24話 星空の記憶



「戦の多い世界だった。狭い島に詰め込まれた腕に覚えのある武士もののふたちが、こぞってその島の全てを支配してやろうと躍起になっていた」


「それほどまでに、戦争があったんですか」


「それこそ、日常に溶け込むほどに。この世界みたいに魔力なんてなかったから、当然魔術もない。人を殺める術は救いようのないほどに血生臭く、人を救うなんて敵を斬ることでしか叶えられなかった」


「……魔力が、無い」


「うん。だって、僕たちのいた世界には世界樹なんてなかったから」


 その話がいまいち咀嚼しきれてないのか、シルヴィアは眉をしかめている。


 しかし話を止めることは許していなかったようだ。口を閉ざしているアキホに向かってシルヴィアは眼で訴えていた。『まだ信じているわけではないから、話を続けてください』と。


「まあ、そういう世界の中で、僕らの主君もその天下統一を目指していた一人だった。世を収める修羅の道を歩む主君を、僕は兄と一緒に支えていきたいと思っていたんだ」


「………」


「でもある日、ようやく戦争の日々は終わりを迎えた。僕たちの主君が、部下である僕たちが傷つき倒れる姿に我慢が出来ず、敵国との和平を結ぶこと……事実上の降伏を決めたから」


「……本当に優しい人は、最初から戦争そんなことをしないのでは」


「もっともな意見だけど、仕方なかったんだ。勇猛な父が亡くなって、あの人もその遺志を継ぐしかなかった。むしろ、その騒乱を止める決断をした勇気を僕はすごいと思っているよ」


「………それは、そうですが」


「………ただ、それで戦が終わり、なんて甘い時代じゃなかった」


 そこでアキホの声のトーンが一つ落ちた。過酷な戦乱の世で生きてきた彼が、それでも未だ心に残っている後悔や寂寥に苛まれている姿に、シルヴィアは思わず身を固くする。


「父の跡を継いだはいいけど、戦争の才が無かったあの方は無駄な犠牲を出すことを良しとせず降伏を選んだ。自らが優勢とわかっていたのだろう、敵国の王はそんな主君に向けて一つ条件を出した。『無条件での和平など恐ろしくて結べるはずが無い。それ相応の覚悟と誠意をこちらに示せ』と」


「和平を拒否されたわけではないんですね」


「お互いに大国で、戦での消耗も激しかったから。これ以上の犠牲を出さずに済むのであれば、それでよかったのかもしれない」


「………それで、その条件とは?」


「………『安芸の国随一の武将、その首をもって争いの意思が無い事を示せ』」


 その条件にシルヴィアは鼻を鳴らした。しかし、その条件を馬鹿にすることは無い。


 確かにそれは理にかなっている。戦争をする気が無いのならその国の要、右腕としている者を捨てるという事はこの上なく覚悟の証になる。


 ――――その捨てられた命から目を背けるのであれば。


「……そうですね。それで済むのであれば、そうするのも選択肢の一つかもしれません」


「うん。幾千の流血を一つの命で収められるのであれば、それはきっと正しい事なんだろう。

――――――――それが、誰よりも大切だった兄だったとしても」


 最後に添えられた一文にシルヴィアは喉をひきつらせた。そして自らの浅慮を恥じるように、手を強く握りしめ後悔に俯く。


 選択肢の一つであっていいはずがなかった。大切な家族の命と引き換えに平和を得ることを、それで済むなどとと軽々しく言うべきではなかった。そんな理由で繋がりを失う事がどれだけ辛いか、想像ですら張り裂けそうに胸が痛むのだから。


 きゅっと締め付けられた心のまま、シルヴィアは話を進めるための問いを絞り出すように投げかける。

 

「………その条件を、飲んだのですか」


「主君は最後まで駄目だと否定し続けた。でも、当の本人がその条件を受けるべきだと強情に押し切った。『国を守れるのであれば、戦しか能のないこの命をどうぞお使いください』と、無理矢理にその条件を履行したんだ」


 あまりに不条理な運命を訥々と語るアキホの眼を、シルヴィアはただ見つめていた。


 もはや彼の言葉を疑ってはいない。その彼の心の奥を推し量るように、握った手のひらに汗を浮かべながらアキホの澄んだ眼を真っすぐに見つめ続けている。


「そうして、僕の兄は大勢に見守られながら、共に戦場を駆けたかけがえのない友の介錯で命を落とした。最期まで兄は笑っていたよ。『国を守るために死ねるなら本望だ』って、首が落ちるその瞬間まで」


「…………」


「そして首が落ちたその瞬間、喝采が沸き起こった。これで戦の恐怖から逃れられると、地獄のような日々が終わりを告げると、国の民は手を叩いて喜んでいた」


「…………そんな、ことって!」


 あまりに救えないその話にシルヴィアは思わず声を震わせる。既に終わったはずのその過去に、怒りのあまり声を荒げる。


 見せたことのないシルヴィアのその様子をアキホは見つめている。出会ったことのない兄の為に怒りをあらわにする彼女を、剣幕の和らいだ視線で。


「笑っていいはずがありません。喜んでいいはずがありません!国の為に、主の為に戦ってきた人の死を、どういう理由があっても祝福するなんて!」


「………」


「正しく在った人が、そんな間違った終わりを迎えていいはずが………っ!」


「………ありがとう、兄の為に怒ってくれて」


「…………貴方はどうしてっ!」


「それが兄の選択だったから」


 誰よりも悲しいはずの、誰よりも苦しいはずのアキホがなおも穏やかに在ること。それがどうしても我慢できずに、思わずシルヴィアは勢いのままに問い迫ろうとする。


 しかしそれより僅かに速く、アキホがその問いに応える。なおも冷静な彼の様子に、芯の奥の感情は燃え盛ったままにシルヴィアは息を整えた。


「兄が選んだことだった。戦は主君の本意ではなく、自らが主導して行ったこと。そう民たちに触れ回ることで、尚も戦を続けていた主への反感を全て自らの内に納めていた。………そういう優しい、人だった」


「……それで納得できたのですか」


「出来るはずがなかった。でもするしかなかった。誰よりも主の事を、友の事を、民の事を、そして僕の事を想っていた人が、そうしなければいけないと選んだ道だったから」


「………」


「そして自らの家に戻った僕はずっと考え続けた。空の色が変わり、太陽が落ちて、星々が輝き始めるその時になってもずっと考えていた。どうして、こんなにも世界は優しくないんだろうって」


 その言葉にシルヴィアがピタリと固まった。しかしアキホの視界に彼女は入っていない。はるか夜空を見つめながら、どうしようもない気持ちを微かににじませている。


「誰よりも優しかった人が辛い思いをしているのが悲しかった。誰よりも正しかった人が死んだことを笑われることが辛かった。大切な人が死んだことを笑う人々の中で生きることがどうしようもなく我慢できなくて、僕は叶わない願いをひたすら唱えながら自ら命を断つことを選んだ」


「………願いを?」


 ようやく話が繋がったと、彼が最初に説明していた言葉をシルヴィアはふと思い出した。

 シルヴィアの短い疑問にアキホは頷いて、異世界ここに至るまでの最後の話を語りだす。


「その日の空は星が無数に流れていたんだ。僕たちの国には『流れ星に願いを唱えると願いが叶う』って言い伝えがあってね」


「………随分可愛らしい言い伝えですね」


 穏やかになったアキホの口調にシルヴィアは軽口を挟んだ。その言葉にアキホは「そうかな?」とわずかに微笑んで、ようやく二人の空気感が元に戻る。


「それで、ただ願いを祈りながら自害した。確かに意識を失い、もう目覚めることはないはずなのに、何故かこの身は違う世界で再び意識を取り戻したんだ」


「……違う世界に行きたいとでも願ったんですか」


「そんな絵空事を願ったわけじゃないんだけど……それでも、そうやって僕はこの世界に来て、今の義母に拾われてここに来たんだ。それが、僕が語れるここに来た経緯の詳細だよ」


 そういってアキホは語り終えた。長い話を終えて、二人はようやくといった感じで息を吐く。


 信じてもらえたか、と問うことをアキホはしなかった。

 信じる、と告げることをシルヴィアもしなかった。


 肌寒い夜空に残る微かな余韻だけが、2人を包み込んでいる。


「ごめん、ここに来た経緯を話すはずなのに、余計なことを話したね」


「……お互い様です」


 そして再び沈黙が訪れる。先ほどまでとは違いどこか心地良いその静寂に、アキホは夜空を眺めながら眼を細めた。


 そしてまた幾ばくかの時間が経ち太陽が完全に沈み終わった時、その静寂をシルヴィアが破った。抑えきれない好奇心からか、いつになく言葉が軽くなった彼女は心のままに疑問を重ねようとする。


「………最期に」


「ん?」


「命を断つ間際、最後に貴方は――――――」




「やっと見つけたーーーーーーーっ!!」


 彼女の発しようとした疑問は、屋根の下でこちらを見上げて叫ぶアリアの声にかき消された。


 きっと長い時間探し続けていたのだろう、彼女は遠目から見ても怒っていた。


 赤い顔のまま彼女は一旦校舎の中へと戻っていく。ここに来た時のシルヴィアと同じく、二回の通用口からのはしごでこちらに向かうつもりらしい。


「顔を青ざめさせていたのに、随分と威勢がいい事で」


「元気になったならいい事だよ」


「そうですね。変に落ち込むより、よっぽど彼女らしいです」


 そう呟いてシルヴィアは屋根の端へと歩いていく。直接地面へと飛び降りようとする彼女に、アキホは後ろから声を掛けた。


「一緒に行かないの?」


「母と約束をしていたことを思い出しました。急いで帰らないといけないので、よろしく伝えておいてください」


「それは別に構わないけど」


 不思議そうに見つめるアキホにシルヴィアは一度だけ振り返った。そして聞こえないほどに小さな声で何かを呟いて、そのまま屋根から身を躍らせる。


 その姿を見送ってからしばらくして、アリアが屋根に上ってきた。急いで来たのだろう、赤く頬を染めて息を切らしている。


「急にいなくなって……心配したんだから……」


「うん、ごめんなさい」


「もう……あれ、シルは?」


 息を整えてきょろきょろと見回すアリア。

 アキホはシルヴィアが飛び降りたところを指さして、座ったままアリアを見上げている。


「エステルさんと約束があるって、先に帰りましたよ」


「……そう、親御さんと。でも、それならなおさら一緒に帰ればよかったのに」


「ごめんなさい。でも、彼女も急いでいたみたいでした」


「それなら、仕方ないか………」


 腰に手を当てて嘆息をするアリア。その顔色は騒動が収まった直後と比べて幾ばくか余裕が生まれていた。


 血色の良くなったその顔を見て、アキホは安心したように呟く。


「元気になったみたいで良かったです」


「あー……うん、ごめんね?」


「いえ。もう大丈夫ですか?」


「うん。ちょっと最悪の想像をしちゃったけど、もう大丈夫。きっとそんな都合悪くなることなんてないと思うし」


「?」


「ううん、こっちの話」


 疑問を浮かべるアキホにアリアは笑って誤魔化した。触れたくないことならと追及することは無く、アキホは話題を変える。


「これからどうしますか」


「ん、用事はもう終わったし、帰ろうってフィオちゃんと話してたところだけど……」


「そうですね。じゃあ、帰りましょうか」


「うん。先に寮にフィオちゃんを送ってから、また一緒に帰りましょ」


 そして差し伸べられた手を取ってアキホは立ち上がった。シルヴィアの様に飛び降りず、二人ははしごを伝ってゆっくりと降りていく。



『……………』



 ふと、アキホはシルヴィアの立っていた場所に目を向ける。


 立ち去る直前に発した彼女の言葉。風にかき消されて耳に出来なかったその言葉が酷くもやもやと残り、アキホは微かな焦燥と困惑を胸に、学園長と一緒に待っているフィオの元へと戻っていった。

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