5話 編入と拒絶



「ええと、ここでいいんだよね……」


 不思議な親子と会った次の日、アキホは学園の前に足を運んでいた。この学園の制服に身を包み腰には刀を携えた彼は、義母に貰った地図と目の前の校舎をしきりに見比べている。


 まだ早い時間だが、ちらほらと他に登校している生徒もいるようだ。見たことのない生徒が校門の外で立っている光景にいぶかしげな目線を向ける生徒もいるが、アキホは気付かずに確認を繰り返している。


「まずは正面玄関、この校門をはいって真っすぐ……」


 しばらく地図とにらめっこして納得したのか、アキホは校門をくぐって歩みを進めた。

 見たことない桜の花びらが舞う光景に目を奪われながら、地図に書いてある正面玄関へと足を進める。


 校門から入り口まで左右に燦然さんぜんと並ぶ桜並木。そこから舞い降りる花弁はなびらは太陽光を反射して輝いており、微かな光が少し眩しくてアキホは目をしかめた。


 校庭の掃除をしている生徒、グラウンドで何やら鍛錬のようなものを行っている生徒など自分以外の人を桜越しに眺めながら歩いていく。

 すると、目指していた正面玄関の入り口で、一人の生徒が誰かを待っているように佇んでいた。


 微かに暗い栗色の柔らかい髪を腰まで伸ばした彼女は、鞄を両手で持って立っていた。他の生徒とは違い制服の上に白衣を羽織って、僅かに吊り上がった利発そうな目をこちらに向けている。


 そして、こちらを確認するとほのかな微笑を浮かべた。鞄を持ったまま数段の階段を下りて、呆けているアキホの前に歩み寄る。


「おはよう。アキホ・ヨシカワ君で間違いないかしら?」


「えっと、はい」


「よかった。時間通りに来てくれてありがとう」


 少し歩いて乱れた髪を耳にかけて、小さく息を吐いた。そして真っすぐ目を合わせて、彼女は簡潔に自己紹介をした。


「私の名前はアリアンローズ・エルキスタと言います。アリアンローズ、では堅苦しいので、気軽にアリアとでも呼んでくださいね」

 。

「アリアンローズ……あ、貴女が」


 母から聞いていた名前にアキホは納得する。その反応を見て、彼女はなおも微笑みを深くした。


「はい。この学校の騎士学科の統括会長をしています。そして学園長から、貴女を案内するようにと言われています」


「ありがとうございます。よろしくお願いします」


「うん。まぁ、職員のところまで案内するだけなんですけどね」


 すこしばつが悪そうにアリアは頬を掻いた。そしてこっちだよ、と玄関から少し外れた校舎の隅を指を差す。


「こっちの方が近道だから、こっちから行きましょう。あそこから入るといろいろな人が居るから、君も居心地悪いでしょう?」


 そう言ってわき道を歩き始める彼女にアキホは着いて行く。花壇と校舎の間に沿って歩いていくと、その奥に正面と比べて簡素な玄関がもう一つあった。


 脇に小さく『職員玄関』と書かれたその扉から中へ入る。

 アキホは癖で履き物を脱ごうとしたが、目の前に進むアリアがそのまま歩いていくことに気付いて思いとどまった。


「でも、二年生になって編入、しかも騎士学科なんて珍しいわね。君は一体、今まで何をしていたの?」


「母のもとで勉強をしていました。この時期に学校に入るのは、母がようやく準備ができたからだって言っていたような」


「準備できた、か。そっか、アキホ君のお母さんって……」


 そっかそっか、と頷いていたアリア。その理由をアキホはいまいち分かっていないが、彼女は笑いながらしきりに頷いている。


 そしてしばらく歩いたところで、アリアは立ち止まった。


「ここが教員室。あとはここに居る先生に話を聞いてね」


「はい。ありがとうございます」


「いいえ。何か困ったことが有ったら気軽に声を掛けてね。それじゃ」


 柔らかな髪をふわりとたなびかせて、アリアはその場を立ち去った。


 微かに花の香りを纏った彼女の姿を見送って、アキホは職員室の扉をノックし、中にいる教員の声を聴いて扉をそっと開けた。











「それでは編入生、挨拶を」


 そして教員に教わり手続きを済ませたアキホは、自分が授業を共に受けるクラスへと案内されていた。朝の挨拶の際に、まとめて紹介をするという事で多くの視線が集まる中、黒板の下でアキホは緩く微笑んでいた。


 目の前に広がる教室には、長机がいくつも置いてある。教室の後ろほど高くなっているこの教室に三列に並んだ机は、後ろに配置してあるものほど高所なため、後ろの人が見えないという事は無いようだ。


 一つの机におおよそ三人ずつ座っている。各々が自らの机の上に筆記用具を置いているが、鞄は教室の一番後ろにそれぞれ置いてあるようだった。


「アキホ・ヨシカワといいます。縁あってこの学級へと編入させていただくことになりました。よろしくお願いします」


 生徒たちの好奇の視線を受けながら、アキホはゆっくりと頭を下げた。次いで生徒達からまばらに歓迎の拍手が沸き起こる。


「それでは、今のうちに交流の時間を取っておこう。何か編入生に質問は?」


「はい!得意な魔術属性はありますか?」


「正直な話、得意な魔術は今のところ分からないかな。これから見つけていけたらなって思ってます」


「憧れの伝承騎士アークナイトはいる!?」


「あーく……?憧れてる人は自分の兄です。自分よりも強く気高い人だったので」


「好きな異性のタイプは!?」


「ん?」


「異性のどこにフェチズムを感じますか!!?」


「ちょっと待って勢いがすごい」


 そうして、答えられる質問にすべて答えているうちに朝のチャイムが鳴った。次の授業の準備時間を知らせるチャイムに、横で見ていた教員が咳払いをして場を治めた。


「それじゃ次の質問が最後だ。誰か質問のあるやつは」


「はいっ」


 最後の質問に手を上げたのは、大人しそうな印象の背丈の小さな少女だった。薄桃色の髪を左に結っている彼女は、くりくりした丸い目をじっとアキホに向けている。


「ヨシカワさんは、なぜこの時期に編入されたのでしょう?」


 同級生に対して話すにはいささか丁寧すぎる口調。そしてその内容は先ほども生徒会長に聞かれ、似たような話を昨日あの親子にもしたなとアキホは思い出す。


 周りには彼女ほどではないが、その質問の答えに興味を示している生徒も少なくないようだ。アキホは言える範囲で、その理由を納得いくように伝えようと口を開いた。


「名前を聞いて分かる通り、僕はこの国の住人ではありません。僕が此処に居る理由は、少し前に今の母に拾ってもらいその母がこの国に住む人だったからです」


「……あっ」


 彼女はアキホの言葉に小さく後悔の色を滲ませた。少し考えれば分かることだったと、考えの足らない自身の行いを恥じるように、小さく俯いてしまう。


「でも、この学校の騎士学科に入学したのは、流されてではありません。自分に出来る事を探して、辿り着いた結果が騎士になることでした。義母の許可を得て、僕は自身の意思でこの学校に編入したんです」


 アキホのその言葉に少女は顔を上げる。自分の生き方に多難はあれど後悔は無いと、自信をおもんばかっているその意図を察して彼女は小さく頷いた。


「この時期の編入になったのは、その準備が整ったのがつい最近だったから。……これで、質問の答えになってましたか」


「……はい。ありがとう、そして不躾にごめんなさい」


 彼女は再び花のように優しく微笑んで席に着いた。それを見て取った教員はゆっくりとアキホに歩み寄る。


「それでは、席について。席は特に指定は無い。空いている席に自由に座ってくれ」


「はい」


 教員の言葉に頷いてアキホは周囲を見渡した。


 最後の質問をした彼女と少し話をしたかったが、彼女の席は両隣共に既に人が居た。では空いている席に座ろうと周囲を見渡してみると、見知った顔がアキホの視界の端に移り込んだ。


「………っ」


 目が合ったことに気が付いた彼女は何故かぎょっとした顔をした。知っている顔が居たならちょうどいいと、アキホは彼女の傍まで歩み寄る。


 教室の最後尾の机の一番端、窓際の席に一人で座っていたの隣へ歩み寄り、空いている席に腰を掛ける。


 その瞬間、纏わりつくような視線が自分に向けられていることをアキホは感じ取った。不思議な感覚に周りを見回してみると、ほとんどの生徒が奇異の視線をこちらに向けていた。


「おはよう。シルヴィアさん、だよね」


 その視線を疑問に感じながらも、アキホは彼女に声を掛ける。


 しかし、彼女からの反応は無い。聞こえていないのかとアキホはもう一度声を掛けようとするが、その前に彼女が遮るように深く溜息を吐いた。







「……馴れ馴れしくしないでください」







「……え」


 ようやく口を開いた彼女の一言にアキホは唖然とする。


 その内容に、ではない。彼女が発したその言葉の声色に、アキホは自分が聞いたであろう声が彼女のものだと信じられずに耳を疑う。


「近づかないでください、貴方の様に目立つ人に寄られると迷惑なので。よろしくお願いします」


 再度彼女は言葉を発する。アキホはその先ほどと変わらぬ声色に再び驚いていた。


 昨日話をした彼女からは考えられない、あまりにも冷たいその声色。ともすれば拒絶するようなその突き放した口調に、昨日の彼女の様子とどうしても重ならずにアキホは首を傾げていた。


「編入生にまであんな態度……」


「ほんと、サイテー」


 そんな彼女を非難する声がアキホの耳に入る。余りにも冷たく拒絶する彼女も不思議だが、たったそれだけでこの教室のほとんどの生徒が彼女にねばついた悪意を向けていることもアキホにとっては不可解なものだった。


 そんなシルヴィアは窓の外に目を向けたまま、こちらをちらりとも見ようとしない。顔を合わせることはおろか、体の向きすら完全に逸らしてこちらを拒絶している。



 仕方なく一つ分の席を空けてアキホは席に着いた。その様子だけを一瞥した彼女は、再び窓の外へと視線を戻す。



 未だ疑問で満ち溢れているアキホだったが、入れ替わりで入ってきた一限目の担当教員が扉を開けた音で我に返った。

 そのままなし崩しに授業へと進んだため、聞けずじまいのままアキホは悶々とした気持ちのまま、初めての授業へと意識を向けることにした。










「……」


 そうして授業の合間、午前の授業が終わった直後に話しかける間もなく立ち去るシルヴィアを見送りながら、アキホは呆気にとられていた。


 昨日の彼女との様子が違いすぎる。まるで昨日彼女と出会って交わした会話が全て嘘だったかのように、取り付く暇も無く態度も変わっていた。


 ともすれば拒絶されているかのように、差し出そうとする手を跳ね除けられるように触れ合おうとしても届かない。


 正確には口調や反応はそこまで大差ない。昨日も若干ではあるが距離を感じたし、そこまで親しくなったとは言い難い。

 しかし、言葉に宿る温度も視線に宿る感情も何もかもがあまりにも冷たく厳しかった。


「あ、あの……?」


 入り口を見つめたまま思案していると、授業前にも話しかけられた素朴で親しみやすい声がふと聞こえてくる。

 正面を向くと、桃色の髪の毛を片側で小さく結った少女が、机越しにくりくりした丸い目をじっとこちらに向けていた。 


「……えっと」


「どうかしたの?」


「あの、ですね……あ、申し訳ありません!私ったら名を名乗らずに」


 一つ一つの所作がいやに丁寧な彼女は、口元に手を当てて小さく咳払いをする。丸く威厳のない可愛らしい目をきりりと吊り上げ、真面目な表情でぺこりとお辞儀をした。


「フィオライナ・タナスティエルといいます。親しい友人は私のことをフィオ、と呼んでくれているので、よろしければそう呼んでいただけると」


「ありがとう。よろしく、フィオさん」


「ふふっ、同級生なんですから、私に対しては呼び捨てで構いませんよ」


「それじゃ、君も名前で呼んでくれたらそうする」


「あ……ふふっ、では私はアキホさん、という事で」


 そう答えるとまた花のようにフィオは微笑んだ。眩しく笑うと同時に揺れた身体に合わせて揺蕩たゆたう薄桃色の髪の毛にアキホは不覚にも見とれてしまう。


「……髪の毛、ですか?」


「っとごめん。不躾に見ちゃって」


「いえ、そんな……そんなに、珍しい物でしょうか?」


「そうだね。僕のいた国では黒髪の女性しかいなかったから、ちょっと馴染みはないかな」


 考えていることを当てられて少し驚くアキホ。そんな彼の様子に、少し恥ずかしそうに髪を手で触りながら、フィオははにかんでいる。


「このようなものでよければどうぞご覧ください。それで、えっと……朝の質問なのですが……」


「朝の質問……?」


 その言葉にアキホは思い返す。自身に出自についての質問をした後の、申し訳なさそうな彼女の反応を。


 その沈黙をどうとらえたのか、フィオは身振り手振りを交えながらアキホへと説明を続けていた。


「あの、アキホさんのこれまでが辛かった、などと知ったようなことを言うつもりはありません。ですが、事情をかんがみず不躾ぶしつけな質問をしてしまったことは事実。なので、もう一度しっかりと謝りたいと……」


 その言葉でようやく得心がいった。すこし少し間をおいてアキホは零すように小さく笑いを浮かべる。

 

 そんなアキホの様子に納得いかないのか、彼女は頬を少し膨らます。反応が素直な子だなと、アキホはその彼女の様子を見てさらに笑みを深くした。


「あの、私これでも真剣にお話ししているんですよ……?」


「ごめんごめん、ただ、フィオは真面目だなって思っただけだよ」


「……ふふっ、もう」


 仕方なさそうに笑って小さく咳払いをするフィオ。気を取り直して彼女はアキホの目をしっかりと見つめる。そして、精一杯の謝意を込めて丁寧に頭を下げた。


「答えてくれてありがとうございます。そして、不躾な質問をして、気を使わせてごめんなさい」


 真剣な彼女の謝罪。これを聞いたアキホはわずかに微笑んだ。


 拾われた過去を辛いと決めつけて謝られることはあまり好きではなかった。シルヴィアやエステルへ言ったように、それは自分と母とのこれまでを否定されているような気持ちになったから。


 しかし彼女の謝罪はそこにはなかった。自分の過去を否定しているのではなく、不躾な自身の考えが足らなくて申し訳ないと。自分の浅慮を原因に相手に気を遣わせたことを申し訳なく思っているのだと。


 それほどまでに心優しく繊細な少女なのだと、アキホは初対面ながらに思ったのだ。


「辛い事は乗り越えたから大丈夫。ただもし、それでも申し訳ないと思って気に病んでくれているのであれば」


 話しながら鞄に手を入れるアキホ。何を取り出すんだろうと覗き込もうとするフィオに笑みをこぼして、アキホは小さな包みを取り出した。


「お弁当。お昼の時間で丁度いいし、まだ仲の良い友だちがいないから。迷惑でなければ一緒にご飯を食べてくれると助かる」


 フィオはその言葉に目を丸くした。そして、彼のその飾らない優しさに彼女もまた小さく微笑んだ。


 きっとこの青年はまた気遣ってくれたのだろう。ただ許すだけでは罪悪感を持つだろうと、あってもなくても変わらない小さな条件を出したのだろう。


 しこりを残さないように、不自然さは無く自然な流れで。アキホが当たり前のように相手を思いやれる心を持っていた事に、フィオは心の隅に温かいものを感じていた。


「……やっぱり、思ったとおりの素敵な人」


「?」


「いえ、なんでもありません」


 フィオも自身の鞄から可愛らしいお弁当箱を取り出す。自分の顔の横に両手で掲げて、満面の笑みで可愛らしく提案をした。


「それではご一緒させていただきます。中庭に温かくて風の気持ちいい花壇があるので、そちらで食べませんかっ?」


 断る理由もないのでアキホは小さく頷いて席を立つ。


 小さくぴょんぴょんと跳ねるように前を歩く薄桃色の少女を微笑ましい気持ちで見つめながら、アキホは弁当箱を手にゆっくりと後ろを着いていった。



 

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