白銀王女は世界樹に微笑う

霜月楓

回想

運命の日



 あの日、とても綺麗な流れ星を見た。


 日が落ちてしばらくして星々が輝き始めた頃、ふと見上げた空の片隅で、誰にも気づかれないようなひっそりと落ちた流れ星が何故かひどく印象に残っている。


『流れ星に願いを込めると願い事が叶うらしい』


 その星を見た時に、いつかそう教えてくれた兄の小さな微笑みを思い出した。


 真面目で常に眉間に皺を寄せて、目の前の事で一杯一杯だった兄が極稀ごくまれに見せるその優しい顔に、思わず言葉を失った。


 『私は見たことがないけれど、もし見ることがあるのであれば、その時の為に願いを考えておくといい』

 

 そう言って兄はこちらの頭を優しく撫でた。


 顔はいつも厳ついけれど、心根が優しい兄が頭を撫でる手が大好きで、触れられるだけで思わず眼を細めてしまう。そんなこちらの様子を見て、兄はまた小さく微笑む。


 それでは兄は流れ星に何をお願いするのか、と問うと兄は悩む素振りも見せずに決まっている、と教えてくれる。 


 『大切な弟の未来に幸せを。それ以外に願うことなんて一つとして無いよ』


 その言葉がひどく嬉しいとともに何故か悲しくて、思わず撫でてくれた手をギュッと握って心のままに言葉を紡いだ。


 私の願いは兄の幸せだと。兄が笑顔でいてくれることが私にとっては一番の願いなんだ と、つたないながらに精一杯に自分の思いを兄に伝えようと言葉を重ねた。 

 

 兄はその言葉に驚いて、しかし優しく噛みしめるように小さく頷いた。そして握られた手をそっと両手で握り返す。


『ありがとう。とても嬉しいよ』


 あまりにも嬉しそうに。それなのにどこか辛そうに。


 その時の自分にはその機微がわからなかったが、兄の微笑みがただただ優しかったことが何故かどうしても悲しくて、思わず目を逸してしまったんだ。





「…………」


 しばらく前のことを何故か思い出して感傷にふける。


 今になってようやく分かる。あの日の兄はきっとわかっていたんだろう。

 この厳しい世の中で幸せを叶えるのがどれだけ難しいのかを。そして、誰かの幸せを願えることがどれだけ尊いことだったのかを。


 少し溢れそうになった涙を堪えながら、縁側に腰を掛けて星空を眺める。するとまた一筋、先程よりもはっきりと流れ星が夜空を駆け抜けた。


 先程は唐突で何も願えなかったが、今度は心の準備が出来ていた。消えゆく星を見つめながら、幼い頃と同じ願いを願おうとして。


 ―――――流れる星が消えるまで、その願いを願うことは出来なかった。


 大切な兄の幸せを願えなかった。いや、常に願っていたのだ。あの日からずっと、願っていた。


 いつも誰かのために生きていた兄が、いつの日か自分の幸せに向き合える日が来るようにと、ずっと心の底から願っていたのだ。






 その願いが叶うことはもう無い。


 今日この日の朝、彼は終戦の約束を履行するため、守り続けてきた民たちに見咎められながら、共に戦場を駆けた盟友に首を刎ねられて命を落とした。







 ああそうか。思い出だけではない。流れ星をみて兄を思い出したのはきっと、流れて消えてゆく一瞬の瞬きが兄にそっくりだったからだ。


 どの星よりも輝き、星空せんじょうを駆け抜けて、あっという間に消えてゆく儚い光。その輝きが兄と重なった瞬間、堪えていた涙が思わず一筋頬を伝った。


 どうして兄が死ななければならなかったのだろう。誰よりも誰かのことを考えていた兄がどうしてこんな報われない最期を迎えなければならなかったのだろう。そんな慟哭がとめどなく溢れて涙とともに零れ落ちる。


 そして空を見上げれば流れ星が一筋、また一筋と流れ落ちる。

 まるで星空が泣いているようだと、不意にそんな考えが溢れ続ける後悔を遮った。



 ああ、兄の死を星空も泣いてくれているのだろうか。

 こんなに悲しいことはないと、そう思って涙を流してくれているのだろうか。


 この瞳と同じように次から次へと溢れるなみだが自分と同じなのならば、それはとても素敵なことなのではないか。


  

 それなら願おう。兄のような流れ星に、私の涙のような流れ星に、いつか叶って欲しい願いを。いつの日かどうか叶えと、悲しみではなく強い希望を込めて願おう。




 「…………………ように」




 強く、強く願って再び目を開ける。


 なおも瞬く星々は消えることは無い。


 その輝きに照らされるまま、私は腰に差してある刀をおもむろに抜き放った。そしてその刀を逆手に持ち布の切れ端を口に咥え、噛み千切りそうなほどに歯を食いしばる。


 痛いだろうか。苦しいだろうか。自らが今から行おうとしている愚行の先に、何が待っているのか想像してみる。


 痛みは慣れている。苦しいのも慣れている。戦場で数多の傷を負ってきた。腹に穴が開くような傷も一度だけではあったが経験したことがある。


 だが、兄を失ったこの世界で、兄が処断された際に見たその光景を胸にしたまま、これから生きていくその苦しみに耐えられるという自信はまるでなかった。


 父に、母に、兄に、友に、携わってきたすべての人に心の内で謝罪を述べる。

 そして最後に再び願いを心の内で唱え、覚悟を決めて眼を強く瞑る。









 そして、幾度となく味わった肉を抉る感覚。突き立てた刃の痛みや血を失っていく感覚と共に、もはや目覚めることは無い事を悟りながら意識が遠のいていくのであった。







◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆






 これはとある青年の回想。そして、この世界で生きた最後の記憶。


 次の話から物語は始まります。初投稿作品ですが、何卒宜しくお願い致します。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る