彼女の咎

22話 夕影の記憶


「此処に居たんですね」


「……あれ、シルヴィアさん?」


 学園の屋上、屋根の上で腰を掛けて暮れ行く空を眺めていたアキホに後ろから声がかかる。


 学園長への報告を終えしばらく経ち、学園についた時点で赤くなり始めていた空が既に黒く染まりかけていた。


 はるか遠く、僅かに残る茜色を見ていたアキホを見つけたシルヴィアは、その隣に腰を掛ける。


「貴方は存在が希薄なので、わざわざ使にも拘わらず見つけ出すのに時間がかかりました」


「ごめん。話は終わった?」


「ええ。今は三人で自分勝手にも会話の途中で消えた貴方を探していたところです」


「そっか」


 アキホは変わらず空の向こうを眺めている。ちらりとシルヴィアはアキホの横顔を覗き見て、彼と同じく空の向こうの太陽へと目を向ける。


「夕日の美しさは何処も変わらないね」


「……それは、貴方の故郷の話ですか」


「うん。あの山で眺めた夕日も、こんな風に儚いのに眩しかった」


 二人並んで夕日を眺めながら、目を合わせることなく他愛もない会話をする。シルヴィアは風に揺れる銀色の髪を鬱陶しそうにかき上げながら、遠慮なくアキホに問いかける。


「なにか、ありましたか」


「ん、何かって?」


「それを聞いています。何か思いに耽っているように見えたので」


 太陽を見つめながら続ける会話。アキホはその言葉に曖昧に笑い、自分の手を太陽にかざして透かすように見つめている。


 太陽に透けた手は、真っ赤に染まっていた。太陽光で血管が透けただけの誰にでも起こる現象だが、まるで自分の手がおびただしい血で染まっているかのように見えて、アキホは困ったような顔をする。


「久しぶりに斬ったんだ。命の通わないモノではない、心臓の鼓動が体を動かす命を持った生き物を、久方ぶりに斬り殺した」


「……あの魔獣を仕留めたことは、貴方が気に病むことではありません。そもあれは既に冒涜された命、引導を渡すべき倫理を捻じ曲げられた存在です」


「……ありがとう。僕もあれは仕方がない事だって分かってる。あのまま放置していればどれだけの被害が生まれたかって考えると、ああするしかなかったんだって思うよ」


「なら」


「でも、躊躇ためらいは欠片も無かった。この一振りは命を奪うって分かっていたのに、それでも僕は切り殺すことに躊躇ちゅうちょすることは無かったんだ」


 ひどく寂しいその眼にシルヴィアは微かにたじろいだ。常に飄々としていた彼の思いもよらない一面に、返す言葉を失う。


「……忘れないものだね。命を奪うことに対する『慣れ』って」


 その言葉を聞いたシルヴィアは何も言わず、ただ地平線の向こうへと意識を向けている。その隣でアキホは目を細めて、血に染まったようなその手を眺めていた。


 そしてしばらくの間、静寂が二人の間を包んでいた。


 木々を揺らす風の音と、夕刻に鳴きだす鳥の声だけが二人の世界に響いている。暮れ行く陽の光が幾ばくか弱まり、夕方から夜に変わる瞬間を二人はじっと眺め続けている。


「……そういえば、なんだけど」


「はい」


「眼を使った、ってどういうこと?」


「……今更ですか、その疑問」


 不意にアキホが口を開いた。返すシルヴィアの相槌は早く、アキホは先ほどシルヴィアが使った言葉の不自然さに疑問を問いかける。


 シルヴィアはその問いに応えることを逡巡するように、僅かに間を開ける。しかしその葛藤も一瞬で消え失せ、彼女は息を吐いて答えを返す。


「……私の眼は特別製なんです。学園長の授業の話、覚えてますか」


「……ええと」


「初日の授業、魔力回路について」


「…………………………………あっ」


「もう少し真面目に授業を受けてください」


 たっぷりと間を開けてようやく思い至ったアキホに、やれやれとシルヴィアは溜息を吐き出した。

 その横でアキホは記憶を必死に手繰り寄せ、心当たりに引っ掛かった僅かな単語から思い出そうと頭を捻る。


 初日の授業の魔力回路の説明の最後、数少ない例外について学園長は確かに話していたはず。それは……


「魔力回路が本来通う事のない眼や脳に通うことがある……」


「はい」


 出来の悪い生徒の正答にシルヴィアはわずかに頷いた。手を自分の眼に当て、薄い青色をしていた瞳を翡翠ひすい色に輝かせたまま、当てた手の指の隙間からアキホを見据えている。


「他の人とは違い眼に魔力回路が備わっている私は、魔力を目に通すと眼が輝くんです。こうやって」


「うん、綺麗な眼だね」


「………それで」


 挟まれた誉め言葉に露骨に顔をしかめて、シルヴィアはアキホの言葉を聞こえなかったことにした。


 言葉で何か反応することは無く、彼女は輝いていた瞳に通していた魔力を収めて素知らぬ顔で会話を続ける。


「眼が輝く以外にも変化があります。大雑把に言うなら、いろいろなものが見えやすくなる、といったところでしょうか」


「色々って、例えば?」


「全体的な視力の向上、視覚情報の処理速度の上昇などが主な変化ですが………一番顕著なのは『魔力がより深く見える』ようになることでしょう」


 その内容がいまいち把握できなかったアキホは首を傾げている。

 いまいち魔力や魔術に対する認識が他の生徒よりも曖昧ゆえに、より深くと言われてもそもそもの見え方のイメージがわかない。


 横目でその様子をちらりと盗み見て、シルヴィアはもはや頂点しか見えていない太陽へと目線を向けて説明を続けていた。


「一般的に魔力というのは目視できないものです。特に騎士や魔術師とは関係が無い一般の人たちは、よほど強い魔力でない限り感知すらできません」


「でも、フィオは『魔力を纏ってる』ってわかってたけど」


「魔力に心得のある騎士や魔術師はおぼろげに見ることは出来ます。が、それは表に出ている魔力の残滓ざんしを見ているにすぎません。ほとんどの人が基本的には眼ではなく感覚で魔力を感じ取っています」


 そう言われてアキホは目を凝らすが、確かにシルヴィアの魔力は眼では見えていない。しかし感覚ではなんとなく、漏れている僅かな魔力の圧力を感じる。


「じゃあ、シルヴィアさんはそれが見えるんだ」


「ええ。溢れる魔力はもちろん、体内で生まれる魔力まで見ようと思えば見られます。……まあ、魔力が限られている私では、あまり多用は出来ないんですが」


 魔力が限られている。その小さく漏らした一言にアキホは今日見た光景を思い出した。


 あの人造魔鳥フレスヴェルグとの最終局面。手に持った光の剣を振るうだけで終わるはずだった彼女は、唐突に心臓を抑えて地面へと膝を付いた。


 瞬く間に収束し霧散したあの極光はあまりにも不自然で、触れることは無かったがアキホは疑問に思っていた。しかし―――


「……」


「……聞かないんですか?」


「……聞いて、いいのかな」


「気を遣ってくれたんですね。でも、別に構いません。もうこの学校の誰もが知っていることです」


 そう憮然と答えるシルヴィアだったが、膝を抱えている手が震えていることにアキホは気が付いた。


 伝えることに勇気が必要なほど彼女にとって大切で、彼女の心の奥底に在るその何かを聞き逃さないために、アキホは遥か遠くに向けていた眼をシルヴィアの横顔に向ける。


 そして彼女は視線を彼方へ向けたまま、呟くような声で語りだした。


「今の義母に会う以前の話。まだ私の母が健在の折、ある日唐突に私たちは父に捨てられました。前触れもなく、しばらくの間生きていくだけの資金だけを与えられ、私たちの家から身の着一枚でこの街に放り出されたんです」


 重いその語り口を聞きながら、アキホは瞬きすることなく彼女を見つめている。


「それでも私たちは何とか生きていました。知らないことを知り、分からないことを少しずつ覚え、これまでの環境から様変わりした世界を、二人で力を合わせて必死に生きてきたんです」


「……うん」


「そんな折、私は幼いながら母の為に料理を作ろうと思いました。下手で見栄えは悪かったんですが、味だけはとても上手くいったんです。嬉しくなった私は帰ってきた母が褒めてくれることを望んで、空いた玄関の扉に笑顔で駆け寄ったんです」


 微笑ましいある日の一幕。しかし、内容に反して彼女の表情は陰鬱いんうつで声色は深海のように暗く重い。まるでその先を思い出したくないかのように、紡がれる言葉は徐々に弱弱しくなっていく。


「その時の私は、母の表情に気に留めていませんでした。眼の下の隈を深くしながら折れそうなほど細い身体を酷使して帰ってきたあの人は、私の笑顔を見て何を思ったんでしょう。ゆっくりと手を振り上げて……………力の限り、私を殴ったんです」


 唐突な展開にアキホは眼を白黒させる。

 これまでの会話の流れが全く掴みきれず、回想の中での彼女の母の行動に理解が追い付いていない。


「当然、私も訳が分からず放心していました。壁に叩きつけられるほどに強く顔を平手で殴られて、呆然とする私に母は言ったんです。これ以上わらうな、もう私にそんな顔を向けないでくれ、と」


「……それは、どうして」


「私も問いました。そうしたら、喉が引き裂けそうなほどに甲高く、気が狂ったかのような相貌そうぼうであの人は叫びました。『手前勝手に私を孕ませ、私の生活を全て壊しておいて、勝手に私を捨てた憎いあの男の歪んだ笑顔が、お前のその顔から見え隠れして気が狂いそうだ!』………そう、私の聞いたことのない声で」


 思い出すだけで辛いのだろう。彼女のその眼が揺れており、必死に握りしめた手が震えている。


 膝を抱える腕に力がこもり、それでもアキホに伝えようと懸命に言葉を紡いでいる。


「私はその言葉に心が追い付かず、意味も理解できないまま母の言葉を聞いていました。そしてあの人は狂ったように息を荒げながら、どこか泣きそうな声で呟いたんです。お前の事なんて……………っ」



 ―――――――生みたくは無かった。



 声にならず紡げなかった彼女の言葉。しかしアキホは母が言ったであろうその言葉が頭にすっと浮かんだ。


 例え一時の激情に身を任せただけの言葉だったとしても、その一言がシルヴィアの心を抉ったであろうことがありありと理解できる。

 幼い彼女が共に必死に生きてきたかけがえのない母から、前触れもなく全てを否定されたのだから。


「幼い私でもその言葉の意味だけは理解出来ました。そして心にすとんと落ちた途端、思ったんです。あぁ、私は生まれてきちゃいけなかったんだなぁ………と」


「…………」


 そんなことは無い、と口だけならいくらでも言える。しかしアキホはその言葉を彼女に伝えることは出来なかった。


 未だ彼女の心に刺さるその傷。それを出会って僅かな自分が口先だけで肯定したところで、彼女の心に届くはずもない。

 そんな言葉で救われるほど浅い傷なら、彼女は此処まで震えることは無いのだから。


「そして一夜を明けた次の日から、私は高熱と余りの心臓の痛みに三日間寝込みました。随分日が経った後に知ったことですが、医者に見せても何もわからず、聖堂魔術師に見せたところようやく原因が判明したそうです。これは途方もなく蓄積された憎悪が生み出した呪詛の縛りなのだと」 


「……それは、まさか」


 ようやく繋がったラインにアキホは最悪の想像をしてしまう。シルヴィアはその想像を肯定するように頷いて、ようやくそこでアキホに目を向ける。


「母の、呪いでした。魔術など到底使えない人だった彼女が、煮えたぎる憎悪と呪詛に満ちた意志の力まりょくによって奇跡的に発現させた、私への指向性を持った心臓を縛る呪いだったんです」


「………っ」


 想像通りの理由にアキホは言葉を失った。余りにも辛すぎるその呪いの出所に、かけられる言葉が浮かばずに歯を食いしばることしかできない。


「三日三晩うなされようやく目を覚ました私は、病院を飛び出して母のもとへ向かいました。一言でいいから謝りたいと、せめてごめんなさいを目いっぱい伝えたいと。あらん限りの力で飛び込むように家に帰ると、母は空き瓶を手にして机に突っ伏していました」


 それでも彼女は話を続けている。

 アキホ以上に追想に心を乱しながら、それでも最悪の結末へと俯いた顔で言葉を紡ぎ続ける。


「いくら揺すっても母は起きませんでした。椅子に上って机の上を見ると、一つの封筒が置いてありました。幼い私はその中身を読んでもやはり読めない字ばかりでしたが、最後の一言を読んで理解したんです。これは………さよならの手紙、なんだと」


 さよならの手紙。子供の頃の彼女はそう捉え読んだのだろう。

 幼いながらに本質を捉えて、その『遺書』を最初から最後まで一言一句逃さないように。


「『ごめんなさい』と『さようなら』。これだけが幼い私に読めていた文字でした。それでも私は理解してしまったんです。もう母に謝ることは出来ないんだって」


「………」


「悲しみに暮れた私は、それでも涙を流すことはありませんでした。おぼつかない足取りで布団へと戻り、布団をかぶってうずくまり続けていました。最後に母が私に残した、心の臓に突き刺さるほどの呪詛さけびが心の隅で鳴り響いたまま」


 そこで彼女は顔を上げた。

 悲しみの話は此処でおしまいだと、声色と表情を変えてアキホに伝えている。


「そうして私は独りになり、程なくして今の義母、エステルさんに拾っていただきました。そしてあまりに強すぎた母の呪いは術者が死してもこの心の臓に残り、私の魔力を食らって心臓を縛るようになりました。………呪いの出自としてはこんなところです」


 そう言って再び彼女は空の向こうへと視線を戻した。


 今までの暗い雰囲気を誤魔化すかのように、彼女の声は不自然なほど普段通りに戻っていた。


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