23話 薄明の会話




 そんな彼女の気持ちをアキホは察せられるほど聡明ではない。

 だからこそ、自分が思っている今の気持ちを、今の自分の精一杯をこめて伝える。


「……ありがとう」


「……なにがですか」


「話してくれたこと」


「別に……ただ、話してもいい気分だっただけです」


 そう呟いてそっぽを向いている彼女にアキホはせめて笑いかけた。


 その笑顔をちらりと見てシルヴィアは鼻を鳴らした。既に沈んでいる夕日から漏れた茜色を浴びて、夕風にたなびく銀色の髪をかき上げる彼女を見たアキホは、どうしようもなくその姿が美しいと感じた。


「……僕も、お返しをしないと」


「……は?」


 唐突なアキホの呟きにシルヴィアは不審な眼でアキホを見る。


「シルヴィアさんにばかり秘密を話させておいて、僕は何もしないなんて不公平じゃないかな?」


「公平、不公平の話ではないと思いますが……」


「でも、君も僕に聞きたいことがある。それは僕の勘違いかな」


「…………それは」


「勘違いなら鼻で笑ってくれて構わない。でもそうじゃないなら遠慮はいらない。シルヴィアさんは僕に聞きたいことは無い?」


 その言葉にシルヴィアは深く考え込む。抱えた膝に顎を乗せ、目線ははるか下の地面を見ている。その姿はまるで、ずっと聞きたかったことを聞くか否かを葛藤してるように見えた。


 幾ばくかの時間の後、ようやくシルヴィアはアキホの方へと顔を向ける。そして、ずっと胸に引っ掛かっていたであろう疑問を恐る恐る口にした。



「………貴方は、何者なんですか?」




 ようやく言葉にした疑問というには漠然としているその問いに、聞かれたアキホは首を傾げた。


「極東の出身で孤児だった。この国の人に拾われて学園に入学した。貴方の話した経歴におかしなところはありません。性格に難があるわけでもありません。……ですが」


「それじゃ、シルヴィアさんは納得できないんだ」


 その言葉にシルヴィアは頷く。


「異常なまでの剣の腕と、それに見合わない魔術知識の薄さ。そして人を殺めたことのある過去に貴方の。それらを見た私の眼が、私の心が納得できないんです」


 故に彼女は問いかける。根拠もないし意味もない。しかし何が彼女を突き動かすのか、彼女は僅かたりともアキホから目を逸らさず、真っすぐ眼を見て問いかけている。


「貴方は何者で、何処から来て、何故ここにいるのか。私が過去を話した返礼をしたいのであれば、等しく私に貴方を教えてください」


 今までのシルヴィアから見たことのない熱量に、アキホは自らを冷ますように小さく息を吐いた。まるで覚悟を決めたように吐息と共に、彼女の決意に応じるように彼女の視線を受け止める。


「今まで話した内容に偽りはない。でも、全てを話したわけでもない。詳しい内容を話さずに勘違いさせるつもりだったのは否定できない」


「……はい」


「だから、今から話すことも全部本当の事。だけど……この荒唐無稽こうとうむけいな話を信じるかどうかは、シルヴィアさんに任せる」


 何故か予防線を張るようなその言い方は引っ掛かったが、彼の言葉に淀みは一切ない。


 理解したとシルヴィアが頷くと、アキホはゆっくりと話し始めた。


 そこに普段の穏やかさは無く、触れれば切れそうだと錯覚するほどに彼の雰囲気ががらりと変わる。


「生まれは安芸あきの国、主君は毛利家。武士と呼ばれる家柄の中で吉川よしかわの家に生まれ、西国に位置する一国にて西国最強と名高い兄に教えを受け、若輩ながら幾たびの戦場を駆け抜けた」


「………え」


「百を超える戦、五百を超える屍を積み上げた後、休戦の知らせを受け刃を収め、主君の名にて自室にて静養、暇を持て余し夜空を眺めた後に、自らの……」


「ちょ、ちょっと……待って、まってください」


 淀みなく告げるアキホの独白に慌ててシルヴィアは静止を入れる。突然の彼の言葉の変化と、語るその内容に自分の許容量キャパシティが追い付かずに脳が情報の整理を求めている。


 急に挟まれた静止にアキホは即座に言葉を止めた。


 その顔には邪魔をされたことへの不満や憤りは一切ない。ただ彼女に生まれた疑問を、生まれるべくして生まれたそれを受け止められるよう無言で待っている。


「………貴方の生まれと言っていた極東にある国は、長門ナガトと呼ばれる帝が収めている大和という王国だったはずです。安芸の国、毛利と呼ばれる君主、そして吉川という家名………私は、そんな話を聞いたことがない」


「…………」


「それに、20年前の大戦以降、この世界では大小問わず戦なんて年に数えるほどしか起きていない。百を超える戦、大量に人が死ぬほどの戦争なんて、あるはずがない………っ!」


 頭を抱えながら、シルヴィアは自らの知識を何度も精査する。しかし何度記憶を手繰ろうと、その答えは変わらない。


 あるはずが無いのだ。魔力が飽和し魔術という意志の力が当たり前になった今、悪意と殺意が無数に入り乱れる、戦争という名の罪深い殺戮が起きることは在ってはならないことなのだから。


「……そうだね。この世界では戦争なんて頻繁に起きていない。安芸の国なんて場所は無いし、僕らが主君と仰いだ毛利家は存在しないみたいだ」


「それならどうしてそんなっ……………ぇ」


 嘘を吐くのだ。そう問い詰めようとシルヴィアが前のめりになった瞬間、彼女の脳裏に見過ごせない言葉がよぎる。そして、揺れる瞳でアキホを見ながら、彼に届くか危ういほどの声で言葉が漏れた。




「――――――……?」




 彼は嘘をつかないと誓った。その前提で今の会話を捉えるのであれば、まず引っかかる単語がそこだった。


 まるでこの世界とは別の、自分たちの認識していない世界が他に在るような言い方に、シルヴィアはまさかと目を見開く。


 その様子を見たアキホは、困ったように笑いを浮かべてようやく、荒唐無稽と言われる自らの出自を言葉にした。







「自室で自ら命を絶った。そのはずなのに、目覚めるはずのない意識を取り戻した時、気が付けば見知らぬ光景に佇んでいた。僕の義母はこう言っていたよ。『これは埒外らちがいの奇跡、起こり得るはずの無い『異世界からの転移』こそ、君が遭遇した神秘だ』と」








 予想を、理解を、常識を超えたその話にシルヴィアは目を丸くして放心していた。


 前例も伝承もなく、空想ですらもしたことが無いその現象。世界を渡ってきたという事実が自らの出自なのだと彼はおくびもなく告げる。


 既に空は暗く染まり、星々が夜の帳を優しく照らしている。言葉もなく反応を示さないシルヴィアを、アキホも口を閉ざしてじっと見つめていた。



「…………」


「…………やっぱり、信じられないかな」



 ふと寂しそうにアキホは声を漏らした。俯いた彼のその言葉にシルヴィアは我に返り、小さく咳払いをする。


 月に照らされたひどく悲しげなアキホの横顔。それを見たシルヴィアは、それでも優しい言葉をかけようとはしなかった。アキホの想像通りに、到底あり得るとは思えないその話に否定を返す。


「………はい、信じられません」


「うん」


「異なる世界からやってきた、そのような絵空事は吟遊詩人ですら詠みません。余りに現実味もなく、あまりに理解からかけ離れている。それが真実だと語るなら、質の悪い呪術士に記憶を弄られたと言われた方がまだ納得できます」


「…………」


「それでも」


 否定されても仕方が無いと俯いていたアキホは、続く言葉に顔を上げる。


 アキホの戯言を聞いていたシルヴィアは、決してその与太話を嘲笑ってはいなかった。見つめ返す目は全てを見透かすように鋭く、それでいて全てを包み込むように優しい。


「それでも、貴方が嘘をついていないというのであれば、話してください。そんな一言で収まるはずの無い、貴方が歩んできたすべてを私に教えてください。私が、あなたを信じられるようになるまで」


 彼女のその言葉にアキホはわずかに言葉を失う。まさかそこまで真摯になってくれるとは思わず、彼女の顔をまじまじと見つめてしまう。


 しかしやがて、その言葉にアキホは頷いた。言葉のきつい彼女の裏側、確かに見える優しさをアキホは感じ取り、今まで誰にも話したことのない心の内を全てさらけ出すように語りだした。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る