一章 王国革命編
邂逅
1話 春の始まり
誰もその目で見た人はいない。
それが事実なのか証明できるものはどこにもない。
ただ、誰もが周知の事実として語り継がれる一つの伝承がある。
―――世界樹と呼ばれる大樹が、この世の何処かにあったとされる。
それは、この世に在らざる大樹。それは、世界の基準と呼ばれる象徴。
役割も意義も、確かなことは誰も知らないが、嘘か誠か語り継がれるおとぎ話のような存在。
ある種の共通認識ともなったこの世界樹は、しかしながらそこに確かに在ったという事実は確認されていない。
しかし現代に生きるほとんど全員は、世界樹は確かにあったと教育を受けている。実在が確認されていないにも関わらず、全ての国、全世界で
この不可解な教育が行われている理由は、世界樹にまつわる一つの伝承とこの世界に発生している現象。その二つが、世界樹が存在したという仮説が正しいと限りなく証明しているゆえだった。
曰く、近い過去にこの世界樹は切り倒されており。
その結果として、世界中に魔力と呼ばれる『想いの力』が溢れかえるようになった。
本来、
そして、魔力と呼ばれるそれは社会の在り方を一変させた。
かつて魔女たちが振るっていたとされる秘奥が周知の『技術』として扱われるようになり、限られた人間しか扱えなかった魔の法と呼ばれる法則が、誰にでも学ぶことができる『学問』として広く普及された。
そしてこの学問は義務として教育するべきだと先を憂う誰かが言った。
その言葉に誰もが頷き、あらゆる国がその『技術』を、『学問』を教育として扱うようになった。
しかし、国によってその法則の解読も変わり、解明への過程も変わり、既存の言語に落とし込む方法も変わる。そうして国や場所ごとに徐々に変化していき、独自の法則を持った技術をそれぞれの国の学校にて教育をすることになった。
そうして建てられ始まった学校を『魔導学校』。解明された魔力を用いた技術に関する学問を『魔術』と呼び、多くの国がその魔術と呼ばれる力を中心に発展を遂げてゆく。
そして魔術が世間に広まってから月日が立ち、その技術が世界に馴染みきって久しい
「…………」
ひときわ大きな木に背中を預けながら、一人の少女が校庭に溢れかえるほどにいる学園の生徒を眺めていた。
一年間の学園生活を過ごし、二年目となる今日。一年の始まりの集会を終え、久しぶりに会う友人との談笑に花を咲かせる同級生、あるいは上級生を眺めながら、少女は早く時が過ぎないかと一人で小さくため息を付いた。
「今年もたくさんの桜が綺麗だね!」
「二年目になるし、今年こそは目標を達成しないと……」
「休みのうちに剣を磨いていたからな!実践の授業が楽しみだぜ!」
各々新しい一年に向けて心躍らせており、楽しみで仕方がないと言った雰囲気で春に相応しく和気あいあいとした空間の一角。
喜びとは正反対の憮然とした表情のまま、彼女はそこで腕を組んで佇んでいる。
銀色の髪を肩口まで伸ばして、利発で鋭い目をした少女は早く帰りたいとひたすら思っていたが、集会後に学園長に用事があるとこの樹の下で待つように言われていた。無視して帰ってしまいたいと思わなくもないが、この少女は律儀に樹の下で待っている。
ぼんやりを空を眺めていた彼女はふと、自分に向けられた視線を感じて辺りを見回す。
先程の明るい雰囲気は変わってはいないが、自分に気づいた生徒の一部が小さく囁きあっている。この和やかな状況にそぐわない、重く陰鬱な表情をした数名の生徒が、遠巻きにこちらを見つめている。
その陰湿な一部の雰囲気は瞬く間に伝播する。その少女の存在に気づいた生徒は次々に目を向け、蔑視と
「なんでいるのかしら……」
「ほんと、勘弁してほしいぜ……」
遂には聞こえないように、あるいはあえて聞こえるように悪意に満ちた言葉を囁きあう。同じ人間に向けているとは思えない視線を向けながら、当然の権利とばかりに罵詈雑言を並べている。
しかし彼女は意にも介さない。慣れたように受け流しつつ、またこの日常が始まるのかと少女は再び小さく息を吐いた。
そう、これはこの少女の日常。
持って生まれた容姿と、たった一つの少女の『不具合』故に、義憤や悪意を以て行われている理不尽な差別が、この少女の日常だった。
ふと足音が聞こえた。現れた長身の女性に周りの生徒達の嘲笑は鳴りを潜め、畏怖に視線を逸らし歓談へと無理矢理に引き戻した。わざとらしいほどに視線を逸らして友人との楽しいひと時へと再び交わす。
「待たせた。教員会議が少々長引いてすまない」
「……いえ、気にしていません」
もたれていた木から背中を離し現れた女性へと向き直る。威圧感を与えるその眼を真正面から見つめ返して小さく息を吐きながら謝罪に対して返事をした。
「今年も桜が綺麗に咲いたな、シルヴィエスタ」
「……ええ、綺麗です。今年も桜は綺麗に咲きましたね、学園長」
周りの生徒達に目を向けながら含みを持たせて答えを返す。
その答えに小さく頷き、学園長と呼ばれた女性も周りを見渡した。目を向けられた生徒がその鋭い視線に小さく震え上がる。
経歴や過去は謎に包まれているが、彼女の圧倒的な実力は学園生に知れ渡っていた。
一人で軍に匹敵するとも龍すらも殺すとも言われているその剣技と魔力は、当然この学園の生徒にとっても周知の事実であり、敬意と畏怖をもって恐れられていた。
そんな周囲の様子を見て学園長も小さく息を吐く。
「言わんとすることは分かる。が、どうしようもない現状も同じく分かっているだろう。私の立場で何も出来ない事は歯がゆく思うが、もう少しだけ耐えてもらえると助かる」
「もう少しと言わずいつまででも。どうせ私に永劫付き纏うものですから。学園長に謝られる筋合いはありません」
「………すまない」
小さく謝る学園長に『シルヴィエスタ』と呼ばれた少女は、もはや癖になってしまったため息を再びついた。
「それで、要件はなんですか」
「そうだな」
学園長は外套の内側に手を入れると中から小さな封筒を取り出す。簡易的に包装されたそれは、宛名も差出人の名前もない手紙のようなものだった。
「この封筒をお前の両親に届けてほしい」
「……今日じゃないとダメですか」
「なるべく早いほうが助かる。個人的な手紙とはいえ、到着が遅れて返信が来ないというのはなかなかに応えるものだ」
事情は知らないが学園長と自身の義母は旧知の仲らしい。時折義母から学園長への手紙を渡されているが、返信となる学園長からの手紙を受け取るのは初めてだった。
「なんなら今早退してくれても構わない。出席はこちらで適当に見繕っておく」
「……教員がしていい対応ではないと思いますが」
「実際お前には必要ないだろう」
「それはまあ、そうですが……」
釈然としない面持ちで不満そうにわずかに口を尖らせる。残念ながら今日の彼女に火急の用事はこれといって無い。断る理由も見当たらず、不本意だという思いを隠そうとしないまま彼女は小さく頷いた。
「……それでは、今から実家に帰ります」
「あいつは手紙に『シルヴィアちゃんに会えないのは寂しい~』って毎回書き連ねている。お前の事情も理解はしているが、たまには母に会いに行ってやれ」
「余計なお世話です。というか適当言わないで。
「私への手紙にはそう書いてあるんだがな。……では、すまないがよろしく頼む」
「はい」
手紙を受け取って歩き出すシルヴィア。たまには実家に帰るのも大切だと自らに言い聞かせて、気の進まない思いを吐き出すように溜息を
そんなシルヴィアに向かって、再び悪意を伴った視線と嘲笑が向けられる。慣れたそれらを今一度軽く受け流しながら、一度荷物を置いてから行こうと寮にある自分の部屋へと早足に戻っていった。
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