6話 シルヴィアと女王


「あ、美味しそうなお弁当……これはアキホさんが?」


「そうだね。時間があるときは母の分も一緒に作ってる」


 中庭まで出てきてフィオと一緒にお弁当箱をつつく。彩りに満ち溢れたフィオと素朴で簡素なアキホ。二人の弁当は対極的で、お互いがお互いの弁当箱に興味津々だった。


「それはお肉でしょうか?茶色いソースとお野菜で飾られているように見えます」


「これは肉を使った祖国の……えっと、ソテー。生姜という調味料を使って濃いけどさっぱりとした味わいになるようにしてる。まあ野菜は付け合せなんだけど」


「いい香りです……」


「僕もフィオの料理が気になる。とくにその野菜は初めて見るよ」


「そうでしょうか?これは自室で育てている野菜を蒸したものです。バジルのソースをつけると、とても美味しいんですよ」


 お互いの目を見てアイコンタクトをする二人。そして無言でフィオは生姜焼きを、アキホは蒸し野菜のバジルソースを交換しお互いの自慢の料理を頬張る。


 そうやって互いのお弁当を少しづつ分け合いながら食べ終えた二人は、フィオの入れたお茶を飲んでほっと一息吐いた。まだ授業開始まで時間があると、フィオは雑談をアキホに持ちかけている。。


「初日の授業は如何ですか?」


「まあぼちぼち。親にある程度教えられているから全くわからないってことはないよ」


「なるほど」


「ただ……」


 ふと苦虫を噛み潰したようにアキホが表情を変える。


「魔術理論に関してはちょっと付いていくのでやっとだ。どうにも魔術や超常の類に関しては理解がまだ追いつかない」


「そうなんですね。アキホさんは理論より感覚で覚えるタイプなのでしょうか?」


「というより魔術に触れて新しいんだ。ほとんど魔術というものを知らず、習い始めたのもそう古くないから」


「そうなんですか?でも……」


 両手で四角形を作ったフィオはその中から覗き込むような仕草を見せる。じいと四角の真ん中から、アキホの全身をくまなく眺めている。


「アキホさんも魔力をしっかり纏っていますね」


「そうしないと見れないの?」


「いえ、全然っ」


 冗談めいた言い方をしてにへらっと笑うフィオ。どうもこの子は親しくなると意味のないお茶目が増える傾向にあるらしい。恐らく一緒にいて楽しんでくれているのだろうと、アキホも少し嬉しくなる。


「それじゃあ、元から魔力を持っていたってことでしょうか?」


「そうみたい。親が言うには無意識で魔力を使っているから、まずは意識して魔力を使えるようになりなさいって事らしい」


 学園長からはそれを学園で学ぶように。また生徒と一緒に試行錯誤して自身にあった使い方を見つけ出すようにと言われている。自分で教えることも出来るが、こういうのは本人が自身の力で見つけるのが結果として近道らしい。


「なるほど。私としては無意識で運用している方が凄いと思うのですが……たしかに意識して使えないと基礎魔術も覚束きませんね」


「基礎魔術……基礎魔術って、炎の壁を作り出すことも出来るの?」


「えっと、そうですね。威力や規模にもよりますが、ある程度の大きさであれば一節の初等呪文、一年時に倣う範囲でも作ることができます」


「そっか……」


 アキホはシルヴィアを助けようとした時に斬った炎の壁を思い出す。


 あの男は一つ言葉をつぶやいただけで、人一人を覆えるほどの巨大な炎を生み出した。全員が全員あれほどの練度でできるとは思っていないが。


「そうか、あれが当たり前にできるのか……」


「?」


「あ、いや、なんでもないよ」


 その呟きの意味を測りかね首を傾げるフィオ。それを誤魔化してアキホは首を振る。不思議そうな顔をしてはいたが一瞬で切り替わり、とりあえず、とフィオは伝えたいことを伝えることに。


「他にも、何か気になることがあれば何でも聞いてくださいね。私の知っている範囲で、ですがお答えしますので」


 そう大きいわけではない胸を張って、微かに得意げな顔をするフィオ。大和撫子のようなおしとやかさの中に在る年相応の可愛らしさを見せる彼女に、それならと先ほど感じた不自然な点を明け透けにアキホは問いかける。


「シルヴィアさんってどんな人?」


 その質問に笑顔を浮かべたままフィオはぴしりと固まった。


 一瞬の間を置いた後気まずそうに頬をかきながら、控えめながらも真っ直ぐな印象の彼女らしく無く目線をあちらこちらに彷徨さまよわせる。


 先程までの打てば返るような軽快な会話ではなく、ゆっくりと言葉を選んで。まるで、突いて出てきそうな言うべきではない言葉を頭の中で弾いて選別しているように。


 少しして、小さく息を吐いたフィオはようやくアキホと目線を再び合わせた。そして、もじもじと不安そうに指を合わせながら、上目遣いでアキホに逆に質問を返す。


「あの、アキホさんとシルヴィエスタさんは旧知の仲なのでしょうか?」


「知り合いって言うほど仲良しではないかな。一応入学前に少し会話をしただけ」


「なるほど、だから朝は彼女の隣に向かったんですね」


 納得したように頷くフィオ。そして彼女はまた少し考え込んで、今度は先程ほどは時間を掛けずに言葉か返ってきた。


「素直な話、彼女について知っていることは多くはありません」


「同じクラスなのに?」


「はい。誰も彼もが彼女と関わることを避け、彼女自身もそれを良しとするかのように壁を張っています。そして彼女は教室内でも孤立し、中には彼女に対して遠巻きに、あるいは聞こえるように嘲笑と侮蔑を向けている人も少なくありません」


「それって……」


 ある単語がアキホの頭をよぎる。その浮かんだ単語を肯定するように、フィオはゆっくりと頷いた。


「どう言葉を選んでもいじめ、です。幸い直接的な危害は加えられていないようですが、控えめに見ても集団で個人を淘汰していることに変わりはありません」


「どうしてそんなことを……」


「アキホさんはこの国の現状をご存じですか?」


 唐突に、覗き込むように問いかけるフィオ。急に話題が飛んだ気がするが話を逸らされた雰囲気ではない。聞きたい本題にきっと関係しているのだろうと、アキホは素直に問いに答えを返す。


「詳しくは聞かされてない。ただ、少しひどい状態だって親が酔った拍子に呟いていたのは聞いたことがある」


「概要をご存じであれば、十分です」


 ポンポンと膝を叩いて身体の向きを変えるフィオ。二人で向き合って座っていたが、少し身体をずらしてアキホの正面から逸れるように動いた。お昼休みが終わってしまいますので手短に、と前置きをしてフィオは話し出す。


「この国が変わり始めたのは10年と少し前。前国王様が急死を遂げ、今の国王様に変わった時と言われています」


 真面目な声色で、丁寧な口調でフィオは話を続ける。


「といっても最初の数年は異常は無かったようです。国王様の急死で国が慌て、唐突な事に一波乱あったようですが、それだけを見れば何もおかしい事なんてありませんでした」


「でも、暫くしたらおかしくなったと」


「はい。少しずつ政策が変わっていったようです。目に見えて税金が増え、国民が雁字搦めに縛られるにつれて、王様とその周辺の人達が私腹を肥やして自由に振る舞うように。絵に書いたような暴君、利権を自身のために使う狂王に変わり果てた、と」


「それを止める人はいなかったの?」


「いなかったみたいです。基本的に国の防衛や武力は騎士団に一任されているのですが、騎士団は国が運営をしているので。王様がどうにかなっても王命無く動く出来ませんし、もしかしたら騎士団も上役が癒着しているのかも。それに……」


「それに?」


「万が一王様を排したとして、続く王が今の国にはいないんです。かつては王の娘、3人の王女様がいたのですが、長女は数年前に病死。第2王女は王様と変わらぬ暴君で、第三王女は長女が病死した後に他の国へと政略結婚したと言われています」


 柔らかく言葉を選んでいるが、彼女は現在王族に連なる人物は全員ろくでなしだと告げている。


 つまるところ、何かのきっかけでこの暴政が破綻したとしても、下手したらそれ以上に国としてはまずい状態になりかねない。諸外国との交渉や交流、国家の運営を行えるのは現国王だけ。どれだけ間違っている王でも必要なことには違いないのだろう。


「どうにかしたいけれども、どうしようもない。そんな状態なんだねこの国は」


「はい。そして腐敗した政治体制に国民の心はすり減ってしまいました。今のこの国は怒り、諦観、そういった負の感情で満たされてしまった」


「……だから城下町はあんなに閑散かんさんとしていたんだね」


「そうなんです。もう自身のことで手がいっぱいで国を盛り上げる、皆で奮い立つ、そういうことを考えられなくなっています。……そして、この国とシルヴィエスタさんのいじめについての関係なのですが」


 話がようやく本題に入る。ただ話しにくいことなのか、身体はアキホから逸れたままで真正面から相対してはくれていない。どこか遠くを見つめながら、しかしはっきりと言葉を紡ぐ。


「アキホさんは先ほど会話に出た、第2王女を見たことがありますか?」


「……ないかな」


「ドリゼラ第二王女は現国王様と同じく自身の都合で、下手をすればそれ以上に自分勝手な振る舞いが目に余る方なのですが」


 そこで一旦言葉を区切る。言いにくいことを絞り出すように、小さくフィオは呟いた。




「瓜二つなのです。彼女は、ドリゼラ第二王女と」




たった一言。呆れるほど単純な一言。差別も侮蔑もたったそれだけの事で起きていると、感情の籠っていない声でフィオは説明を終えた。


「…………………え?」


 言われたことが理解できないアキホ。続く言葉を待っているけれども、フィオの口からは続く言葉が紡がれる様子はない。


「えっと、それだけ?」


「はい」


「憎い人に容姿が似ている。それだけの理由で差別をするの?」


「はい」


「彼女の中身も知らず、知ろうともせずに罵声を浴びせて笑っているの?」


「……はい」


 そのどうしようもなく理解できない理由に思わずアキホの思考が固まる。




『私の顔を見て、何か言う事は無いんですか?』




 そしてふと、昨日彼女が問いかけた質問に合点がいった。


 つまるところ、彼女は顔を見られただけで変わる人を数多く見てきたのだろう。いや、もしかしたら顔を見た全員が豹変し悪意をぶつけてきたに違いない。


 だからこそ、あの場で彼女は問いかけたのだ。『憎き女王の面影を見て、何か思うところは無いんですか』と。


「………」


「……あ」


 今自分がどんな顔をしているのか、アキホは分かっていない。ただ頑なに視線を逸らして歯を食いしばっているフィオの様子を見て、自分が酷い顔をしているんだと把握をした。


 きっと彼女はそんなアキホの顔を見るのが怖かったのだろう。だから体を逸らして、自分と目を合わせるのを避けていたのだろう。


「……ごめん、取り乱した」


「アキホさんが謝らないでください。間違っているのは私たちで、この国なんですから」


 アキホは深呼吸して自らを落ち着けようとする。その様子を横目に見て、安心したかのように大きく息を吐いてようやくフィオは目線を合わせてくれた。


 やっぱりこの少女も優しい人だ。そう思った瞬間にアキホに小さな疑問が浮かぶ。


「それだけ客観的に見れて、自分が間違っているとわかっているのにフィオはどうして」


「シルヴィエスタさんを避けているのか、ですか?」

 

 機先を制されて口ごもるアキホ。その質問を想定していたのか、複雑な表情で笑いながら人差し指同士をつんつん合わせながら言いにくそうに答えてくれた。


「私も、嫌いな人を作りたくないんです。だって、嫌いな人の事を考えて嫌な思いをため込むよりも、好きな人の事を考えていたいから。大切な人の事を想う自分の幸せな時間を、他の誰かへの嫌な気持ちで塗りつぶされたくないんです」


「……うん。素敵な考え方だね」


「……ありがとうございます。ですが、シルヴィエスタさんと相対すると、心の何処かに嫌な気持ちがもやもやって膨れ上がって、思ってもいない酷い事を口にしそうになるんです。……私も心の奥底では王族の人達を憎んでいるのでしょうか」


 自分でもいまいち心の動きがわかっていないように首を傾げながらつぶやくアリア。そんな様子を見ながら自分なりにアリアの気持ちを推察してみる。


「じゃあ理由なくシルヴィアさんを嫌ってるわけじゃなくて」


「はい。私はあの人を本当に嫌いになりたくないから、あの人を避けているんです」


 それは本末転倒で、助けることが一番良い事は分かっているのですが。と自嘲気味に呟くフィオ。ただそんな彼女がアキホにとっては眩しく感じた。


 そんなこと無い、と言いたかったけどそんな何気ない一言さえ出せないほど、温かい気持ちが暗い心の奥底に染み渡り、アキホはじっとフィオの瞳を見つめ続ける。


 集団で誰かを嫌い、悪意を寄せている中でも決してその悪意に染まらない。出来ることはなくても、流されて無意味な悪意を寄せることは決して無い。たったそれだけのことだけど、その尊さをアキホは誰よりも知っていた。


「……その、えっと」


 そんなアキホの様子に照れたようにあわあわと顔を逸らす。そこで昼休み終了のチャイムがリンゴンと鳴り響いた。


「ほ、ほらっ、お昼休みが終わってしまいます!」


 照れ隠しからか慌ててアキホの手を引っ張るフィオ。引っ張られるままに立ち上がりアキホはまたアリアの後ろをついていく。


「午後の授業は確か……」


「午後は実技ですっ。私達騎士学科の午後は剣術の指南や実戦形式での稽古になっています」


「そっか」


「刀を使う人は珍しいので、貴方の剣を見るのは楽しみですっ」


「あまり期待しないでね」


 未だ照れ隠しからか、言葉に勢いがついて僅かに語尾の跳ねているフィオ。僅かに染まった顔を隠すように前を向き、存外に強い力でアキホの手を引きずるように歩いている。


 明るいだけでなく優しく聡い。そんな少女と一番に友だちになれたことを嬉しく思いながら、アキホは教室へと空になった弁当箱を手に戻ることにした。








 「そして、魔術の使用における大原則として、詠唱の際に優先するイメージを込めた言霊を……」


「しっ」


 教室へと戻りながらフィオが簡単な魔術の基礎をアキホに教えていると、アキホが唐突にその言葉を遮った。そのまま彼は教室の目の前の入り口の扉の前で立ち止まり、彼は扉へと張り付いて中の様子を眺め始める。


「どうかしましたか……?」


「ちょっと、中を見てみて」


 声量を落としたまま彼の言葉を聞いて、フィオはゆっくりとアキホへと近づいた。アキホが顔を出す僅かに下からフィオもひょっこりと顔を出す。




「それで、世間話が目的なら興味が無いので通してもらえますと」


「うむ、こちらとて会話は控えた方がお互いの為とは思うのだが」




 教室の中ではシルヴィアと一人の男子生徒が面と向かって睨み合っていた。白いペンを片手に持ったシルヴィアが目を吊り上げて男子生徒を睨んでおり、背後に二人のお供を連れた男子生徒はその視線を軽く受け流している。


 そして、その周りでは教室にいるほとんどの生徒が二人の動向を見守っている。いや、厳密には見守っているなんて優しい表現ではなかった。


 それこそ睨みつけているのだ。全霊の悪意を以て二人を。否、シルヴィア一人を侮蔑と嘲笑の意を込めた視線を送り続けている。


「一体、なんでしょう?」


「わからない。だから、ちょっと見守ろうか」


 そのアキホの提案にこくりと頷いてフィオも教室をのぞき込む。幸いにも生徒たちの視線は全てシルヴィアに向けられていた。シルヴィアだけは入り口の方を向いているが、視線は目の前の男性に向いており気付いている雰囲気は無い。


「シルヴィアさんの前の彼は?」


「えっと、彼はルーク・ブランネージュさんです。このクラスのリーダーのような立ち位置で、その……」


「シルヴィアさんへ差別を向ける人のリーダーでもある、かな」


 アキホの考察に辛そうに頷くフィオ。アキホは難しそうな顔でルークと呼ばれた彼とシルヴィアの会話に再び意識を向ける。


 フィオも続いて顔を向けた。すると相対している二人は剣呑な雰囲気のままで、核心へと話が進んでいた。


「まどろっこしく言葉を濁していないで、はっきりと要件を告げてはどうですか。世間話に興味は無いと先ほど述べたはずですが」


 その言葉にルークはわずかに頷いた。そして世間話の延長のように何も躊躇うことなく、彼はシルヴィアに接触した要件を一方的に押し付けるように告げた。







「お前は編入生に関わるな。お前にとっても彼にとっても益になることは一つもない。彼の重荷にならないよう、お前の方から接触を控えろ」



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