第296話 撤退戦(7)相沢side

 鳩羽村のダンジョン――、その32階層に向かう為に……、彼は何と信じられない行動を取った。

 移動時間の短縮の為という名目でダンジョンの床を破壊したのだ。

 一瞬、何をしたのか? 私は理解できず足元が消えた不安感から悲鳴をあげていた。


 次々と破壊されていくダンジョンの床。

 そして、私は空中に投げ出されたまま落下を続ける。

 すでに落下した距離は30メートルを超えていて――、着地が困難だと言う事は妙に冴えた思考で理解出来てしまう。

 そこまで考えたところで、私のステータス――、つまりレベルが急速に上がっている事に気が付いた。

 何が起きたのかは分からない。

 だけどレベルの上がる速度が尋常ではなくて――。


「あ、あの! 山岸さん!」

「どうかしたのか?」

「レベルが、すごい速度で上がっていきますけど!?」

「気のせいだ!」

「ええ!?」


 私は、一応はSランク冒険者である彼に助けを求める意味合いも込めて聞いたけど、一蹴されてしまう。

 私は納得いかずに彼に話を聞こうとしたところで――。


「最後の床だ!」


 ――と、言う彼の声が聞こえてくると同時に石畳の床が彼の蹴りで粉砕され――、次の階層の床が見えてくる。

 たぶん落ちている速度は、時速100キロは超えていて――、着地することなんて無理! 絶対無理! 死! と、言う概念が頭の中に浮かびあがってきたところで私は恥も外聞も無く叫んでいた。


 彼は、呆れた様子で何とも無いと言った様子でダンジョンの――、石畳の上に着地すると落下した私を受け止めてくれた。

 それを理解した途端、私は体中から力が抜けていくような感じを受けた。

 信じられない……。

 本当に理解が出来ない。

 こんなにデリカシーが無いなんて思わなかった。

 本当に死が見えた。

 まだ恐怖で身体が震えていた。

 だけど……。


「よし、とりあえず安全に31階層まで来れたな」


 何ともないような様子で彼は軽い口調で独り言を呟いているけど、私には彼が何を言っているのか分かりたくなかった。

 だからこそ――、


「安全とは一体……」


 ――と、突っ込みを入れずにはいられなかった。

 でも、こんなのは本当に序の口で――、本当の彼――、山岸直人を理解したのは、それからすぐの事だった。


 ――32階層に降りる階段前に巨大なモンスターが現れたのだ。


 そんなモンスターは、鳩羽村ダンジョンでは出てこない。

 それは、日本ダンジョン探索者協会が管理しているダンジョンにすら出てこない程の化け物。

 見た瞬間、理解してしまっていた。

 絶対に生きては帰れないということを。

 それを自覚せざるを得ない巨大な恐怖の象徴である言語を解する牛のモンスター。

 逃げることしか思い浮かばない相手を彼は一撃で倒してしまった。


 それは、もう圧倒的で――。

 有無を言わさない程の強さ。

 違う――。

 恐怖の象徴と感じた化け物にすら化け物と呼ばれる真の化け物。

 それが山岸直人という人物だった。

 



 それから、私は彼を避けるようになった。

 それは怖いから――、理解出来ない強さを持つ彼が恐ろしいから。


 そこで私はようやく理解した。

 相手の強さが分かるのは自分が強くなったからだと――。

 でも……。


 あの牛の化け物の強さは理解出来た。

 だけど……山岸直人という人物は? 彼の後ろ姿を見ても――、恐怖とか、強者としての強さを、まったく感じない。

 それは、もう異常としか言えないほどで――。


 だからこそ分かってしまう。

 彼が日本ダンジョン探索者協会から特別視されている存在である理由が――。


 私は彼の後を無言で付いていく事しか出来ない。

 そして32階層に到着したところで、私は足元から崩れ落ちた。

 そこは地獄だった。

 予想していた光景とは掛け離れた現実。

 辺り一面に充満する血の匂いと飛び散った血肉。

 全てが日常からは遠い存在であり理解出来ないものだった。


 見たらいけない。

 分かったらいけない。

 理解したらいけない。

 幾つもの考えが頭の中に駆け巡り――、それでも! 目に映る現実は――、代わりはしない。

 現実を現実として訴えかけてくる。


「相沢、辺りを確認してくる。お前は、ここで待っていろ」


 私を見下ろして彼は語り掛けてくる。

 でも! こんな場所に一人で残されたら確実に私は耐えられない。


「――そ、そんな! ま、待ってくださ……」


 蹲ったまま、彼に手を伸ばす。

 そんな私を見ていた彼は――、


「何が起きたのかを迅速に調べなければ被害が増えるかも知れない。ここで待っていろ」


 戦力外通告を突きつけてくる。

 それは、私に覚悟が無いなら着いてくるな! と、言っているように聞こえた。

 その言葉に私は立ち上がる。

 私だって! 何の覚悟も無しにダンジョンに来ている訳ではないのだから。

 夫を見つける為に、夫の痕跡を探す為に何年も頑張ってきたのだから。


「――っ! わ、私だって……、覚悟を持ってきました。だから――」

「そうか。お前が俺のことをどう思おうと構わない。だが! 自分が決めたことは最後までやり通してみせろ」


 最後まで言い切る前に彼は返答してくると歩き出す。

 私も意地で彼のあとを付いていく。



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