2話 城下町
「というわけで、はいこれ」
「あ、そういうこと……急にシルちゃんが帰ってくるからお義母さんびっくりしてお皿また割っちゃった……」
「いつものことでしょ」
シルヴィアは預かった手紙を滞りなく渡すとそのまましゃがみこんで、自分が玄関を開けた途端に母が落として割れた皿を慣れた手付きで片付ける。
うっかり手を傷つけられても敵わないので、義母に拾わせずにシルヴィアは自分だけで破片を掃除した。別に掃除をするなと言うつもりはないが、うっかりものの義母にはせめて自分がいる時は少しでも手伝わせてほしかったのだろう。
「ごはん、食べていくでしょう?」
「………えっと」
申し訳なさそうにシルヴィアを見つめていた女性は、ふと両手をポンと叩いてシルヴィアに問いかける。遠慮と困惑で断ろうとするシルヴィアに、有無を言わせずに彼女はぐいぐいと詰め寄っている。
「食材もちゃんと二人分あるんだから、いらないって言ってもお義母さん作っちゃうから。シルちゃんが食べないなら一人分無駄になっちゃうんだからね~」
「………もう」
仕方がなさそうにシルヴィアは嘆息した。諦めたような様子に頷いた義母は、笑顔でいそいそと片付けを続ける。鼻歌を歌いながら、ともすれば飛び跳ねそうなほどご機嫌で昼食の皿を洗っている。
「ふふふふ~っ。シルちゃんと一緒に御飯食べるのなんて何年ぶりかしら。今日のご飯は気合い入れないと~」
「入学前だからちょうど一年前くらい。だからそんなにはしゃがないで」
「娘が久しぶりに帰ってきて嬉しくない母がいますか~」
当たり前のように交わされる温かい会話が久しくて、シルヴィアは思わず僅かに口角を上げた。背中を向けているはずなのに、その顔をを見ていたかのように義母はまた小さく鼻歌を口ずさみ始めた。
「もう少し早く帰ってきてくれれば、お昼ごはんも一緒に食べられたのに~」
「今日学校初日。っていうかまだ11時過ぎだから。お
「そうだったの~。あれ?でもそれなら学校はどうしたの?」
「学園長がこの手紙を優先しろって。別に無理して出るようなものでもないからって」
「相変わらずあの人は適当なんだから~」
小さく笑って最後の皿を片付ける義母。パンパンとエプロンの裾を叩いてよしっ、と胸の前でぐっと拳を握る。もうすぐ30代になろうかという歳なのに、何時まで経ってもこういうところは変わらず可愛らしい人だ。
「でも、本当に食材はあるの?」
「ん~?」
「もともと一人で食べる予定だったのに、本当に二人分食材あるのかってこと」
「うん、足りないわね~」
怪しく思ったシルヴィアが念のために問い詰めると、彼女は思いのほかあっさり白状した。帰ってくると伝えてないのに食材が二人分あるのはおかしいと思ったのだが、案の定引き止めるだけの方便だったようだ。
シルヴィアは台所周りを見回してみるが、どこにも食材と呼べるものは見当たらない。二人分はおろか一人食べるだけの分量すら何処にも無く、最低限の調味料だけが棚の上に鎮座している。
「まさか……」
「うふふ、そもそも夕食の買い物もまだだったみたい~」
「そこからか……」
悪びれもなく言う義母に小さく息を吐くシルヴィア。1年経っても変わらない
「じゃあ行ってくるから」
「でも………」
「いいからゆっくりしてて。それじゃあ行ってきます」
渋る義母を半ば無理矢理に説得し、シルヴィアは買い物に向かう。出る直前まで引き留めようとしていたが、何もせずにご飯だけもらうなんて義母は良くても自分が落ち着かないと、強引に買い物を自分で引き受けたのだ。
その姿は何かから身を隠すように大きく着込んでいる。普段結ばない髪を片側で結って大きく印象を変えて、顔には眼鏡をかける。そしてその上から帽子を目元まで隠れるように深くかぶっていた。
義母に書いてもらったメモを片手に細い通りを抜けて大通りへ出ると、相変わらず城下町は閑散としていた。
広い通りに面している店や露店はお世辞にも栄えているとはいえず、店先に立っている売り子は覇気のない声で呼び込みを行っている。が、どうにも成果は芳しくないらしい。
「………」
周りの目を気にしながら目的の店へと進んでいくが、ふとそんな彼女の足が止まった。道すがら途中で、小さい子がぬいぐるみを抱えてたった一人で立っていたのだ。
その目元は微かに潤み、今にも泣きだしそうなほどだ。ぬいぐるみを抱きしめる手は震え、何かを探すように必死にきょろきょろと辺りを見回している。
しかし誰も助けようとする素振りはない。当然だろう、この国の住民は例外なく愚王の圧政に苦しみ続けている。
自分のことで精一杯な人間がどうして他人に手を差し伸べられるだろうか。自らが生きることに精一杯で、周りに目を向ける余裕なんて一さじたりとも持ち合わせていない。
「……どうしたの」
「……ふぁ」
少し迷ったが、シルヴィアは声をかけた。時間に余裕はある。なによりこのまま黙って見過ごせば、折角の
「お姉ちゃん、だぁれ?」
「通りすがりの正義の味方。でどうしたの。お母さんとはぐれた?」
少年の質問をするりとはぐらかす。少年は少しばかり逡巡していたが、寂しさが勝ったのだろう。自分の服をきゅっと掴みながら、ゆっくりと小さく頷いた。
「そう。お母さんはどんな人?」
「えっと、お姉ちゃんとおなじくらいおっきくて、僕とおなじかみのけのいろ……」
「どんな服か覚えてる?」
「えっと、しろっぽいふく」
「そっか。それで君は何処にいたの?」
「あそこのぬいぐるみやさん……」
そう言って近くの店を指さす少年。どうやら小さなぬいぐるみを買おうと店に入った際にお母さんと逸れてしまったようだ。
あたりを見回すがそれらしき人物はいない。探しに行こうかと考えたが、闇雲に探してもいい事はないし少年を歩かせるわけにはいかない。何より入れ違いになってしまうことは絶対に避けなければならない。
「ふぇ……」
少年は寂しさを思い出したのだろう、再び泣いてしまいそうになっていた。こうなったら仕方がないと、シルヴィアは少年の頭を優しくなでる。
「それじゃ仕方ない。お姉ちゃんとお母さんが来るまで待ってようか」
「うん……いいの?」
「お母さんはきっと迎えに来てくれるから、お姉ちゃんとお話し。そうすれば寂しくないでしょ」
「……うん!」
ようやく笑ってくれた少年にシルヴィアは安堵する。これでやっと半分の目的は達成できた。あとはこの子の母親が来るまで待つだけでいい。
「そのぬいぐるみはどうするの?」
「これはねーおかあさんにあげるの!」
「へぇ、自分のじゃないんだ」
「うん!おかあさんとりさんだいすきなんだって!」
「そう。喜んでもらえるといいね」
「このためにおこづかいいっぱいためたんだよ!」
「うん、えらいえらい」
「えへへー」
頭を撫でるとうれしそうに目を細める少年。この心優しい少年がそのまますくすく育ってくれますようにと願いを込めるように、シルヴィアは少年の頭を撫でながら少年の話を聞き続けた。
「ここに書いてあるもの、お願いします」
「その声……エステルさんちの娘さんか?」
無事母親を見つけ少年と別れたシルヴィアは、もともと目指していた青果店にたどり着いた。
あの後もしばらく探し続け、母親の声が聞こえると同時に少年はありがとう、と叫びながら飛び出していった。ぬいぐるみを抱えたまま勢いよくお母さんに抱き着いて、満面の笑みでこちらの方を指差していた。
お礼を言うつもりだったのだろう親御さんが呼び止めていたが、礼を言われたくてやったことではない。それにすでに少年からありがとうは貰っている。なので、小さく礼をして、逃げるようにその場を去りこの店に急いだ。
「はい。お久しぶりです」
「おう。学校に入って一年か。気付けばずいぶん経ったもんだ」
「
「ふっ、相変わらずだな」
鼻を鳴らして笑う店主。母娘ともども通っている店で、学校に入る前にはシルヴィアも買い物によく訪れているため、どうやら声を覚えてくれていたようだ。
「相変わらずと言えば、今日も帽子を深くかぶって顔を見せちゃくれないのかい」
「……ごめんなさい、恥ずかしくて」
「まあ気にしてねぇから気にすんな。いつか拝める日を楽しみにしてるわ」
その店主の言葉に小さく頭を下げる。彼はこの不自然をそのままに、これからも隠したままで構わないと言ってくれているのだ。その心遣いと、これからも顔を見せられない申し訳なさに深く頭を下げた。
「……あまり、売れ行きが良くないですね」
「まぁな。うちは食品を扱ってるだけまだましよ。娯楽品や日用品なんて、どの店も売れる気配もないって聞くからな」
野菜を詰めながら店主はそう言い、少し声を潜める。周りを見渡しながら、シルヴィアにしか聞こえない声でつぶやいた。
「騎士の巡回の目も厳しくなってきてよ。税の取り立ても年々荒々しくなってきてやがる。ほんと、住み辛ぇ街になっちまったよ」
「……本当に」
「まあ愚痴を言ったところでどうしようもないんだがな、っと。ほら」
詰め終わった袋を渡される。お代を払って袋を受け取ったが、どうにもお願いした量に比べて入っている食品の量が幾ばくか多いような気がして、思わずシルヴィアは店主の顔を見てしまう。
「これ……」
「ああ、お得意様にサービスだ。エステルさんはここに来るたび寂しい~って愚痴ってきやがる。たまには一緒にご飯でも食べてやんな」
「……はい、そうします」
その言葉に胸が少し熱くなる。自分も苦しいはずなのにと、シルヴィアは貰った買い物袋を抱えながら、感謝の気持ちを込めて深く頭を下げた。
「そこの少女、止まれ」
先ほど訪れた店の近く、人の通らない道から大通りに出る小道の途中で声を掛けられる。
その声に振り返ると、三人の男性が訝しげにこちらを見ていた。
身なりや立ち振る舞いからわかる、ある程度には鍛えられているであろう肉体。そして、その身体から滲み出ている魔力。軍人や騎士団に近いであろうその姿には、しかしながら武器を携帯している様子は無かった。
いや、三人の重心から服の下に何か重いものを隠しているのだろう。隠さなくてはいけないであろう重い物……恐らくは武器の類が。
国に仕える騎士団であるならば武器を隠す必要はない。むしろ抑止力として帯刀していることを市民に見せつけなければならない。国を守る騎士団は犯罪や異分子を抑え込む力があるぞ、とその意思を示すことこそが役割だ。
つまり隠れて武器を持たなければならない状況と思わしき集団が今、シルヴィアへと嫌疑の眼を向けている。
(
「どうかしましたか」
気付いたことを悟られないようになるべく平静を保って返答をする。
すると男たちは訝しげな視線のまま、三人のうちの二人、比較的小柄な男と縦に長い男がゆっくりとこちらに近づいてきた。残りの一人は背後で腕を組んでこちらを凝視している。
「噂を知っているか」
「噂……ですか?」
「ああ、今日はある伝手からの情報でな。今日はドリゼラ女王が城下に来ているそうなんだ」
「………!」
その一言で意図を察したシルヴィアは微かに身を強張らせた。その緊張を察したのかどうかはわからないが、男達はなおも距離を詰めてくる。
恐らくは斬るつもりなのだろう。この国の諸悪の根源を。許されざるべき悪の一端であるドリゼラ王女をこの城下に訪れているという噂を元に、見つけ出して切り捨てようと巡回をしていたのだろう。
「というわけで、悪いがその帽子を取って顔を見せてくれるか」
最悪の想定通りの要求にシルヴィアは思わず歯噛みする。今顔を見られることは絶対に在ってはならないと、帽子の下から流れた冷や汗が頬を伝う。
反乱軍、ということは敵ではない。暴政に嘆くこの国を憂い、圧政を敷くこの国の王に反旗を翻す彼ら。この国の現状を考えれば敵対する理由はシルヴィアには無い。
しかし、こちらとしてはそうでも相手にとってそうであるとは限らない。特にこの反乱軍にとって緊張状態にある中、この顔を見てしまったら無条件で切り伏せられても何も可笑しくはない。
じりじりと迫る男達に、どうにかして逃げようと必死に頭を働かせるシルヴィア。しかし、不意をついて全力で走る以外に方法が思い浮かばない。男たちの手が帽子に触れる寸前、シルヴィアが駆けだそうと足に力を込めた瞬間に、
「……なにをしているのかな?」
まるでこの場にそぐわない暢気な声が、ふと男たちの背後から前触れもなく聞こえてきた。
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