31話 罪と罰
――――――生まれてきてしまったことが私の罪で。
――――――絶えず続く蔑視の視線が、私の罰なのだろう。
斬首台に跪きながら、シルヴィアは最後に自らの短い人生を振り返っていた。
あの日母に告げられ、今までも常に考え続けてきた罪の在処。
その答えを教えてくれる人はもういない。
あの日母を失ってからその答えを知ることは出来ないと分かっていても、彼女は常に一人で自身に問い続けてきた。
私のような間違いだらけの人間が生きていていいのか。
この呪われた身に果たして居場所などあるのだろうか、と。
『……そんな悲しい事、二度と口にしないで』
少し前にふと漏らしてしまったその疑問に、ある日花壇で出会ったお人好しの生徒会長は涙を浮かべてそう答えた。
『見てなさい。絶対にあんたを笑顔にしてみせる。そんな自分を否定することを考える暇もないくらい、あんたを幸せにしてやるんだから!』
『…………ご自由にどうぞ』
どこまでも夢物語なその宣言に、突き放すように素っ気なく彼女は答えを返す。
素直にその言葉を信じることが出来ない、そんな自分への嫌悪感を抱えたままに。
アリアがどれだけ自分を大切にしてくれていても、心の何処かで考えてしまうのだ。
彼女が自分に優しいのは、罪を背負う自分への同情ではないのかと。罰を甘んじて受け続ける自分を哀れに思っての言葉ではないのかと。
アリアはこの国の境遇と、自分の立場を知っている。
だからこそ自分の抱えている罪と彼女の善意を切り離すことが出来ない。
心に残る罪の意識を消せないまま、いつまでも『優しい未来など望んではいけない』と自らに言い聞かせ続けている。
『……私では、シルちゃんの気持ちを変えることは出来ません』
自分を誰より大切にし続けてくれた義母は、私の心の内を察していつの日かそう悲しそうにつぶやいた。
『……別に、これは私の問題だから』
『それでも母として悲しいんです。貴方の心を救うことが出来ない、未熟で頼りない自分自身が』
そんな義母の様子に、彼女の胸がチクリと痛んだ。
―――――こんな私の為にどうか悲しまないで。
―――――こんな私の
自分が辛い思いをすることは慣れている。それが当たり前のことだから、自分が傷つくことは受け入れられる。
でも、自分の為に他の誰かが傷つくことは許せなかった。
自分の為に誰かが心を痛めることがどうしようもなく苦しかった。
そして誰かが自分の為に辛い思いをするのが怖くて、自分に関わる人がこれ以上現れないように言葉を選んで悪態をつき続ける道を選んだ。
自分が誰かを傷つけるたびに、自らを縛る罪の意識に苛まれる。
だから居場所を作らないようにと、逃げるように誰かと関わることを拒絶してきた。
――――それなのに。
『……なにをしているのかな?』
――――自分の事を全く知らずともフラットに接してくれる彼の優しさに、私は浅ましくも居場所を求めてしまった。
『私の顔を見て、何か言う事は無いんですか?』
『うーん、特に。綺麗な髪だなぁとは思うけど』
どれだけ問いを重ねても、彼の様子は変わることは無い。
同情でも、嫌悪でもない。
まるでそれは友人に話しかけるような、気さくな彼の話し方が変わることは無かった。
ただただ対等な関係で見てくれている事に不思議なくらい心が浮きだって、強引に彼と話を続けるために彼を家に引き込んだ。
どうせこの出会いは一日限りのもの。明日からはまた一人に戻るから。
そんな言い訳を繰り返しながら、今日だけは罪深い忌み子ではなくただの一人の少女として過ごしていたいという勝手な我儘を、あの日の私は止めることが出来なかった。
「玉座に留まり我らを苦しめ続けた愚王ミタスは我々の手によって打ち倒した。そしてここに卑しくも身を隠し、贖うべき罪から逃れようとした愚王最期の血が終わりを迎えようとしている!」
音響から広間の観衆に対して告げる甲高く響く声。
自らを悪人と決めつけ、血筋を理由として罰を下そうというその放送に、シルヴィアは皮肉気に僅かに鼻を鳴らした。
―――――逃れようなどと思ったことなど一度たりとも無い。
―――――ただ、この重すぎる罪の贖い方を未熟な私が知らなかっただけ。
『……馴れ馴れしくしないでください』
だから、あの日彼が入学してきた瞬間、これ以上彼と関わらないことを自らに誓った。
あの青年が自分に関われば、必ず彼は辛い目に合う。
耐えきれない理不尽に、向けられる悪意に心が挫ける時が来る。
想像するだけで胸が張り裂けそうになるその未来を避けるべく、私はチクリと刺さる胸の棘を見ないようにしながら彼を突き放した。
自分は一人であるべきだと。孤独こそが自分の罰だと。
あの日の甘えに溺れないように、自分の罪から逃げないようにと、弱い心を叱咤して彼を遠ざけることを誓ったはずだった。
――――それなのに。
『関わらないことを断った。他人に関わるか否かは僕が決めるし、勝手に決められたら迷惑だ』
『国だろうと何だろうと斬って捨てる。僕の
『そんなの、僕は許容できない。僕への……他人への謂れもない悪意に怒ってくれる君を虐げるなんて』
―――――私の境遇を知ってもなお、彼は変わらずに私に接してくれた。
―――――許されぬ悪魔ではなく、一人の少女として私を見ていてくれていた。
だからこそ、彼が謂れも無い悪意に虐げられていることが我慢できずに、後先も考えずあの日飛び出して行ってしまった。
溢れ出る感情を心のままに、いつもは口を
『責任を取って、これからよろしくお願いします。……アキホ・ヨシカワさん』
―――――そして私はついに、自分が受けるべき罰よりも自分の願いを取ってしまった。
相互関係の認知だとか、どうせ拒絶しても無駄だとか。
今思えばとってつけたようなその理由は、ただ自分が彼と関わるための口実で、関わらなければいけないと言い聞かせるための言い訳でしかなかった。
ただ自分が彼の優しさに甘えていたかっただけだった。
彼にその罪を背負わせる事を知っていながら、自分の都合を取っただけの最低な行い。
―――――それを知っていながら私は、叶うはずの無い夢を追い求めてしまった。
それからの毎日は夢のようで。
生徒会室で四人で過ごしている時間だけは不思議なくらい穏やかな気持ちで。
まるで本当にただの少女になったかのように、笑いあう三人の輪に自分も一緒に混ざれていたような気がした。
自分の居場所が出来たかもしれないと、そう思える空間がそこには確かにあった。
―――――そんなこと、許されるはずもないのに。
故にあの日、アキホの言葉を聞いて革命を察した彼女は、学校までの帰り道でずっと考え続けていた。
この身に宿した罪を贖う時が来た。しかしどうすれば罪を贖えるのか、それだけがどうしてもわからなかった。
学園長への報告を終え、考えがまとまらないままふと彼が姿を消していることに気が付いた。
そして彼を探すため、二人よりも先に見つけ出すために、自分の眼を使って彼を見つけ、そして彼と大切な話をした。
そして、ずっと分からなかった罪の贖い方を知った。
何のことはない。自分のくだらない命を賭して誰かを幸せにできるのであれば、それはとても素敵なことではないか。
彼が呟いたように、どうしても世界は優しく出来ていない。
だからこそこの命を使って少しでも世界が優しくなれるのであれば、これこそが自分の罪の贖い方なのだろう。
「許されぬその罪科は、首を以て贖うしか術はない。そして貴様のその首を以て、我々はようやく縛られた過去から抜け出し未来へと歩み始めることが出来る」
騎士団長の厳かな声が近くから、そして僅かに遅れて音響から聞こえてくる。
そう、これはこの国が未来へ進むための大切な一歩。
生まれてきてはいけなかった自分が生まれた意味があるのなら、きっとこの瞬間のため。
彼女の首を落とすために、騎士団長がゆっくりとこちらに歩み寄る。
そして跪く彼女に対して、自身が持っていた集音機を向けた。
『……最期に言い残すことは在るか。悪魔の申し子よ』
今生最後の言葉を問われ、彼女は僅かに考え込んだ。
伝えたいこと。残したい言葉。
そんなことは全く考えておらず、何を言えばいいかわからない。
―――――それなら最後くらい、ずっと我慢していた言葉を言ってやろう。
彼女はそう考え、小さく息を吸った。
ずっとこの国で過ごしてきた彼らに、残す言葉があるとするならば。
そして自分と共にいてくれた友に、何か残せる言葉があるとするならば。
「この国に住まう人々が、どうかこれからは幸せでありますように」
―――――そんな言葉が、私の紛れもない本心だった。
どれだけ嫌われていても、嫌いになることなんて出来なかった。
どれだけ虐げられていても、彼らを恨むことなんて出来なかった。
ずっとこの国で生きてきた彼らは、きっと苦しい毎日を送ってきただろう。
自分の父の圧政に、歯を食いしばって生きてきたのだろう。
だからこそそんな人々が、今度こそ幸せを感じられるように。そしてそんな幸せが溢れる国で、自分のかけがえのない友達が笑顔で過ごせるように。
それだけが、私の今際の際に溢れ出した心からの言葉だった。
「悪魔の癖に何をふざけたことを!!!」
「あんた達の所為で私たちが幸せになれなかったんでしょう!!!」
「くたばれ!!似非王女がーーーーーっ!!!」
観客は全員彼女の言葉に怒りを示し、批判と怨嗟の声が広場にこだましていた。
しかしそんな彼らの様子に、彼女は安心したかのように息を吐く。
恨まれながら死んでいくことが、この国の為に自分が出来る最後の贖罪なのだから。自分の本心が届かなくとも、その言葉に意味があったのならそれでいい。
「………ありがとうございます。そのお言葉、決して忘れはしません」
漆黒の騎士が、誰にも気づかれないように僅かに頭を下げた。
そして、自分の首を斬るために彼が剣を抜く音が聞こえて、終わりが近づくのを悟った彼女は俯いてそっと目を閉じた。
『………最期に』
『ん?』
『命を断つ間際、最後に貴方は――――――』
死が目前に迫った今、ふとあの日最後に彼と交わした言葉を思い出す。
あの日聞けなかったことが、僅かに心に残っていたあの質問。しかし聞かずとも、彼女はその答えをこの場で理解した。
きっと彼も、同じ気持ちだったのだろう。
どれだけ大切な人の死を笑った人たちでも、気持ちを理解出来てしまうからこそ。
どれだけ酷い光景を見せつけられても、恨むことなんて出来ずに。
死の間際に彼もきっと強く思ったのだろう。
―――『せめて残る人々が、幸せに過ごせる未来が訪れますように』と。
だからこそ私も命を賭けてその未来を願う。
その世界に私が居なくてもいい。
ただ、大切な人達が笑って過ごしていてくれればそれでいい。
――――――だから。
「………む」
剣を振り上げようとした騎士団長が、飛来する何かを目の端に捉えてその剣を構える。
振り抜かれない剣の様子に彼女は俯いていた顔を上げて。
「…………ぁ」
―――――優しい目をした青年と、致命的なまでに目が合ってしまった。
そして高速で飛来したそれは空で刃を抜いた。
その白銀の刃が雲間から微かに差す太陽の光を反射して煌めく。直後、飛来した刃と漆黒の騎士の
「……はぁっ!」
「……ぐぅっ!?」
慣性を乗せた斬撃の重さに騎士団長は断頭台の上から弾き飛ばされる。
勢いよく地面に着地したその青年は、接地と同時に跪いた彼女のいる断頭台へと飛び乗った。
二人の騎士が隣が彼女の隣で剣を構えている。
アキホは抜いた剣をぶらりと下げたまま、相変わらず緊張感の薄い声色で。
「辛そうだね」
いつか聞いたような言葉を、変わりない声で呟いた。
「……どうして」
こうならないために黙って彼らの前から姿を消したのに、どうしていつもこうなってしまうのだろう。
自分が死ねば済む話。これは、そうやって幸せな結末を迎える物語なのだと、自分に言い聞かせてここまでやってきたのに、どうして上手くいかないんだろう。
自分一人の命で全部が丸く収まるのだから。
自分が全部背負って死ねば、きっとみんなは何も背負わなくてよくなるのだから。
―――――だから、お願いします。
―――――これ以上私を助けないでください。
―――――私は何も望んではいけないのだから。
―――――これ以上私に、叶えてはいけない幸せな夢を見させないで。
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