略式で簡単に淹れますが」

「そこはカリアーニス侯爵家のお嬢様、ということか」


 ルブセィラ女史はカリアーニス侯爵の娘だ。我がウィラーイン家は伯爵で、爵位で見ればカリアーニス家は我が家より上。だが、アルケニー監視部隊はエルアーリュ王子の直下で一応、王軍だ。王族の率いる王軍の中では、爵位よりも軍の中の階級が優先される。とは言っても、その中で家柄を鼻にかける奴はいたりはするが。

 魔獣深森に近く魔獣と戦うことの多いスピルードル王国は、実戦においては実力優先の気風がある。かつて第二王子が手柄を立てようとスワンプドラゴン討伐を計画したのも、このあたりが理由だったりする。

 俺はアルケニー監視部隊では監視対象なのだが、エクアドに万が一のことがあったときのために、副隊長ということになってる。

 なのでルブセィラ女史はエクアド隊長の部下で、俺の部下でもある。俺も敬語を使うのはもうやめた。優秀な研究者ということだが敬う気も無くしたし。検査だからってゼラを泣かせたのはダメだろ。まったく。

 地面に蜘蛛の腹をペタリとつけて座るゼラを、俺とエクアドで挟むようにして丸テーブルを囲んでいる。ルブセィラ女史から守るようにして。ゼラの方は立ち直ったのかルブセィラ女史と挨拶もする。まだちょっと警戒しながらだが。


 テーブルの上のスコーンを食べつつ、母上が淹れたお茶を飲む。完全発酵型の赤茶は香り高く、久しぶりのお茶の香りは、ほっと安らぐような気にさせてくれる。


「おいしー!!」


 お茶のカップを持ったゼラが突然叫ぶ。


「お茶、おいし! いい匂い!」

「そんなに美味しいか?」

「うん! もっと欲しい!」


 もうカップ一杯飲み終わっている。熱かったようで口を開けて、はふはふと息をしている。母上がお代わりを注ぎ、


「ゼラ、お茶は香りを楽しみつつ、少しずつ飲むものですよ」

「ウン! いい匂い!」


 満面の笑みでお茶の入ったカップを両手で持って、ふーふーと息をかけて冷ましている。蜘蛛の脚がワキワキと蠢いている。


「そこまで気に入るとは思わなかった。砂糖も入れてないから甘くも無いのに?」

「ちょっと、甘い、よ? この匂い、好き」

「生肉以外の好物がお茶とは。だが、お茶は高価なものだから頻繁には飲めないか」


 ゼラはもう二杯目を飲み終わって、お代わりとカップを母上に差し出している。母上も呆れながらも、ゼラのカップにお茶のお代わりを注ぐ。砂糖もミルクもジャムも入れて無いのに美味しいというのは、ゼラはお茶そのものが好きということか。こんなに喜ぶなら茶葉を買うことにするか? アルケニー監視部隊の予算で購入とかできるか?

 ルブセィラ女史はメモをカリカリと書き込んでいる。


「ゼラさんの好物は赤茶。ほほう、他のお茶はどうでしょうね? 白茶、緑茶、黒茶、いくつか試してみたいですね。ちょっと実家から送ってもらいましょう。ゼラさん、またお茶を持って来ますので」

「ホント?」

「はい、ですので、その時は是非とも私とお茶を飲みましょう。私も貴族の娘でお茶を淹れることはできますよ。ルミリア様ほど優雅にはできませんが」

「ンー、もう、指、挿れない?」

「もうしません。反省しました。私も床に頭を打ちたくはありませんし、何よりゼラさんに嫌われたくはありません」

「ウン、なら、いい」

「ゼラさん、このお茶は赤茶と言いまして王都では貴族によく飲まれている種類のものですが、お茶は他にも色に香りが違うものがあるんですよ」

「お茶、いっぱい?」

「葉の種類に発酵のさせ方の違いで香りが変わるのですよ」

 

 ルブセィラ女史は彼女なりに頑張って、ゼラに話しかける。悪い人間では無くて、研究バカというのは解ってはきた。アルケニー調査班の女性陣もルブセィラ女史を慕っているようであったし、本人が言うほど交流が苦手という感じはしない。ただ、限度がちょっと解って無いのか。

 母上とルブセィラ女史がお茶についてをゼラに話して、ゼラはお茶を飲みながらお茶講義のような話をまじめに聞いている。

 そんな微笑ましい様を見ながら、俺とエクアドはのんびりとお茶の香りを楽しむ。

 晴れた日の暖かな庭でこういう時の過ごし方というのは、実にいい。庭に咲く花、ゼラの名前のもとにしたゼラニウムの花も綺麗に咲いて、穏やかに和む。赤茶の香りを楽しみ、一口飲む。うむ、この茶葉は鉱山で仕事してる父上にも送るとしよう。

 女性陣のお喋りに耳を傾け、エクアドが砂時計を指で挟んでカッコいい砂時計の返し方を披露する。エクアドがエクアドの父に教わったという、お茶会でのモテテクニックだそうだ。真似をしてみて上手くいかず、砂時計をテーブルの上に倒すと、ゼラも母上もルブセィラ女史もコロコロと笑う。


「お茶はそうカプカプ飲むものでは無いのだけど」


 母上はそう言いながらも、今日は礼儀作法をうるさく言う気は無く、ゼラのカップにお茶のお代わりを注ぐ。


「……にゅふん」


 急にゼラが立ち上がる。俺を見る目がトロンとしてる。眠そうというか、妙に色っぽいというか。どうした?


「かだーるー」


 節をつけて歌うようにして、俺の名前を呼んで俺を持ち上げる。脇の下に手を入れて、子供を高い高ーいと持ち上げるように。


「ゼラ? どうした?」

「かだーる、かだぁーるぅー」


 目が座ってる? 瞳孔が開いている? 俺をぎゅむっと抱き締めて、蜘蛛の脚がデタラメなステップを踏んでワシャワシャと動いて、その場で回り出す。フラフラとグルグルと。


「お、おい? ゼラ?」

「かだぁーるぅー、ぐるぐるー、ぐるぐるするー」

「それはゼラが回ってるからで、あいたたたたた! ゼラ、苦しい! あばらが折れる! ゼラ!」

「かだーるー、にゅふー、ぐーるぐるー」


 エクアドが立ち上がり、アルケニー監視部隊が集まりゼラを囲むが、どうしていいか解らない。蜘蛛の脚が大きく動いて、ゼラはピョンピョコと飛び跳ね出す。

 胴をギリギリと絞められて息が苦しい。肋骨がメキメキと鳴る。ゼラが俺に抱きつくときはいつも手加減をしていた。ゼラは見た目からは想像できないくらい、その細い腕に力がある。それが加減を忘れて力が入ると、こんなに苦しいのか。

 お茶か? お茶に何かあるのか? ゼラは俺の首に顔を近づけて、俺の首、鎖骨から顎の下をペロリと舐める。背筋がゾクリとする。


「かだーるー、はぁ、かだぁーるぅー」


 正気を失ったように、赤紫の瞳の焦点が合ってない。熱い息を吐いて俺の首をペロリペロリと舐める。息が苦しい、絞められた胸が痛む、舐められるたびに身体が震える。


「ゼ、ゼラ、正気に帰れ、ゼラ、聞こえてるか?」

「かだーるー、グルグルするーよー?」

「ゼラ、頼む、もとに戻ってくれ……」

「かだぁーるう、あむん」


 ゼラが首に噛みついてくる。痛くは無い。あむあむと歯でくすぐるように、なんだ? これは? ゼラがおかしくなって、あっちにフラフラと、こっちにピョコピョコと、グルグルと回って。

 エクアドが慌てて、アルケニー監視部隊がロープを持って来て、ゼラにかける。なんとか動きを止めようとするが、引き摺られて、振り回されて、庭の上を転がる。

 息が苦しい、目が回る、胸が痛む、くそ、視界が暗くなる、ゼラ、頼む正気に戻れ。戻ってくれ。

 ゼラの背中を頭を、手のひらで叩きながら、だんだん、気が、遠くなる。


「かだぁーるうー?」


 ゼラ――

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