28話 助けよう


「…………あのな」


 唐突なその義母ははという呼び方にフィオとアリアはポカンとしている。


 そしてそう呼ばれた学園長は、頭に手を当てて困ったように目を瞑った。小さく溜息を吐いて、彼女はアキホに諭すように優しく叱る。


「今この切迫した状況で、家での空気感を持ち出すんじゃない」


「でも、フィオもアリアさんも酷い顔してたから。あ、それともクロエさんって呼んだ方がよかった?」


「………そう呼ばれるくらいなら義母さんでいい」


 どこまでもマイペースなアキホの振る舞いに、毒気を抜かれたように学園長は苦笑する。


 ほんのわずかに親バカの片鱗を見せた学園長。そんな彼女にアキホは小さく笑いかけて、そのまま彼は床にへたり込んでいるアリアへと目線を合わせる。


「アリアさん」


「………何?」


 目の前の青年が何を言うかわからず、声に険が宿るアリア。

 そんなアリアに対して、アキホは何処までも透明な声で語り掛ける。


「シルヴィアさんが大切なこと、痛いほど伝わってきます」


「…………」


「でも、彼女の覚悟が正しいと決めつけて、彼女が死ぬことを良しとするのは違うと思う」


「…………っ、でも」


 彼女がそうしたいと望んでいる。 

 そう言おうとしたアリアの言葉を塞ぐように、アキホは彼女に問いかける。


「そして、アリアさんが忘れちゃいけないことが一つあります。

 ――――アリアさん自身はどうしたいですか?」


「…………っ!」


 アキホのその問いに、彼女は言葉を詰まらせる。


「教えてください。………アリアさんはシルヴィアさんに、どうなって欲しいですか?」


「私……は………!」


 そして、答えよりも先に彼女の眼から涙がゆっくり溢れ出した。

 止まらないその涙が一つ、二つと床に零れ落ちる。


 どうして忘れてしまいそうになっていたんだろう。

 こんなにも溢れ出して止まらないくらい大切なのに、どうして諦めてしまいそうになっていたんだろう。


 絶望にかき消されそうになった自らの想い。誰よりも大切な彼女への望みを二度と放さないよう、刻み込むようにかすれた声で呟く。


「…………生きていて欲しい。幸せになって欲しい。誰かを大切にし続けてきた彼女に、もっと自分自身を大切にしてほしい」


「…………うん」


「今まで辛い思いをしてきた彼女が、何時いつの日か報われる未来を。ずっと……ずっと頑張り続けてきたあの子が笑える未来を私は、狂おしいほどに望んでまないの………!」


 狂おしいほどの慟哭。

 泣いて叫ぶほどに臨んでいる未来を、アリアはアキホに打ち明ける。


 未だ涙が収まらない彼女へと、アキホは小さく頷いた。

 そして彼は立ち上がり、ソファーに座っているフィオへと屈んで目線を合わせる。


「フィオ」


「っ、は、はい」


「フィオはどう思う?シルヴィアさんはここで死んでもいいって、全ての人から侮蔑と嘲笑の視線を浴びながら死ぬことが正しいって思ってる?」


「………その質問はいじわるです、アキホさん」


 答えが分かってて言っているアキホに、フィオは頬を膨らます。

 そして胸に手を当て、何処までも不器用な彼女の事を思い出しながら、暖かい気持ちを抱きしめるように優しく呟く。


「少し前の何も知らない私なら彼女の自己犠牲をただ尊いものだと、何も考えようとせずに受け入れていたかもしれません。……でも、今の私はもう知っています」


 短い間だけど、ずっと背中を見てきたから。

 なかば強引だったとしても、彼女と触れ合ってきたのだから。


「誰かの為に怒りを露わにできる優しさを。飛びついた私を抱きしめてくれる暖かさを。そして、重く苦しい呪いを背負いながら誰かの為に戦う気高さも。

 だから私も、シルヴィアさんに死んでほしくない。これからももっとシルヴィアさんと一緒に、シルヴィアさんの傍に居たい………!」


 彼女は涙を流さない。

 それでも、心の中のその気持ちは決して弱くは無かった。


 彼女の中に、シルヴィアを見捨てる選択肢はもう存在しない。

 フィオの中のたった一つのルール。彼女が想い続ける『大切な人』の中に、とっくにシルヴィアは入っていることを思い出したのだから。


「………僕も、彼女に絶対に伝えなきゃいけないことがある」


 そしてアキホは立ち上がる。

 ゆっくりと学園長の方を向いて、胸の前でこぶしを握りながら胸の内の後悔を吐き出す。


「………言うべきだったんだ。どれだけ意味が無くても、無責任でも、言葉にしなきゃいけなかった」


 昨日彼女と交わした夕焼けの会話を思い返す。

 あの日彼女が呟いた、始まりの後悔の言葉を自分は否定できなかった。


 そして彼女は知ってしまった。自分自身を間違いだと揶揄し続けた彼女は、全ての悪を背負って命を落としたアキホの兄を自分と重ねてしまった。


 自らを犠牲にして全てを救うという、に焦がれてしまった。


「だから、僕は彼女に伝えに行く。誰が彼女を笑っても、誰がそれは過ちだと蔑んでも、生まれてきたことは間違いなんかじゃなかったって、君は生きていていいんだって、何度でも彼女に伝わるまで」


 そしてアキホは再び学園長と相対する。

 彼女に関わると決めたあの日と同じく『見えない決意』を身に纏い、既に母ではなく教育者の眼になった学園長へと言葉を紡ぐ。


「兄を助けられなかったお前が、シルヴィエスタを助けようというのか?」


「助けられなかったからこそ、今度は後悔したくない」


「彼女を見捨てることが最も道だとしてもか?」


「それでも、彼女を見捨てるという自らのを、僕は絶対に許容できない」


 心を斬り刻むような言葉にも、アキホは絶対に折れることは無い。

 彼が自らに誓いを立てた、心に一本通した軸は決して揺るぐことは無い。


「ならば私は教育者として、お前に最後の問いをかけよう。


――――国の崩壊か、シルヴィアの死か。お前はどちらを取るというのだ」


「そんな二者択一はいらない」


 定められた地獄の二つの選択肢すら、彼は一息に切り捨てる。

 絶望なんてまっぴらだと、猛る感情のままに言葉を放つ。


「誰かが幸せの影で泣いているのなら、その涙を僕は拭いたい。自分の犠牲を許容する人なら、僕はその誰かを助けたい」


「………………」


「それさえ出来るのなら、誰も悲しむことなんて無いんだから。自分を捨てて全てを守るシルヴィアさんさえ救うことが出来るのなら、誰もが幸せな未来になるはずなんだから」


 論理もへったくれもないその言葉。

 しかし彼は毅然と言い放つ。それこそが自分たちが選ぶべき、最高の終わりに向かう道なのだと。


「……………強欲が過ぎるな」


「それでも描こうよ、幸せな未来を。貫こうよ、自分の意志を。


――――――だってここには意志の力まりょくがある。『夢は叶う』『願いは届く』という世迷言が現実となり思いや願いが形を成す世界なら、出来ないことなんてきっとないはずだよ」


「「―――――っ!」」


 その言葉にフィオとアリアはハッとしたように思い出す。


 そしてその言葉を受けて、アキホと面と向かっていた学園長は僅かに俯いた。


「…………くっくっく」


 そして静かな空間に、押し殺すような笑い声が聞こえてきた。

 アキホ以外の二人は、信じられないような眼で学園長を見ている。


 決して笑わず常に荘厳と佇む学園長。その彼女の手で押さえられた口から、可笑しくて仕方ないと言わんばかりに笑い声が漏れ出ていたのだから。


「………っふぅ。全く、私はお前に、何度予想を越えられれば気が済むのだろうな」


 ひとしきり笑った学園長は、小さく息を吐いてアキホに微笑いかける。


「……そうかな。当たり前のことを言っただけなんだけど」


「……そうだな。それはきっと当たり前で、それでもきっと誰もが思い出せなくなっていた大切なことだ」


 そうアキホに呟いて、学園長は後ろにいる二人の顔を見る。


 二人の眼にすでに絶望はない。瞳の奥の光は消えることは無く、毅然とした態度で学園長の眼を見つめ続けている。


 その二人の様子にこれまでの凍てついた雰囲気から一転し、二人を肯定するように学園長は小さく頷いた。


「絶対的な逆境の中でも折れぬ覚悟、確かに見せてもらった。――――――ならば私も、それに応えなくてはなるまい」


 学園長のその変化に、フィオとアリアは再びぽかんと口を開けたまま呆けている。


「意志だけではどうしようもない事もある。……しかし、折れぬ意志が無ければ何事も成し得ない。君たちがその遺志を見せたのなら、私はそれを叶える知恵を与えようか」


 言いながら彼女は三人の要るソファーへと歩いてくる。

 呆然と見つめる二人と、真っすぐ見つめる一人の視線を受けながら、全員の顔が見える一人用のソファーに腰を掛け、僅かに明るくなった口調で三人に語り掛けた。




「成功する見込みはほぼ無い。だが、絶対に無いわけではない。お前たちが強く願うのであれば一つ、君たちが望む未来を手にするための一縷の希望を君たちに教えてあげよう」




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